第九話 新の生
里を捨てた一族は、守鬼に指定された場所に腰を落ち着けた。
そこは長年放置されていた処であったが、確かに住居の痕跡がある。一見して大木や岩石はなく、居を置きやすい空間が用意されていた
、
しかし、ある噂がどこからともなく広がってゆく。
曰く、この地は忌み地である。先の大戦において、美貴による化者の虐殺の地であり、その無念の遺体は今もこの地の下に眠っている。美貴と、裏切りの銀狼を呪いながら。
事実、土を掘り返せば白骨がごろごろと出てくる。掘り返した者は皆、その時の表情をなんともやるせないものにした。
一族の全体に暗いが影が落ちた。
新たな里の周辺の林には、守鬼の旗下にある化者の兵が立ち、こちらを監視している。
まるで捕虜のようだな、とテムは呟いた。だが、今は辛抱だ、とも。もう一月もせずに在真が率いる朝廷軍が攻め込んでくる。そうなれば、奴らも俺らを頼らざるを得ない。
テムは忙しく里を出入りしている。傍らには常に青白い顔の男、アチェがいる。戦の準備を守鬼としているらしい。周りの有象無象の化者はともかく、守鬼だけは私たちの実力とその価値を認めているとのことである。
十八騎の騎白狼の内、実に十六騎をテムは私に与えた。
里での決起の際に一番槍にて、族長トゥグを殺して以来、軍事においての私の地位は他よりも高いものであったが、朱柵の砦の攻略によって、その地位は万全なものとなった。中には英雄のように私の名を出す者もいるという。
私は特に秀でた十五人の兵を選び、彼らに騎白狼を配した。
銀狼の総大将は言うまでもなくテムである。次の戦においては直接指揮を執ると明言しているが、十六騎の遊撃隊として、私の隊は自由な行動を許されていた。それは日々の鍛錬でも変わらない。
人狼一体。旗下の兵と共に山を駆け続けた。見て、聞いて、嗅いで、感じて。乗る銀狼と駆ける騎白狼。共に山の全てを識る必要があった。こここそが戦地となり、死地となる。銀狼は急襲に長ける化者であり、長所を最大限活かすためには地を知らなければならぬ。
徹底した。私の隊は里に帰らず、山の隅々まで駆けた。他の化者の里も、聖域とされている場所も、躊躇いなく入り込んだ。反発され、血を見ることも覚悟の上であったが、不思議と剣を抜いて対峙するような事態にはならなかった。
私たちが来ると、彼らはまず驚き、そして恐れの色を見せ、そのまま黙した。それは鎧を纏った兵も同様で、むしろその臆病さに呆れた。
縦横無尽。昼夜なく駆けたが、やはり夜の世界こそが、銀狼の本領であることを理解した。昼は日の光も蟲や獣どもも煩く、五感を澄ます狩人には刺激が大きい。月夜の静謐さの中に溶け込むことの何と甘美なことか。美しい殺人というのは確かにある。そして、本能が月下に血を見るのを好む。
数日間休みなく山の隅々まで経験して、里に戻っていた時、ある諍いを見つけた。
川の前で数人の銀狼がその数倍はいる近隣の化者どもと激しく言い合っていた。
相手の中心にいるのは黒色の狼の耳と尾を持つ化者であった。一見すると銀狼と色違いなだけに見えるが、実際は流浪の果てに山に辿り着いた銀狼と違い、太古よりここに住む狼の化者である。私たちとの関連は全くと言ってよいほどない。
旗下の兵らに気配を隠すように命じた。鍛錬の甲斐があって、指を微かに動かすだけですぐに意図を察知し、思い通りに動いてくれる。
私も影から耳をそばだてた。
口論の内容は川の利権のことであるようであった。
元々近辺に住んでいた化者にとって、この川からの収穫は重要な食を得る一つの手段であったのだろう。そこに五百の新たな集団が突如現れ、縄張りを荒らすようになった。川だけでなく、衝突は其処かしこで発生している。
だが、新規参入である銀郎族はいつも引き下がっているとい聞いた。背にかかるのは、土地を借りている負い目と、過去の呪縛か。今も卑屈に顔を下に向け、相手の言われるがままにまかせている。
部下を叢に隠したまま、騎白狼の背を蹴って、私は一騎にて前にでた。
驚いた顔は瞬時に両者に現れたが、どうやらやってきたのが私であるということが分かるにつれ、黒い狼の化者を中心とした一団は先の勢いを失くしたようである。
「何をしているのでしょうか?」
述べた言葉の先は鋭く。借りも、負い目も、私には関係がない。余計な重しは背負わず、どうでも良いことで苦労はしない。
「ミシュ様……」
この場にいる銀狼たちの中の最も若い男が私の名を口にした。
「ミシュ。……朱柵の砦を一人で落としたというのは、おまえか」
黒狼の男は後ずさりながら、それでも精一杯の強がりのように質した。
「私ではありません。私はただの剣。どれほど鋭かろうと、武器が何かを成すことはないでしょう」
「つまり、使い手がいると?」
「ええ、私を使うのは、主であるとテム、そして銀狼の民です。理解できますか? 剣は使い手に危害を及ぼす存在を消し去るためにあります。そこに余計なしがらみや遠慮はありません」
「……ああ、わかった」
「ところで、銀狼の民を虐げようとする化者がいるらしいですね。私はその者らの首をはねた方がよいのでしょうか?」
跨る騎白狼が低く、うなりを上げた。
銀郎を威嚇するために集まったのであろう化者の一団は、いまや誰もが顔を青染めさせている。
「待ってくれ。俺たちはただ話をしに来ただけだ」
「そうですか。では続けてください。私たちはここで見ておりますので」
すっと右手の人差し指で天を指した。叢に隠れていた部下が姿を見せる。
突如現れた十五騎に、黒狼らはもはや哀れなほどに血の気を失くし、誰からともなく
「青狼白騎」
と、かつて戦場に鳴り響いた名を口にした。
一方、見守っていた際には沈としていた銀狼たちは逆に血色あふれた誇りある表情に変わっている。
話し合いの内容は、やはり川からの収穫についてであった。
ただ、両者ともにこの場で取り決めを行えるほどの権限を持っているものはおらず、ひとまず共存のため協力をしていくという形で落ち着いた。
山の化者がそそくさと帰った後、銀等たちは私に向かって深々とお辞儀をした。




