第9話・もうひとりの『王子』
(ルイ)
目を覚ますとそこは、いつものあの宿屋の一室。雨漏りの跡のついた天井を眺めながら、そうか、俺は夢を見ていたのか、と思った。昔の夢だ。寝る前にガキの頃のことなんか思い出してたから、地続きで夢の中までもつれ込んだらしい。
初めてアイクと会った頃から、十九でアイクと街の縁日に行った思い出まで……。もうあの祭りも二年前。アイクは地元の剣術大会で、仮にも優勝できる猛者になった。魔術やおつむは、相変わらず第二王子ユーリの足元にも及ばねぇらしいが……。むしろユーリが優秀すぎて、離されているらしいとも聞くが……。剣と魔法はリーチが違うゆえ、本来なら剣術は、いまどき魔術と融合させなきゃ実用性は薄い。斬撃を飛ばしたりできる『魔剣士』が、最近の剣士のトレンドって奴だ。だから多分、戦えば魔術師であるユーリの方が強いだろうな。
ワイバーンの事件があってから一週間。俺はラルフの側近の奴から、スマホに号令を受け取っていた。城に来いと。まあ至急じゃねぇと書いてあるし、珈琲飲みながら新聞読んで、ちょっとだらだらしてから行ってもバチは当たらねぇよな?
この一週間、新聞には物騒な事件がふたつほど掲載されている。ルビーマウンテン南部のスピネル村、サファイアバレー北西部のカイヤシティが、魔物の集団に襲撃され、多数の死傷者が出ている。城から復興と負傷者の治療、および警備と調査のため、兵が派遣されているそうだ。まあ、魔物による被害は、この世に『六十億の呪い』が存在する以上、いつの世にも避けられねぇことだ。とはいえ悲惨な事件にはかわりねぇし、俺も要請があれば、この件について尽力できればいいのにと思う。
「ルイ様ぁ。お城に呼ばれてるんじゃなかったんですか? そんな呑気に朝ごはん後のコーヒータイムしてていいんですか?」
「うわ、何だ、ミルカかよ。人の部屋にノックもなしに入ってくんじゃねぇ、貴族のくせにマナーがなってないぜ。……って、何だよ、その恰好」
ミルカがヴィクトリアの姿をしている。つまり、いつものみすぼらしいエプロンじゃなくて、ぱりっと糊のきいた、白の上品なドレスを身に纏っている。裾に丁寧にあしらわれた、僅かなレースが女性らしく美しい。
「……なんでそんな、貴族みたいな恰好してんだ? 今日は爺ちゃんに、空室の掃除とシーツの天日干し頼まれてなかったか?」
「貴族みたいじゃなくて、ミルカは貴族です。その貴族のお父様が、お城にお金の寄付をしたいんですって。ダンスホールの件、スピネル村の件、カイヤシティの件。お父様は度重なる不幸と、そのために城にかかる人的・物的・金銭的負担に、心を痛められているそうで。私がかわりに、お城へ諸々の手続きに行くんですよぅ。空室の掃除は、帰ってからやります。そう、つまり、今度こそ本当に、お城へ観光に行けるんですっ!」
まあ、ウェルシュの思惑は、王室への擦り寄りだろうな。ミルカも多分それはわかってるが、敢えて口にしねえ程度には大人なんだろう。
「はあ……懲りねえな、お前。仕事ご苦労。折角だから、俺と一緒に行くか」
「なんと! またもや全くタイプじゃないモテモテイケメンとデート! ぜひお願いします!」
「お前は本当一言余計なんだよ!」
「いやぁ、方向音痴なんで、迷うかなって心配だったんですよね。慣れてるルイ様に先導いただけるのは助かりますぅ」
宿屋の一階へおりて、木のカウンターを挟んで、フロントに預けていた財布や懐中時計を受け取った。ここの老夫婦は、宿泊者の貴重品を魔学式金庫に厳重に収納する、信頼できる奴だ。だからいつも、何の心配もなく多額の金を渡せる。……いや、『信頼できる奴』というのは、『自分が勝手に信頼したい奴』と同義語かな。俺はこの宿を、それほどに拠り所にしているのだろう。
「行ってらっしゃい、ミルカ。ドレスの裾を踏んで転ばないようにね」
「もう、お爺ちゃん。私はもう幼児の頃の私じゃないんですぅ。この前だって立派にルイ様のダンスのお相手を務めましたし?」
「いくつになっても、主の娘子なんてのは孫みたいなもんだね」
「……ありがとう、お爺ちゃん。じゃ、行ってきます。ウェルシュの令嬢の、役目を果たしに」
晴れたダイヤモンドヒルズには、肌を張らせるような寒波が流れ込んでいる。やっぱり、冬は多少寒い。ヒスイ谷の寒さに慣れてりゃどうってことないが、砂漠出身のミルカはあからさまに震えている。そりゃ、そのドレスだけじゃそうなるだろう。道理ってやつだ、オパールバレーの名門校に留学もしたお前が、何でそんなこともわからねぇんだ?
「……着るか」
しょうがないので、俺のもふもふの黒ローブを肩にかけてやった。そうすると俺は、薄いインナーにアイクの編んだ白いカーディガンだけで、微妙に寒いんだが……。
「あ、ありがとうございますぅ……さむっ。鼻水が凍りそうですぅ」
「大げさだな。ヒスイ谷まで行けば、寒くて泣いたその涙が凍るほど寒いがな。ダイヤモンドヒルズは大した事ねぇ」
「ルイ様は猛者ですね」
「当たり前だ、誰に言ってやがる」
徒歩十分、城の門番が俺たちの姿に気付いた。エントランスに俺たちを案内しながら、通信機で王室謁見の担当者と連絡を取っている。城の中はあったけぇから、ミルカに上着を返してもらった。
「ルイかな、久しぶりだね? ……そうか、ルイは……?」
担当者と門番がトランシーバーで何やら話してる間、俺に声をかけた奴がいた。聞き覚えがなくもねぇ声に振り返れば、くせのある外跳ね銀髪に幼めの端正な顔つきをした、色白でちょっとばかり頼りねぇ体格の男がいる。紺色の四角いモルタルボードを頭に乗せて、城仕えの学者正装であるぱりっとしたローブを着て、その顔立ちに似合わぬ悠然とした表情でこちらを見ている。真っ赤なその瞳に映る、タチの悪い悪戯心は、初めて会った時から変わっちゃいねえ。……ふん、お前か。暫く会わないうちに、見違えたじゃねえか。俺より背、ちょっと高くなってるしな。
「相変わらず、寒がる女性にローブを貸したり、格好いいことをするじゃないか。……ふむふむ、この子、どこかで見たことがある」
「は、はひ? 私ですか? ていうかあなたは一体……」
「……俺の記憶力に隙はない。学内誌だ。俺んとこの系列の全寮制女学校で、在学中無敗の主席を貫いた第二百二十三代生徒会長。ウェルシュの娘だかで有名で、一度校内インタビュー記事が出ていただろう。城に用事かい、同郷者は嬉しいな!」
「おお……そうしますと、リヒト・フリューゲル学院の関係者さんですか」
「そうそう。俺、リヒト・フリューゲルの研究所で、学者の端くれをしていてね。ヴィクトリアは確か理数科と書いてあった。リヒト・フリューゲル理数科OBの仲間はおしなべて友人、きっとわかってくれるよね、フェルマーの最終定理のセクシーさを!」
『白い学者さん』が目を輝かせて、ミルカの手を取っている。いきなりすぎるだろ、ただの変質者だ。オタクは常識がなくて困る。……が、ミルカも悪い気はしていなさそうな顔をしている。オパールバレーにある、リヒト・フリューゲルの奴らは家族意識が強い。俺には理解できねぇ、そのシンパシーを。
「あはは、学内誌、細かいところまで読んでるんですねぇ。覚えて下さってありがとうございます。残念ながら、私はそんな難しいのはわかりません。主席といっても中等科、精々が微積分の悩ましい腰つきくらいで」
こいつらは何を言ってるんだ?
「充分だよ! 全く、今日はさぞかし退屈な一日になるだろうと思っていた。城の識者は大規模な学会で出払っているし、俺に絡んでくると予想されるのは、精々が脳筋の父上、猿並みの知恵しかない母上、頭インスタお花畑の兄上、そしてキングオブパワー馬鹿の将軍・エディ。名誉と金にしか興味のない、私欲まみれの大臣たち。で、おまけにゲストの猫ちゃん。それがまさかフリュ友に会えるなんて、ついているじゃないか。聞いているよ、ヴィクトリア。城に金を送りつけたい貴族がいると。さしずめ君は、その件で来たんだね?」
「はあ、まあそんな感じです。いや、その、フリュ友のお兄さんは嬉しいんですけど……失礼ながら、これから王族の方々との謁見が控えていまして。時間がないので、三次関数の罪作りなうなじについてお話しする時間はなくって。ごめんなさい、連絡先でも交換できれば」
「問題ないさ。君は王族に会うんだろう。ならば問題はない。俺たちはフリューゲルの糸で結ばれているよ」
全く、兄とは別のベクトルで世話の焼ける……。
「おい、王族の男が、軽々しく女の手を取るな。ミルカ困ってるだろうが、ユーリ!」
そう、こいつは第二王子、アイクの弟。ユーリ・アイドクレースその人だ。
「ユーリ様、何をこんなところをほっつき歩かれて」
王族の側近……具体的には、アイドクレース王国軍将軍エディに連絡を終えた事務員が、ユーリに気付いて、血相変えて首根っこを掴んだ。こいつパワーは無ぇから、抵抗手段は持たねえ。ぶすっと顔つきを曇らせて、つまらなそうに溜息をついた。
「それが王族に対する言葉遣いかよ? もっと崇めてくれよ? 王族だってそのへんをほっつき歩く権利を有しているんだ。人権侵害! 滅びよアイドクレース王国!」
「おいユーリ、王子がその冗談は笑えねぇよ。全く、見た目だけ偉そうになっても、やっぱりお前は相変わらずだな」
「高度な冗談は、猫の脳みそじゃ理解できない。まあ、バレたからにはしょうがないね。謁見の間へ、君たちと向かうとするか。さっき言った通り、父上、母上、兄上、エディが待っている」
別に高度じゃねえよ、いちいち人の感情を逆なでする受け答えをしやがって。ミルカが露骨に動揺したまま、あわわ……と呟きながら、さきほどユーリに握られた手を眺めていた。罪作りなオタクだ。アイクと顔も性格も全く似てねぇ。二つ離れているだけの兄弟だなんざ、到底信じられねぇ。どっちかが橋の下から拾われてきたんじゃないのか?




