第五話 四の化
銀狼族には戦場においての馬の代わりとなる巨大な狼がいる。
元々、銀狼には二種あり、二足歩行で言葉を話す銀狼を二銀狼、四足歩行で言語が話せぬ代わりにより攻撃性の高い銀狼を四銀狼と呼んだ。巨大な狼はその内の四銀狼のことである。共に月によく煌めく白銀の毛を纏っている。
しかし、恐らくは普段の会話の便宜上の理由によって、いつしか銀狼とは二足歩行の私たちのみを指す言葉として定着し、四銀狼は主に二銀狼を背に乗せる役割であること美しい白の見た目から、騎白狼と呼ばれるようになった。
戦場において、騎白狼は美貴が最も恐れた存在という。銀狼が騎白狼に乗る姿は”青狼死騎”と呼ばれ、それが上げた美貴の首級の数の夥しさから、今に至るまで恐怖の代名詞の一つとして都では恐れられているという。
故に、降伏した銀狼を前にして、在真が行った第一のことは騎白狼のことであった。
美貴からすれば、二足の銀狼は会話を行うことができ、曲りなりにも降伏を選ぶだけの知恵がある。
そのため歴史と誇りを失くすために名を灰狼と改めさせ、生業から戦を取り上げ、飼いならしを行うおとで、脅威を取り去ることができると判断したが、四足の銀狼は存在その者が剣である。
それは戦にて美貴を殺すことに特化した在り方そのもの。
銀狼の長が一族としての恭順を宣言した後、美貴が里に訪れた際にも、そんなことは存ぜぬとばかりに敵意と牙を剥き出しに今にも飛び掛からんとしていたという。
灰狼と名を改めた敗北者たちに降りてきた命は簡潔であった。
”騎白狼は全て処分せよ。”
一族は自らの手で古来よりの最大の戦友であり、命を共にし、分かち難い家族である筈の同族を、順々に殺していった。
二百年経った今においてもその時の悲劇は語り継がれている。騎白狼は美貴に見せる時と同じ顔とは思えぬほどの穏やかな表情で、処刑人が剣を振りかぶっても、それは変わることがなかった。
ただ、心臓に剣先を突き立てた時に、とても悲しそうに目を潤ませただけであったと。
銀狼がいくら灰狼となったとしても絶やすことの決断はできない。大多数の者はそう考え、その結果、ごく少数の騎白狼だけは、美貴の目の届かぬ里の外れに映された。
秘密裏に種の存続が図られたのである。
そして、今の騎白狼の総数は十頭余り。管理は最も反美貴の色が強い北村が半ば無理矢理に勝ち取った。
騎白狼は殆ど直進でかけることはしない。ここは樹木が生い茂る不霊山である。大木や岩を避けてゆくと、自然とその疾駆は流線となる。
――六騎が駆けていた。
鬼熊の長、守鬼との会見に臨むテムと、それに同行する者たちである。テムを中心として右にはやはり青白い顔をしたアチェが、左には私がいる。
一騎が私たちを先導するように掛け、後方に二騎が続く。しなやかな線の流れが音もなく進行する。
テムら一党は北村を主導していたバルによって隠れてこの巨大な狼に騎乗をしてきた。それ故に、里の実権を獲得した後、こうして速やかに活用ができている。
とはいっても、ここまでの本格的な疾走は初めてのことであるのだが、六騎ともまるこれまで幾度も経験してきたかのように極めて自然である。駆ける方も、乗る方もだ。
森閑とした月夜にて、松明の炎は先端にて赤い粉となり宙へ帰ってゆく。
鬼熊の住処は洞窟の集まりである。樹はまだらに、すぐ上には雪に覆われ、その雪を除くと刺々しい地肌に露わになる。
剛力たる鬼熊であればそこに生活のために穴を穿つこともできると言うが、好んで住みたい場所ではない。
一般にこの鬼熊のいる一帯こそが、山に居を構える上限とされている。
洞窟には鬼熊だけでなく、山にいるあらゆる化者たちがいる。それは一般的には化者の集落としては当然のことだ。多くの化者は自らの種に拘りは持たず、雑多に暮らし、婚姻も種族で選ぶことはない。むしろ、純を尊ぶ化者の方が珍しいだろう。
だが、銀狼と並んで鬼熊もまた、己が一族の者とのみ子を持つことを掟としている。鬼熊の他を圧倒する膂力が、他の血を混ぜることを拒否するのだろう。
ならば何故、銀狼の様に一族だけで里を形成しないのかと問われれば、簡単だ、やつらはその数が非常に少ないのである。
総勢は二〇人程度と言われている。それは一族というよりも一家といった方が正しいのかもしれない。さらに家長は山の総大将であるという立場もまた同じ血の中に籠るのを許さないのであろう。
無論、山の中心たる鬼熊の住処である。他の化者も全体でみれば指導的な立場の者が集まっているだろう。
数十の洞穴が山に穿たれているが、その周辺に柵のような備えはない。
ここに到るまでの険とした岳こそが難航不落の要塞なのである。美貴は、在真は、千年以上の幾度とない戦においても未だこの地を征したことはない。
テムは事前に使者を守鬼に遣っていたのだろう。十人ほどの化者の兵が松明を持って待ち構えていた。
自然に溶け込むことを狙ってか、濃い草色の兵装である。
よくよくと一人一人に焦点を当てる、狐や蛇、山猫の特徴がそれぞれの兵士に見受けられる。
所謂鳥獣というものとほぼ変わらない外見の者もいれば、一見だけでは人間にしか見えない者もいる。
多様な外見を持つ兵らにおいて、同じ特徴を上げるとすれば、私たちを見る目つきだ。
それは久方ぶりの戦友を見るものとは真逆の、親を殺した敵を戦場で見つけたような鋭さであった。