逃げ込んだ先は……
よろしくお願いいたします。
その建物は遠目で見たのとは違って、思っていたより大きかった。
だがところどころ隙間が開いており、お世辞にも立派とは言えないボロ屋だ。
建物の入り口と思われるところには、いかにも「取ってつけたような扉」があり、その横には数頭の馬が並んでいる。
鐙が乗せられているが、武装していないところを見ると、この建物の主人が所有しているのだろうか。
それにしては数が多い。
客でも来ているのか?
「エリー、こんなところに人が住んでいるのでしょうか?」
目の前で立ち止まり、屋根を見上げながらお嬢様が不安げに呟いた。
「お嬢様。あれこれ考えていても仕方がありません。中に入ってみましょう」
この場で色々と詮索していても埒があかないので、思い切って中に踏み込むことにした。
お嬢様の手を引くと、若干の抵抗が……
振り返ると、何とも言いようのない表情で私の手を引っ張るお嬢様がいた。
眉を寄せ、困ったような顔で私を見るお嬢様だが、ここで立ち止まっているわけにもいかない。
申し訳ないが、ここは思いっきり手を引かせてもらうことにする。
「うぅ、うわわ!」
私が強引に手を引いたことで、お嬢様は前のめりになり、よたよたと前へと進んだ。
バランスを崩して倒れそうになるが、かまわず私は建物の扉をバン! と開ける。
中は薄暗く、酒の匂いが立ち込めている。
建物の中はお世辞にも広いとは言えず、所狭しと使えた椅子が並び、数人の男が座ってグラスを煽っていた。
どうやらここは酒場のようだ。
「おいおい、もうすぐ店じまいなんだがな」
と奥から身体つきの良い壮年のひげ面の男が顔を出し、声を掛けてきた。
「え、あ? み、店じまい?」
「昨日の夜から開けてるんだ。この酔っ払い共を追っ払えば今日は終いだ」
男はそう言って、親指でクイクイとグラスを煽っている男たちを指した。
私はお嬢様を庇うようにして男の前に出た。
「あ、あの、私たち、追われてるんです」
そう言うと、男たちの視線がジロリとこちらを向いた。
この場の雰囲気は何というか、あまり長居したくない雰囲気だ。
しかし、お嬢様を隣国へ送り届けるためには護衛がいる。
ここが酒場なら何かしらの人脈にありつけれるのではないかと私は願った。
私の言葉を聞いた男は呆気にとられたような顔をしていた。
「は? 追われてる?」
「はい、訳あってこちらの方を隣国までお連れしなければなりません! 隣国までの道中は、女である私たちでは心許ない旅路になります。どなたか腕の立つ方をご存知ならば、ご紹介願えないでしょうか?」
私は早口でまくし立ててしまったが、言いたいことを言ったつもりだ。
だが、男はノシノシとこちらへ歩み寄ると、腰に手を置いてその長身で私たちを見下ろした。
「悪いがここは酒場だ。護衛が欲しけりゃ冒険者ギルドにでも行くんだな」
「え、あ、いやしかし! 急を要するんです! それに私たちには時間もなくギルドがあるような街には立ち寄れなくて……」
「だったらさっさと出てけ。ここは酒場だ。酒を呑む場所だ。酒を呑むなら座れ、呑まねぇなら出ていけ!」
言ってることが無茶苦茶だ。
さっきは店じまいとか言ってたのに……
「ですが、私の話をちゃんと聞いて……」
「ツベコベ言うな! 呑まねぇならとっとと出て行きやがれ!」
「そんな! ちゃんと話を聞いてくれてもいいじゃないですか!」
「そんな時間はねぇ! 店じまいだ!」
「だったら何で呑めとか言うんですか!」
「あのー……!!」
私と男が唾を飛ばしあってるところを、お嬢様が割って入ってきた。
その表情は困惑極まりないといった表情で、今にも泣きそうである。
だが、男はお構いなしにお嬢様を睨み付けた。
「あぁ? なんだ小娘?」
するとお嬢様は男から顔をそらすと、店の中にいる男たちに顔を向けた。
そして大声で、
「どなたか! 私たちの用心棒をして下さいませんか! お礼はきちんと致します! 私たち、剣士団に追われていて非常に困っているのです!」
と言い放ったのだ。
お嬢様の言葉を聞いて、酒を煽っていた男たちが何やらざわめき始めた。
お嬢様の仰った「剣士団」という言葉のせいだろうか。
どこかしこから、
「剣士団に追われるなんざ、ろくなことねぇぞ」
「元勇者パーティのシンが仕切ってるって話だ」
「勿体ねぇな、上玉なのによ」
「くわばらくわばら。関わらないのが一番だね」
などと、いかにも私たちの頼みなど聞けないと言うような言葉ばかり。
剣士団は相当厄介なようだ。
誰も関わりたくないというのが態度を見ているだけで分かる。
しかし、お嬢様はかまわず続けた。
「お願いします! お願いします、どうか私たちを助けて下さい!」
そして、名も知らない男たちに向けて頭を下げたのだ!
一介の貴族の娘であるお嬢様が。
高貴な血族であらせられるお嬢様が!
カムリ家の次期当主を告げられたお嬢様が!
どこぞの馬の骨とも分からぬ男共に頭を……
その様子が信じられず、しばらく呆然とお嬢様を眺めていたその時。
ドバーン!
豪快な音と共に、入ってきた入り口が店内に吹っ飛んできた。
薄暗い室内に外の灯りが差し込んでくる。
その中から、腰に帯刀した数人の男たちがなだれ込んできた。
その数は三人か。
恐らく、私たちを追ってきた剣士団だろう。
もう追いつかれたのか?
「あ? なんだお前ら? 今日はもう閉店なんだがよ」
「お前に用はない。あるのは……」
男に声を掛けられた先頭の剣士が我々に視線を向け、
「そこのお嬢様だ」
と私たちを睨み付けた。
「アリシア・カムリだな?」
先頭の剣士がそう言うと、酒場の男は顔色を変えた。
「ア、アリシア?」
お嬢様の名前を呼ばれたことで、また客たちがざわめき始めた。
「おい、アリシア・カムリって言えば」
「カムリ家の娘か?」
「何でそんないいとこの娘があんな格好……」
「まさか、マジで逃げてきたのか?」
こちらを見る彼らの目は、疑心と興味に満ちているようだ。
そんな視線から背を向けると、視線を遮るようにしてお嬢様のすぐ傍に立った。
目の前に迫る剣士と目が合う。
とんでもなく鋭い目付きだ。
殺気が込められているというか、獲物を狩る狼のような……
一瞬だが足がすくんでしまった……。
「アリシア・カムリ。父殺しの罪で、お前をカムリ邸へ連行する。兄上がお待ちだ」
「もし抵抗したら……?」
「抵抗? その時は……」
剣士は腰に下げた鞘から剣をシャランと引き抜いた。
「殺してその首を持ち帰るまで」
「「!?」」
「フェルディナント様は貴様に懸賞金を懸けられた。生かすならば手足を捥ぎ取ってでも連れ帰り、抵抗するようなら殺しても構わぬと言われている」
……私の予感は当たってしまった。
やはりフェルディナント様はお嬢様を亡き者にしようとしている。
剣士が抜刀したことが何よりの証拠。
ただ捕らえるだけなら力ずくで十分だ。
しかし、生死を問わずとなれば、相手を殺しても構わないということになる。
剣士は今度は酒場の男たちに目を向けると、
「おい、貴様ら。構わんぞ、獲物を横取りしても。もっとも……」
と言って、口元まで刃を持ち上げると、その刀身をベロリと舐めた。
「死体の数が増えるだけだがなぁ」
その表情のなんとおぞましいことか!
見るだけで背筋に悪寒が走り、ゾクゾクと震えてくる。
本当に彼らは同じ人間なのだろうか?
もしかしたら、別の生き物なんじゃないだろうか?
そんな錯覚に陥ってしまう。
「何だ、挑発したのに誰も向かってこないとは。腰抜け共め」
男たちを蔑み一瞥すると、剣士はもう一度お嬢様に顔を向けた。
「さて、取り敢えずは無傷で連れ帰りたいものだが。どうかな」
とお嬢様に手を伸ばそうとしたその時。
私は思わず、足元にあった粗末な作りの丸椅子を手を伸ばし……
「お嬢様に触るなぁぁぁぁ!」
そしてその丸椅子を剣士の頭にぶつけてやった!
ガシャ! と叩きつけた衝撃で丸椅子はバラバラになり、剣士は呻き声を上げてその場に蹲った。
(よし!)
心の中でグッとガッツポーズ!
そして、剣士の代わりにお嬢様の手を取り酒場の奥へ逃げようとするが……
「このクソガキがーーー!!」
剣士は倒れていなかった。
むしろ逆鱗に触れてしまったようだ。
私は肩を掴まれると、そのまま壁に強く叩きつけられてしまった!
「よくも俺の顔を! ガキの分際でぇぇぇ!」
叩きつけられてなお、頭をグリグリと壁に押さえつけられたかと思うと、
今度は俯せの姿勢で床に叩きつけられ、背中に足をドン! と乗せられた。
胸元に、締め付けられたような衝撃と圧迫感が走る。
「アリシアの前に貴様から殺してやる!」
逆上した剣士はそう言って、手にした剣を私に向けた。
他の剣士たちはニヤニヤと口元を綻ばせながら眺めている。
誰も止めようとしない。
そうか、私の命はそんなに軽いものなのか。
ふとそんなことを考えてしまった。
「やめて! エリー!」
「ふん! ガキのくせにでしゃばった真似をするからだ!」
お嬢様の声が聞こえる。
剣士の声も聞こえる。
あぁ、お嬢様……
守るなんて大層なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。
剣士は刃を下に向けると、柄を両手で持ち変えた。
「心臓を一差しするか、それともジワジワ嬲り殺してやるか?」
その声色に何の慈悲も感じず、私は下唇をきつく結んだ。
最後の時。
その時はお嬢様の顔を目にしっかり焼き付けておきたい。
そう思うが、瞼が開かない。
情けないが、怖いのだ。
いつ刃を突き立てられ、その先が自分の肉を斬り、裂き、断つのかと思うと、とてもじゃないが目を開けていられなかった。
体が震える。
ブルブルと震える。
歯もガチガチと鳴り出した。
怖い、怖い怖い怖い!
あまりの恐怖に、気が遠くなりそうだ……!
「ヒャハハハ! 見ろ、震えてるぜこいつ!」
「や、やめてぇぇぇぇ!」
お嬢様の声で目を開けると、剣士の足にお嬢様がしがみついていた。
「エリーを離して! 殺さないで!」
「離せぇ! 次はお前だ! 黙ってそこにいろぉ!」
剣士は自身の足にしがみ付くお嬢様を振り払うために、片足でお嬢様を蹴り飛ばした。
飛ばされたお嬢様は机の足に背中を打ち、痛むのか、顔をしかめるが、その目は閉じることなく私に向けられている。
お嬢様が叫んだ。
「エリーーー!!」
お嬢様、奇跡は起きませんでしたね。
必ず起こると信じれば奇跡は起こるものだと思いましたが、何も起きませんでしたね。
お嬢様、申し訳ありません。
このエリー、最後の最後までお役に立つことは出来ませんでした。
お嬢様の作る、新しいこの国を見てみたかったのですが……
「嬲り殺しはやめだ! さっさと殺してやる! 死ねぇ!」
私はギュッと瞼を閉じた。
いつ来るか分からない痛みは私を苦しめるのか。
それとも、苦しめることなく、一瞬の痛みだけで私を奪うのか。
分からない。
神がいるのならば、祈ろう。
どうかお嬢様をお守り下さい、と。
そして、心の中で祈りを唱えている時。
ガシャーン!
と金属同士がぶつかり合う、甲高い音が耳に響いた。
体に痛みはない。
私は何が起こったのかと思い、ゆっくりと目を開けた。
目の前には使い古したブーツがあった。
上に視線を走らせる。
ボロボロになった麻のズボンのようだ。
さらに上へ。
これまたボロボロの薄汚れたシャツに、頭は長い間髪を切った形跡が見られない。
黒くなびく髪は肩まで伸びていてボサボサだ。
その顔には……
頬に大きな傷があり、表情はすさんでいる。
何より私の目をひいたのはその目付きだ。
剣士団のそれよりもさらに研ぎ澄まされた鋭い視線。
死線を幾度となく潜り抜けてきたような、そんな目……
恐怖とは違う何かが私の心を襲った。
そして、驚くべきは……
「おい、いい加減うるさいんだよ。酒が不味くなるだろうが」
彼は私に向けられて振り下ろされた剣士の剣を止めていたのだ。
手にした剣で。
いや、確かに剣は手にしているのだが…
剣を鞘から出していない。
鞘から剣を出すことなくそのまま受け止めていたのだ。
こんなことがあり得るのだろうか。
――鞘で刃を受け止めるなんて!
少なくとも私は見たことがない光景である。
お嬢様、いったい何が起こっているのでしょう?