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『人間たちの夜』2.狂い咲きは秋に(3)

 朝倉家に戻ると、高野が俺を待ち構えていた。

「坊っちゃまがお待ちです」

「周一郎が? 部屋か?」

 尋ねて首を捻る。珍しいこともあったもんだ。

「いえ、リビングです」

「わかった、本置いたら行くよ」

 自室に納屋教授にぶつけた『文学論』を置き、居間に向かう。

「どうしたんだ?」

「滝さん」

 ほっとしたような声音とともに、周一郎は腰を浮かせて振り向いた。サングラスを外した顔は年齢よりかなり下に見える。不安げに、

「ルトが」

「ルト?」

 周一郎の合図に高野が一礼して出ていく。

「…ルトがいなくなってしまったんです」

 周一郎の向かいに腰をかけながら、

「いなくなった?」

 そんなこと、お前、と突っ込みかけたのは、こいつとルトの不思議な関係を知っているからだ。

「いなくなったも何も、お前とあいつは…」

「ああ、高野、ありがとう」

 高野が紅茶を運んできてくれ、俺と周一郎の前に並べてくれた。上品な仕草で口元に運びながら、周一郎は落ち着かない口調で呟く。

「…お前とルトは繋がってるんだろ?」

「ええでも、僕とルトは『違い』ますから」

 ふ、と溜め息をついて、今更ながら自分の慌てぶりに気づいたのか、周一郎は力を抜くようにソファに凭れた。

「ルトが今どこにいるのか、見えはするけど……わからないんです」

「ルトが迷子になったのか? どこかに入り込んだ?」

「わかりません」

「誰かに捕まったとか…」

「わからないんです。どこに居るのか、どうして戻って来ないのか,全然わからない」

「…どうしてそうなった?」

「始めは三日前、のことです」

「ちょっと待った」

 紅茶をごくごく呑み干した。何とか言う高級茶葉なんだろうが、胃に入っちまえばどれも同じ、特に俺みたいに物の価値がわからない男に飲まれた紅茶は不運だ。

「いいぞ、話せよ」

「…いきなり、ルトの視界が入ってきたんです。…それとも僕が無意識に覗いたのかな。とにかく、目の前に女の子の顔があって、その子がルトの首に何かつけながら『お願いよ、お前、これ持ってどこかへ行きなさい! ほら、帰って来ちゃだめ!』って言ってるんです。必死な目の色で、十八、か九の女性で、ルトがじっと彼女を見つめていると、ふいに男がどやどやと入ってきて、ルトはとっさに身を竦めて隠れたようでした。彼女は男二人に捕まって、どこかへ連れて行かれました。あれは……どこか……駅の構内みたいだったけど…」

「…攫われたのか?」

「そのようです。車の音がして…ルトがその車を追い始めて……そこからわからなくなりました」

 周一郎は眉を寄せて溜め息をついた。

「今は? どこにいるか、わかるか?」

「見えることは見えます。どこかの工場の隅です、たぶん。目の前に彼女が縛られていて…」

「追いついたのか」

 周一郎の目が虚ろに空を見つめた。俺には見えない闇の視界を覗き込んでいる。

「……男が尋ねています…『あの宝石は?』…彼女が応える。『何のことですか?』『ペンダントのエメラルドだよ』『家へ置いてきました』『祖母の形見だといつも着けてたはずだろ』『知りません』…っ」

「どうした?」

 周一郎が唇を噛んで体を起こした。吐き捨てる。

「彼女が叩かれました。続けます…『あれは…猫に』『猫?』『猫の首に…あなた、どこかで……、あ、あなた、パパの助手の仁木田さ…』…ちっ」

「周一郎」

「彼女が殴られて気を失ったようです。ルトが駆け寄ろうとして、見つかって急いで逃げています……男が追って…くる…」

「おい? 大丈夫か?」

 気づくと、周一郎は青ざめて苦しそうに肩で息をしている。

「気分が悪いのか?」

「いえ…大丈夫、です」

 もう一度ソファにもたれて目を閉じ、しばらく呼吸を整える相手に近寄る。

 いつもこんな風に、手出しのできない状況を延々を見続けるような状態で見てるのか。

「すまん、無理させた……おい」

 汗の滲んだ額を触って驚く。

「熱があるじゃないか!」

「ちょっと風邪気味なだけです、それより」

「高野っ!」

 声を張り上げると、すぐに高野が姿を現した。

「周一郎が風邪引いてるらしいぞ。寝かしつけるから、手を貸せ」

「一人で寝に行けますよ! それよりルトが」

「わかったわかったわかった」

 抗議する周一郎の腕を掴んで引きずり上げる。額だけじゃない、体も随分熱い。

「ルトはオレが探してやるから、お前は寝てろ!」

「大丈夫です」

「いきなり倒れても知らんぞ、俺は」

「倒れたりなんかしません」

 薄赤くなったのは熱のせいか怒りのせいかわからなかったが、どっちでも構わなかった。幾つかの事件をくぐり抜けてきたせいで、少しは近くなったと思う距離が、やっぱりこういう時にはまだまだ遠い。

「はいはい倒れないやり遂げる、朝倉周一郎だからな、けど俺は今お前を寝かしつけると決めた、そういうことだ。高野だって周一郎の体が大事だよな!」

「はい」

「高野…」

「はい高野も俺と同意見、ベッドに直接叩き込まれたくなけりゃさっさと行け」

 恨めしそうに俺を見た周一郎も、高野の懇願するような視線には抵抗しかねたらしく、不承不承付き添われて居間を出て行く。

「ったく、いじっぱりもほんと、ほどほどにしろっての、もう少し素直に甘えてくれりゃ可愛いんだが」

 周一郎に可愛いなんて形容詞を当てはめようと思った時点で間違ってるか、と溜め息をついてソファに腰を降ろした。

「…さっき、んー。何だろな…?」

 周一郎の実況を聞いていて、何か引っ掛かるものがあった。何かこう、ああそうか、こういうことじゃないかな的な、ぴたっと一瞬パズルがうまく組合わさったような感覚。

「三日前、か…」

 空の紅茶のカップを覗き込む。相変わらず、高そうな茶器セットだ。こういうのイギリスだっけ、確かヨーロッパにとんでもなく高いのがあるんだよな、うん。

「ん…?」

 ほらまた、何か引っ掛かったぞ。

 三日前……高そうな……いや、イギリス……紳士…?

「ああ、追試の日、か」

 追試の日。厳密に言えば、追試の予定日。あの日は納屋教授の娘が誘拐されたとかいなくなったとか……駅の構内を教授が探し回っていて……。確か猫の声がして。

「駅の、構内?」

 そうだ、本当なら、納屋教授は駅で娘さんと待ち合わせていたはずだった、けれど娘さんは現れなかった。

「偶然…? いや、揃い過ぎてる、よな?」

 駅の構内……南島駅……ルトの声……何かを預けられた……娘……十八、九歳……誘拐された娘も十九歳。

「おいおい、おいおい」

 ひょっとしたら、周一郎が見た娘っていうのは、納屋教授の娘さんじゃないのか? どこかで写真を手に入れて、周一郎に確認すれば絶好の証拠、それにもう一つ、ニキタとか言う男が納屋教授の助手に居たとしたら。

「よし、明日お由宇にでも当たってみよう!」

 よせばよかったのに。

 俺はそう、決心してしまった。


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