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湖面に刺す  作者: 京宏
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第三話 代の軛

 己を育てた大地に、己を育てた親兄弟の血を流すことの迷いなど、ない。毒だ。やつらは。


 白の耳朶に白の尾。美貴は我らを灰狼と呼ぶが、始祖を銀白の狼と謳い、自らは銀狼と名乗

る。私たちは、その白の名に恥じることない貴き誇りと純粋を宿した一族であった。


 朝廷という体制が、その美の裏に潜む暴力を持って世界を飲み込むための征服を開始した時も、私たちは他の化者を指導する一族の一つとして抗い続けた。

 その功績は、現に不霊山が未だ化者たちの住処であることから明らかである。


 不霊山は朝廷の領地に穿たれた一点の穴となっている。


 四方はとうに美貴の力に屈し、其処にいた化者たちは悉くすり鉢をするが如く殺された。

 美貴は美しさに準じた暴力を持ち、上位の者より至美貴、大美貴、中美貴、小美貴に分かれるが、大美貴と至美貴の美しさ、即ち、強さは現世のものとは思えぬものであり、これらが戦場に出向くや化者は屍の山を築いた。


 だが、不霊の山に拠る化者には太古より鬼熊という、至美貴が一つ在真一門に伍する力を持つ化者がいた。そして、太古において放浪を続けていた銀狼は、鬼熊との出会いを契機として山に居を構え、反朝廷、反在真の闘争に一族の運命を投じることになった。

 

 崖を降りるのではなく飛ぶように。背後にいる同胞のことも気にせずに駆ける。


 里の各所に設置された見張り台にいる者が、私を見るや何かを大声で叫んだ。

 見張り台はもともと設置されていなかったが、師、バルの極刑後、彼の弟子たちの尋常ならざる気を感じた里の指導部が急遽設置したのである。


 見張り台からの矢が頬を掠った。恐怖はない。だが怒りが増した。銀狼はその身こそが至高の弓であり矢である。風に乗り、風を追い越す。それを、怨敵から与えられた武器に頼るとは。

 

 ――二百年前のその日、銀狼族の長は朝廷に降伏に使者を出した。在真の何十度目かの戦争を直前にした時であった。

 

 長はそれを『帰美宣言』とのたまった。彼は言った。朝廷――在真との戦争は千年に及び、その全ての戦において領地を奪われることはあれど取り返すことはなかった。

 不霊山以外の地は美貴に服して久しく、かつて共に戦場を掛けた戦友たちはもはや戻ってくることはない。滅びが見えた。

 これから一族の血をどれほど流そうとも、美貴に抗う限りは絶滅の未来のみが待ち受けている。祖先の戦場での決死を思えばこそ、種の存続のため、未来のために、剣を捨てるのである、と。


 その宣言を聞いた当時の銀狼は項垂れるばかりであったという。

 彼らは血涙を流しながら訴えを認め、臆病と裏切りの誹りを免れぬ長を称えた。


 かくして、銀狼は存続と領地の保持を許されることの代わりに、都の政に従い、在真の不霊山征服事業に最大の助力を成すことを約束した。愚かにも銀狼という名すらも捨て去れ、美貴に言われるがまま灰狼と堕ちたのである。


 銀狼は元来狩りがために各地を放浪していた一族であるため、里も不霊の裾野、外側にあったが、在真はその地理的な利を最大限利用した。その地から山に攻め入ったのである。銀狼の裏切りを知らない化者に対する完全なる奇襲であった。

 

 ――私は駆ける。目指すは里の中心、銀狼の長がおり、また在真の監察官が在駐している政庁。朝廷はそこを獣の中の府として獣府と名付けた。

 

 五百の里の人口に比べれば不釣り合いなそこは、山の攻略する際の重要な中継地点としての意義を持っている。ともすれば至美貴、在真が宿を取る場所となりえるため、重厚たる威厳を持つように造られている。


 獣府の門を守るのは銀狼ではなく、別根院から派遣された朝廷の兵である。府の鉄門は閉ざされ、門の前と塀の上には兵が配されていた。


 脚を止める気など毛頭なかった。駆ける勢いを微塵も落とすことなく突進し、通りすがりに門の兵の喉を切った。テムから渡された刀は使わない。小刀で十分だ。

 騒然とした色が広がってゆくのが分かる。その中心が私だ。門前にてこれまでの勢いを両の足に貯めるように一度屈み、跳躍した。


 右手が門の頂に触れ掴んだ。そのまま腕の力で門の上へ躰を引っ張り、辿り着いたと同時に弓をこちらに向け構えている目の前の兵を左手に持つ小刀で刺した。


 驚愕、戦慄。敵兵より向けられる視線は様々な感情を物語っていた。それらを全て無視し、門から飛び降りて獣府の中へと躍り込む。

 在真の厳しい監視によって、一族の兵は非常に制限されている。そしてその影響は単に兵数の問題に留まらず、兵の精神にも大きく影響を与えているであろう。


 故に、いざ反旗が翻すと、正規の兵らは余りに少なく、肩透かしすら覚えるような容易さであった。

 

 府内の逃げ惑う人間どもを後目に駆ける。ふと後ろを見ると、火の手がそこかしこから上がっていた。敵の混乱を誘うため、仲間たちがつけたものであろう。だが、炎は嫌なものを想像させる。

 ――在真。他ならぬ在真の象徴こそが赤である。現別根院領主、在真シウミという女の欲望が炎となり銀狼を燃やさんとしている。山を犯さんとしている。

 

 二百年前の在真の侵攻は苛烈を極めた。銀狼の裏切りにより、それまで知られていなかった抜け道、獣道を知った朝廷軍は、禄に準備も整わない化者を圧していった。


 捕虜とされた化者は女子供問わず尾を切られ、耳朶をもがれ、眼をくり抜かれた。化者が化者たる所以と人間どもが言っていたその証を無理矢理に奪われ、そして、これでまともな人間になったと嗤われながら奴隷として連れていかれた。


 山が落ちる。そう確信していたのは朝廷側だけではないだろう。だが、その時に窮地を救ったのはやはり、銀狼と山の支配を二分していた、鬼熊であった。

 

 伝説によると、その戦いは太古の大噴火を彷彿とさせるほどに熾烈であったという。


 これまでの千年に渡る戦いにて、至美貴に勝てる化者は存在しないと証明されていた。故に、化者は領地を奪われ続け、化者の頂点たる鬼熊をもっても勝てる相手ではなかった。


 だが、その時の鬼熊の長は山の頂にて至美貴たる在真と敢えて単身にて決戦を行ったという。結果はやはり敗れ殺されることに変わりはなかったが、死ぬ間際において在真の躰を腕で貫いた。在真と決戦を望む前の鬼熊は一見静かであったが、怒りで己が歯にて己が顎を毀すほどであったという。その戦場にて行われた虐殺のためばかりでではない。太古より連綿と続く同胞たちのあらゆる無念が怒りとなり、その後の奇跡を造り出したのだ。


 主の傷を初めて目の当たりにした朝廷軍は瞬く間に乱れ、深手を負った在真は撤退を指示した。ただ、業深き在真はその戦を無駄なものとせぬために、山に迫る砦を築いた。別根院である。

 

 ――なんたることか……なんたることか……!

 

 暗闇から滲み出るかのような老人の声が、嫌が応でも耳に入る。酷く不快である。


「血を繋げんがため、耐えられぬ恥辱に耐え続けた我が祖先たちの積んだ石を、一夜にして弾き飛ばず愚挙を……。どんな愚か者がそんなことをしたかと思えば……何たることか、儂の娘か」


 府内の館に正面より入り、小刀で襖を裂きながら進んでいくと、その目的とする男は、拍子抜けするように簡単に、一室に佇んでいた。


 そこにあるのは夜の闇ではない。余りに現実的な、余りに理性を伴った、常識が作り出す影の闇である。

 私の目は全く冷ややかに目の前の男を見ていた。血で言えば父に当たり、一族で言えば長たる男だ。つつがなく、つまらなく、渡世の諸々に汚れた生。それが族長トゥグである。


「阿呆な娘よ。早う兵を退け。……と言っても踊らされているのはお前自身か。男にいい様に使われる様は母と同じよな」


「……」


 男の言は元より聞く気なぞない。ただ、その音色だけでも十分に不快である。

小刀を鞘に戻し、紫気の剣を抜く。その所作を見て、男は目を細めた。私の態度にではない。眼前に姿を現した、眩いばかりの剣にである。


「どこでそれを手に入れた。……あの小僧が渡したのか。すると、バルがまさかそれを持っていたというのか」


男の様子は剣を見ると劇的に変化していった。男は天を仰いだ。死に際の自己陶酔に浸された、哀れな年寄りの姿である。


「そうか……そうか、天は我が死を望むのか。在真との戦を望むのか。それが灰狼の存命に繋がるのなら、何を迷うことがあろう。何も知らぬ哀れな娘よ、その剣を持って我が命を持っていくがいい」


「……」


 開き直りともとれる男の言葉は否応なく頭に侵入する。そのこと自体にいらつきを覚えながら、私の足は迷いなく老人へと近づいた。そして些かの躊躇いもなく剣を心臓へと突き立てた。

 

 ふと、表現できない感情が手に伝わる感触はから湧き上がってきた。脳裏に浮かぶのは男どもに嬲られる母のことか。父が父とならず、母が母とならず、娘は娘とならない。他人同士の関係に、突き立てた刃の感触は何を訴えてきているのか。


 男は仰向けに倒れた。男のーー父の見開いた目は天井を見て、私を映してはいない。

心臓の鼓動が強く躰を打つ。痛いほどに。胸を三度なぐり、沸き出ずる余計な感情を一息に出した。


「良い女になったな。ミシュ。母のような美しい女になった」


 立ち去る間際に聞こえた、擦れた声は、いつまでも私の中に残るだろう。

 外にでると、赤々と燃える火が館を飲み込もうとしていた。

 

 ――二百年前に銀狼によって起きた化者を襲った最大の危機は、鬼熊により救われた。


 そして、銀は灰となった。かつて鬼熊の盟友であり、山の二柱の一であった狼の化者は、美貴と化者の両者からの灰狼と蔑まれ、それでも山の裾野で在真に平伏しながら生き残こり、二百年後の今日、かつての魂を蘇らせた。


 灰は再び、銀となる。

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