03
わたしは恋に生きるため、バスケ部に入部した。が、運動神経はゼロなのでプレーヤーではなくマネージャーになった。そして同じ考えの人間はわたしの他に数人いた。バスケ部は全員で二十三人だがそのうち十一人がマネージャーだ。マネージャー多くない!? とよく驚かれる。
マネージャーは十一人中七人が一年生で全員祐樹先輩に恋をしているけれど、仲は良い。祐樹先輩の素敵なところをお互いに語り合っている内に五時間経過したこともある。全員ドリンクバーしか頼んでいなかったのでお会計の時の店員さんの『ありがとうございましたー』に全く心が籠っていなかった。残りの四人は二年生と三年生が二人ずつ。祐樹先輩できゃあきゃあ盛り上がるわたし達に『そういう時期、あるよね』と苦笑する。
そういう時期とは何なのだろう。どういうことですか? と質問したら『いつかわかるよ』と小さな子に語り掛けるような口ぶりで返された。子ども扱いされて面白くないけど、でも、先輩たちは実際大人っぽいし視野も広い。選手の体調不良や備品の欠品にいち早く気付く。同じ場所に立っているのにわたしには見えないものが見えている。
年齢を重ねると、今は見えない景色が見えるようになるのだろうか。
「ごめん。待った?」
「いえ! 全く!」
今のわたしは祐樹先輩しか見えていないけども、この先もそれで大丈夫な気がする!
首をぶんぶん振りながら待ってない事を伝えると祐樹先輩は「ならよかったー」と安心したように笑った。
「チケット買いにいこっか」
「はっ、はい。…あっ、そうだ! その、祐樹先輩!」
「なに?」
口元に丸めた手を宛がいながら上目遣いで祐樹先輩を見上げて、声をいつもよりワントーン上げた。
「離れちゃいそうだから、先輩の服、掴んどいてもいいですか………?」
「伸びない程度なら別にいいよ」
「やったー! ありがとうございます!」
祐樹先輩のパーカーの袖を少しだけつまむ。すると多幸感が胸を締め付けて窒息死しかけた。息も絶え絶えになりながらわたしは問いかける。
「先輩、服って普段どこで買われるんですか…!?」
「お母さんが買ってきてくれた奴だからわかんない」
抜けるような青い空は映画が終わる頃には薄い紫とオレンジ色のグラデーションに移り変わっていた。面白かったねぇと目を細めてポケモンの感想を楽し気に語る先輩にそうですねと頷きながらも、わたしは心あらずだった。
今日は本当に、夢のような一日だった。映画鑑賞後、カフェに立ち寄ってお茶を飲んだ。静かな声色だけどいつもより少し早口で映画の感想を語る祐樹先輩はあどけなくて可愛くて、胸の奥がきゅうっと甘く痺れた。わたし、先輩とデートしている。心の中で確かめるように呟くとデートという単語はわたしをどっぷりと溺れるように陶酔させた。こんな日々を永遠に続けたい。ならば、わたしがやらねばいけないことはひとつだけ。
すうと息を吸い込むと生ぬるい空気が体中に染み渡る。あまり頭はしゃんとしない。依然として膜で覆われたように、頭はぼんやりしている。それなのに、心臓だけはやたらと激しく騒いでいた、どくん、どくん、どくん。暴れ回る心臓の音が耳まで届いている。ピカチュウがさぁ、と嬉々として語る先輩を淡いオレンジ色の光が照らし、長い睫毛が頬に影を落としていた。
「千春?」
黙りこくってただ見つめてくるわたしに気づき、祐樹先輩は首を傾げる。その拍子に前髪がさらさらと流れるように揺れた。
理恵はわたしのことを大袈裟だといつも言う。きっと今もわたしの心の声が聞こえていたら『だから大袈裟だって』とあきれるだろう。
だけど確かに思ったのだ。目の前の先輩を前に、わたしを構成するすべての細胞が叫んでいる。
この人が、世界でいちばん、かっこよくて綺麗。
「おーい、ちは、」
「好きです!!」
目の前でひらひらと手を振っている祐樹先輩に食って掛かるようにして、わたしは思いを告げた。
「え?」
「好きです!! 付き合ってください!!!」
鼻息荒くして告白してきたわたしを、祐樹先輩は目を丸くして凝視している。半開きの唇を一度ゆっくりと閉じて、逡巡するように目を泳がせてからもう一度わたしに焦点を合わせた。
落ち着いた声で、静かにわたしに問いかける。
「付き合うって、交際するって意味での付き合う…だよね?」
「そうです!!!」
興奮の冷め止まないわたしは力強く頷く。
「私、女だよ?」
念押しするような声だった。何を当たり前の事を言うのだろう。「知ってます!」と間髪入れずに答えた。
「わたし、綺麗でかっこいい人が好きなんです! 綺麗でかっこいいに男も女もありません!」
祐樹先輩はぱちぱちと目を瞬かせていた。少し面食らっているように見える。やば、がっつきすぎたかな。もっとおしとやかにいくべきだったかな。でもおしとやかってどうすればあああわかんええ。おしとやかとは程遠い思考に犯されながら一抹の不安が芽生え始めた時だった。
「いいよ。付き合お」
祐樹先輩はあっという間にそんなもの、摘んでしまった。
時間はとめどなく流れていく。過去には遡れない。今は進み続ける。科学的にも証明されている。だけどその瞬間、確かに時が止まった。
「これからよろしくね」
口をぽかーんと開いて呆然と祐樹先輩を見上げるわたしに、淡々と告げる。言葉とは裏腹に先輩が後輩に指示するような機械的な声色で、甘い響きはない。だけど、片思い歴三か月。やっと思いが繋がったわたしはけた違いの喜びを受け止める事で精一杯で、祐樹先輩の思惑に思考を割く余裕等一欠けらたりとも残されていなかった。