04
好きな人と両思いになった次のプロセスはもちろん、
「わたし、祐樹先輩と付き合う事になった!」
友達への報告という名の自慢だ。
嬉々として伝えるわたしに、理恵は「ラインで聞いたよ」とスマホをさわりながら平坦なテンションで返した。それはそうだけど。ムッと眉間に皺を寄せるわたしに構わず、理恵はスマホをいじり続ける。
「文字だけじゃ高揚感とか伝わらないじゃん!」
「伝わる伝わる。わたしゆうきせんぱいとつきあうことになったって全部ひらがなだし語尾にビックリマーク十個ぐらい羅列してるし。ラインでも言ったけどよかったねおめでとう」
「つれないー!」
机をバンバン叩きながら理恵の薄情さを責める。「だってねぇ」と理恵は妙に悟りを開いたように目を細めた。
「ま、いつかわかるよ。千春も」
「なにそれ!」
「わかるわかる。あたしの言ってること。いつか絶対わかるから」
余裕たっぷりに笑いながら、理恵は小さな子に言い聞かせるように言う。いつかサンタさんの正体に気づくよ。そんな体で。
「いつかっていつ!」
憤然と食って掛かる。理恵は少し逡巡してから答えた。
「本物とちゃんと関わったら」
◆
理恵の言わんとしたい事は抽象的な表現ではぐらかすばかりで何が言いたいのかさっぱりわからなかった。いつかわかる。いつかいつかいつか。先輩も理恵も、祐樹先輩を好きだと伝えると皆して達観したように『いつかわかる』と口をそろえる。
理恵から『祐樹先輩と付き合えるなんてすごいね!』という賞賛の言葉をもらえずに肩透かしを食らい、もやもやが胸の中に溜まる。
あんなにかっこいい人なのに。ていうか友達に彼氏…ではない、彼女ができたのなら喜ぶもんじゃない?
なんなのなんなのなんなの。
「千春どしたの? なんか元気ないね?」
マネ仲間の明日香ちゃんにひょいと顔を覗き込まれ、ハッと我に返る。純粋にわたしを心配する二つの瞳がすぐそこに在った。
「ううん、ごめん。大丈夫」
「そう? ならいいんだけど…」
明日香ちゃんは尚もわたしを案じるように眉を寄せていた。明日香ちゃんはわたしと同じく、祐樹先輩目当てで入った女の子。だからまだ祐樹先輩と付き合えた事は言っていない。だって少女漫画によるとかっこいい彼氏ができると周りの女子にイジメられるということなので。だから言えていない、んだけども。
合わせた唇がむずむずと震える。言いたい。言いたい言いたい言いたい。
祐樹先輩と付き合ってると、自慢したい!
〝いじめられる〟か〝自慢したい〟か。ふたつを秤に掛ける。すると〝自慢したい〟に『まあみんなそんな悪い子じゃないでしょ!』と希望的観測が加わる。
ごとりを音を立てて〝自慢したい〟が深く、下がった。
「…明日香ちゃん、あの、わたしさ…」
◆
「祐樹先輩!」
校門を出た所で祐樹先輩は背を壁に預けて空を見上げながらボーッとしていた。小走りで駆け寄るわたしを見つけるとひらひらと手を振ってくれた。それだけでかっこいい。
祐樹先輩の着替えは三分以内に終わる。練習着を脱ぐ。汗を拭く。無臭のエイトフォーを適当にぶっかける。制服を着る。「お疲れ様でーす」と出る。もしかしたら三分かかってないかも。
わたしは喋りながらジャージを脱ぐ。喋りながら着替える。エイトフォーのフローラルを丁寧に体に吹き付ける。鏡を見ながら念入りに髪の毛を櫛で整えて色付きリップを塗る。身支度に十五分は要するのに加え、今日は皆から小声で質問攻めに遭っていた。
「お待たせしました!」
「うん待った」
「すみません! ちょっとみんなに捕まってて!」
「いや別にいいよ」
ああ感じる感じる感じる!
背中に羨望の眼差しを浴びながら、真正面で祐樹先輩を受け止める。なんと幸せな事だろうか。
明日香ちゃんに祐樹先輩と付き合っている事を伝えると、絶叫された。そしてその後先輩に私も一緒に注意された。すみません。
ええっ。すごいっ。どうやって!?
先輩達に聞こえないように声を潜めて質問攻めを受ける。期待通りの反応を得られた事が嬉しくて勿体ぶりながら答えていくと他の子も興味深そうに顔を出してきた。
『千春、祐樹先輩と付き合ってるんだって!』
ええええええええ!?
またしても期待通りの反応を獲得したわたしの鼻の穴はこれ以上ないってほどに膨らんだ。
部活後サイゼに連行されかけたけど祐樹先輩と一緒に帰るからと断ったら、『いいなあ~!』の大合唱。
理恵の時は得られたなかった求めていた反応をやっと手に入れたわたしの気分は上がりに上がった。
それに何よりも。付き合っている人と一緒に帰る。ザ・高校生の恋愛! という趣を感じられてわたしのニヤニヤは止まらなかった。しかもこの提案をしてきたのは祐樹先輩なのだ。
「明日から一緒に帰る?」というメッセージを読んだ瞬間、三秒固まってから、ベッドの上で飛び跳ねた。
「千春ばいばーい!」
「お幸せにー!」
「いいなー!」
「やだもーみんな~」
一年生の皆はわたしを冷やかしながら帰る。けど二年生以上の先輩たちは。ああはいそういうことね…と言わんばかりの表情で、やれやれと苦笑を浮かべたりなんかしてる。祐樹、千春、ばいばい。いつもの達観したような表情で。
私の祐樹に何すんのよこの小娘! といじめられたい訳でもないけどやれやれ顔で生暖かく見守られるのもなんだか面白くない。
バカにされてるわけではないとは思うけど。軽んじられているような気がする。
「千春どうしたの? ずっと黙ってるけど」
靄つきが胸の中を巣食い出した時、祐樹先輩に顔を覗き込まれた。祐樹先輩とは身長差が20センチ程あるので、近くに祐樹先輩のお顔があることはほぼない。突然大好きなお顔がすぐそこに現れて、わたしの心臓は大きく飛び跳ねる。慌てて出した声は裏返った。
「あっいいえっ! そ、その、皆優しいなーって考えてて! ほら、少女漫画とかだと祐樹先輩的な人と付き合ったらいじめられちゃうじゃないですか! なのにそういうの全然ないから皆ほんとに心広いな~って!」
祐樹先輩はぱちぱちと瞬きを繰り返してからわたしからゆっくり目を逸らした。「それはさ、」背筋を正し、元の位置に顔を戻す。
「私が女子だからでしょ」
報告書でも読み上げるような平坦な声だった。
特に何の感情も籠められていない。
祐樹先輩が女子。そんなことはとっくの昔に知っている。
女子だから、何なんだろう。
疑問が口から衝いて出てくる前に、小さな水滴が頬に当たった。気付いたらオレンジ色の空は灰色の雲に覆われていた。げ、と口角を引き攣らせている間に、少しずつだけど確かに雨脚は勢いを増していく。
「千春、傘持ってる?」
「も、持ってません」
「じゃあ、」
祐樹先輩はリュックから折り畳み傘を取り出した。深い青色。わたしが自分では選ばない色だ。
細く長い指が袋から傘を取り出し、ボタンを外す。畳まれている部分をひとつずつ伸ばし、傘を広げる。
それだけの事がまるで水が流れるように、綺麗だった。
「入って」
流麗な仕草に相合傘のお誘い。興奮と幸福により、わたしの疑問はあっという間に流されていった。