第七話 外の黒
テムは里に戻るとすぐに一族を二つに分けた。総勢五百の内、一方を三百、一方を二百としたのである。
夜半の月下にて里が騒がしくなる。
三百はテムが率いて山の奥へ、化者の支配地へゆく。二百は私が率いて、在真が山に築いた砦を落としにゆく。
テムと守鬼はあの会談の中途より他の者たちを下がらせ、密談をしていた。その全貌は分からないが、銀狼が砦を攻略することと、守鬼が銀狼の新たに住まう土地を山の奥に用意することは決まったようである。
この里は古来よりの故郷であるとはいえ、この地にて在真が築いた獣府を落とし、そこに努めていた美貴を殺したのである。いつ在真の兵が現れるか分からない。
少なくとも一月後に迫った戦において、最初に目標値になることは目に見えていた。
故に、テムは新たな拠点を奥地に求め、守鬼はそれを承諾したのだろう。
テムは副官としてアチェを従え、三百の一族とともに貰った土地の開墾に向かう。住居や食等の生活基盤の確保、近隣となる化者との交渉を含め、自身の体制の盤石化を行ってゆくという。
「あれは何者ですか?」
次々と指示を出し忙しそうにしているテムに、私はそれでも思わず質してしまった。視線の先には不気味な黒鎧がいた。それは里の外れに影のように朧気に佇んでいる。
全身が鎧に覆われており、中身は様として知れない。ただその纏う空気は、テムとも在真シウミとも守鬼とも違う凄みが、ある種の禁忌的な嫌悪すら感じるものである。
「ああ、あれば気にしなくて良い。美貴を殺すために雇った殺人鬼だ」
「殺人鬼……」
「そうだ。銀狼は美貴の朝廷に降ることによって、誇りも信用も失くしたが、得たものもある」
テムは諭すように言う。
「それは繋がりだ。
朝廷という強大な組織の末端に属することは、閉鎖された山の社会から世界が広がることでもあった。二百年を通じて、朝廷でも、あるいは在真でもない者たちと知り合う機会があった。無論、秘密裏にだが」
「それがあの者というのですか?」
「そうだ。朝廷という構造の中に入ることによって、その中心と外縁がよく見えるようになる。外れにいる多くはただ絶望するだけだが、反抗する者もいないわけではない。あの黒鎧は性別も、美貴か、化者か、醜下かも不明だが、支配者たる美貴を恨み、現実に手に掛けていることは確かだ」
そのままテムは倉に私を連れて行った。
そこにあったのは五つの黒い箱であった。先に守鬼に贈ったそれと同じである。
まさか、と思わず口にでた。開けてみろとテムは静かに言った。
一つの箱を開けると、やはり予想通りで、続けざまに全てを開けたが、どれも同じものが入っていた。美を自称する者どもの首である。
「腐敗はそれほど進んでいない……あの黒鎧は短期間にこれほどの美貴を殺したのですか……ただ、これだけは顔を確認できませんね」
「ああ、そうだな。一体、どういう殺し方をしたのか、それだけは見ての通り、美貴か醜下か分からぬほどに顔を割られている。
だた、いろいろと付属品を渡されたぞ。例えば見よ、この者が持っていたという扇子だ。白い藤が右隅に描かれているだろう。
これは在真と同じ至美貴が一家、白藤一族に連なる者の証左だ。無論、白藤宗家から末端も末端、本人は小美貴に過ぎない奴であろうが。もう一つ、任命状もある。そこには真加髪ナリトという史家の男が都から別根院に異動となることが書かれている。どうやら黒鎧はその移動の途中で、殺したみたいだ」
驚くべきことであった。獣府と呼ばれたこの里にも確かに美貴はいた。だが、それも小美貴の一人だけだ。先の決起ではその者を殺すのに十の銀狼が犠牲になった。
「腕はかなり立つということですね。少なくとも小美貴を殺せるほどには」
「別根院は大騒ぎだろうな。奴らは千の醜下が殺されようが気にもとめないが、一人の美貴のためなら戦争を起こす」
「……この首は、里を守るためですか」
ようやく、得心がいった。
在真は八年に一度、必ず兵を起こす。それは八年に一度山の神に捧げる大規模な祭を行うためであり、軍事行動が純軍事的な目的以外に優先されている証でもある。
私たちは里での決起を次の在真の侵攻の一カ月前に起こした。その時であれば在真は、朝廷は、すぐに里に兵を派遣することはなく、間近に迫った戦の際のついでとして処理しようとするだろうという読みだ。
だが、テムはそれだけでは安心しなかったのだろう。
「在真シウミは銀狼の反乱よりも、別根院の足元で起こった美貴の殺人への対処に追われているだろうな。……俺たちは奴らがくる前に里から離れることができる。」
見惚れるほどに美しい青き目がぎらりと光る。それは一族の運命を背負うも者の凄みか。
「ミシュよ、ミシュよ、 ミシュよ」
主は三度、私を呼んだ。
「弱き者が強き者を倒すには、常人は避けることをやらねばならぬ。
俺はこれまで三度やり遂げた。お前の父を殺して銀狼の長となったことが一つ、俺らを憎む化者たちにこちらの要望を叶えさせたのが一つ、そして在真が里を襲う前に一族を移動させることができることが一つだ。
だが、これからも試練は続く。……ミシュよ、四つ目の業はお前に任せる。在真の最前線の砦ーー朱柵の砦を落とせ。くれぐれも失敗はするな。俺たちの未来は勝ち続けた先にしかないのだから」
その言葉は、何よりも私を奮わせる。
「貴方は負けるはずがない。私が貴方を負かせない。山の上より見ていてください。勝利の光を必ずその目に献上します」
テムはふっと口を歪めた。そして十八騎の騎白狼の内、十六騎を私に与えると言った。
「銀狼の戦を美貴どもに思い出させよ」
テムは最後にそう言い残して、里を離れる準備へと戻っていった。
溢れる闘志を風で冷やそうとしたとき、一人の男が近づいてきた。事実上、参謀としてテムの傍に常にいるアチェである。雨天の空よりも青ざめた顔。神経質なその細身を、私は好きになることができなかった。
アチェは気味悪く笑顔を浮かべ言った。
「相変わらず僕には不愛想だね」
「それは互いにでしょう。私たちの間には特に話すこともないはずです」
「そう言わないでくれよ。テムも君と僕が仲良くすることを望んでいる。君が彼の矛だとすれば僕は地図だ。戦争に勝つにはどちらも必要だろう?」
私は肩を竦めた。この男は、昔から思ってもいないこと言って、それで他者を動かすのを得意としていた。
「要件は……あの黒鎧のことですか?」
「そうだね。あの黒鎧の名前はガガツという」
アチェは頭上の月をお前も見よと視線で語るように、顔を天に上げた。
新円に近いが、僅かに駆けている夜空の球体は、ともすれば魂が吸い込まれそうな魅力がある。
「美貴は月に例えられる。暗闇の世界を照らす月光。昼の日輪もまた美貴の比喩にされるが、目も当てられぬほどに強烈な光は、至美貴を表すことのみに使われる。
一般的に地上の生の醜さでは到底届かぬ尊さを表現するのは、月こそふさわしい。ガガツとは即ち、餓月。月に餓えるということ。あれは美貴を喰らうことのみが目的の、救えぬ人殺しよ」
「そのようなことを、何故私に伝えるのですか?」
「なに、ガガツは僕が連れてきたんだ。実はバル様がご健在の頃から、公にできない、外部との接触は僕がやっている。
とても骨を折ったよ。何度殺されかけたことか。……だが、その甲斐はあった。あれは十分に活躍している。数えきれぬほどの死体が転がって、別根院は混乱の最中だ」
アチェは一歩、近づいた。笑みをたたえた顔には底冷えする眼が埋められている。
「殺し合わないでね、あれと。次の戦争の勝利に必須の道具だよ、あれは。最も、壊そうとした者が壊れることもあり得るけどね」
その言葉に心臓が、少しだけ大きく、鼓動した。
言いたいことだけ言うと、アチェは返事もまたず背を向けて去っていった。
残された私は胸に手を当て、夜空を見た。
そういえば、母もまた月のように美しいと言われていた。
無性に剣を振るいたい。あかい、あかい液体で己が身を穢したい。
剣を抜き、その刀身に月影を反射させ、その光に導かれるままに、己が掌を一閃。皮を裂いた跡から出てくるそれを舌で拭いた。