第八話 妄の美
与えられた兵も置き去りに。
感覚がにぶり、現実との乖離が始まるのを感じる。跨る騎白狼はもはや躰の一部となる。
恐怖もなく、ただ甘い興奮に包まれる。
ああ、なんと綺麗な月が頭上にあることか。月に餓えるだと。私ほどに、月を求める者などいるものか。
今宵映えるは赤。在真の象徴ではない。奴らの屍を彩るものだ。
朱柵の砦。そこは篝火が隙間なく配置され、化者を威嚇すると同時に別根院に存在を見せ続けている。元々は化者の攻勢があった際に時間稼ぎをするため造られたものであるという。
東へ。獣道すらなき山の斜面を全力で駆ける。とうに一人。後続の百の兵は私の食べ残しを始末すればよい。
やがて見えてきた砦は八尺ほどの壁が横たえている。
騎白狼は些かも速度を落とさずに猛進する。
私が騎白狼の腹をけると同時に、後ろ脚にて跳ねた。それでも、壁を超えることはできない。
だが、私の手は届いた。
騎白狼から飛び出して砦内へ乗り込む。
信じられないものを見たような目を向ける守兵の無防備を逃さず、喉に剣を食い込ませる。
下で騎白狼が吠えるのを聞いた。私も吠えた。
次々とやってくる敵兵。矢を放つ弦の音。
テムより賜った紫の剣は、敵を小枝ように容易く裁断する。
百の刃が身に迫り、飛び散る血滴は万を超える。なんと敵の所作の遅いことか。血走った目でがむしゃらに切りつけるだけで、まともこちらを見てすらいない。
十六、十七、十八。殺す。処す。
四十一、四十二、、、六十五。
頬を刃が掠めた。思わず笑みが浮かぶ。全身の火照りは、口から出る吐息は、淫売の母に似ていることだろう。
もっと、もっと、私を求めよ。須らく全てを捧げて、剣を振れ。その悉くの意思を、私は真っ向から打ち砕いてやろう。
いく度吠えたか。やがて、下から剣戟の音と喊声が上がる。
逃げ行く敵兵の姿がちらほらと視界の隅に映る。なんと愚かな。逃げ延びた生に、どれほどの価値があるのか。
味方の声が近い。もう砦は落ちたか。
だが、もう少しだけ、最後まで、踊りたい。
敵の集団を見つけ、そこに飛び込む。殺して、殺して、殺して。
白の鎧が深紅に塗れた時に、最後の一人の命を断った。
ふと気が付くと、呆然として百の銀狼たちが私をみている。あるのは畏怖の色。
私はゆっくりと囲む兵らを見渡した。
「吠えなさい。狩りは成功しました」
その瞬間、爆発ような喊声が、砦内に満ち、空へ昇った。