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湖面に刺す  作者: 京宏
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第二話 剣の私

 不霊(ふれい)の頂より吹く風が、夜の透き通った空に洗われながら、髪を撫でた。


 何事も露わになり過ぎると、粗がでる。生きることは傷を増やし続けることで、昼にはそれが露骨に現れすぎる。躰も、精神も。

 全てが等しく闇に包まれる夜こそが、一時の安らぎを与える。


 闇を愛する。私はよくよくと目を凝らせば痣が処々にある月が何よりも好きだ。


 ――在真が不霊山の裾野に別根院(べつねいん)という剣を突きつけて二百年。

 その院は代々在真宗家の長女が領主を務める。彼の家は不霊山に火の鳥の形をした神が住んでいると信じており、それは男神であるために、最も純にて清らかな乙女を寄越しているのである。


 つまり在真の長女は別根院の領主だけでなく、祭司である。そしてそれが故に、山を支配している化者から神を解放するという名分を持つ。つまり別根院の兵の総大将である。


 別根院領主は決まって八年ごと大規模な祭事を執り行う。その締めくくりは化者に囚われた神を助けにゆくこと、即ち山への進行である。在真は八年ごとに化者を征討せんと軍を起こす。


 頭に手をやると突起部に触れる。狼の耳朶。それは人間共が”化者”と呼ぶ存在の証左となっている。

 赤々と燃える松明に照らさた里を眼下に見る。そこは五百程度の灰狼の村である。

 里の地は、歴史は、美貴が創った朝廷という強大な力との闘争で彩られている。

 化者は醜下のように醜くもなく、弱者でもない。確かに、彼ら――私には獣の血が流れているだろう。しかしそれは誇りだ。より濃く獣の血を体内に宿すものはより強大な力を持つ。


「ミシュよ、見えるか、里が。安逸をむさぼった果てに、その夢が終わるのを恐れて我らの師を殺した、臆病者どもが」


 横を見ると、いつの間にか一人の男が立っていた。白銀の髪。そこより生える白銀の毛に覆われた耳朶に、白銀の尾がある。男の瞳は青に澄んでいて、夜にも関わらず青空を想起させる。

 男の呼び水の言葉に応えるように、私も口を開いた。


「彼らが何を思おうと、何をしようと、私は興味がありません。

 トグ様は殺された。それはとても残念なこと。私どもはみなトグ様の思想の元に結集していたのですから。しかしトグ様を殺した刃はあなたには届かない。ただ生きるだけ、それを最大の目的に置く者どもの手が、あなたの首に届くわけがない。みな思っている。真なる指導者はトグ様ではなくあなたであると」


死はまた新しい時代を告げる祝福である――そこまでは言えなかった。だが、想いは通じている。

 テムは大袈裟に驚いた降りをして私を見て、口端に微かな笑みを作るとまた視線を里にもどした。

 夜空の雲が緩慢に流れる。静逸な時が流れる。確信する。私は共に見下ろすこの時を生涯忘れないだろう。

 行動はこれから。命を賭す。多くの傷を受け、仲間も死んでゆくだろう。

 だが、もはや佳境は過ぎ去った。後は雲の如く流れるままに。


「テム――」


 声が後ろから聞こえた。男の声だ。狼煙に火がつけられる。


「おう、アチェか」


 細く青白く、線のような目をした男である。


「準備は整いました。後は――号令を」


 ざっと後ろの木々から兵士たちが現れた。彼らは髪も軽装の鎧も白で統一されていた。テムや私、アチェも同じ装備である。アチェはいつも顔を青白くした痩躯の者であり、私には何故テムがこの者を重用しているのか理解できない。それはアチェの私に対しても同様のようで、私たちは近くにいても決して目を合わせて話すことはしなかった。


「時が来た」


 テムは振り返り、言った。その傍らに立つ私は、自然と膝を付き、忠誠を彼に捧げた。


「二百年前、我らの祖先は在真に膝を折った。爾来、一族の名は裏切り者と同義となった。

 だが、これからは、栄誉を指す言葉となるだろう。我らは己が里を襲い、同胞を殺す。あまりに長きに渡り犯された美貴の毒を抜くための仕方のない処置だ。

 この夜の明けは今日ではない。今日、我らは剣を抜くだけだ。まだ敵は眼前にいない。この剣は一月後に山に攻め入ってくるやつらを撃滅する剣だ。別根院という石杭を焼き払う剣だ。使命を全うしたその時こそ、夜明けと共に大いなる青が天に引かれよう。その青こそが、師の何よりの供養となる」


 ――抜剣。


 アチェが声を大にして言った。存外、青白い躰に似合わず熱の帯びた音であった。刀身が鞘を滑る音が一斉に鳴り、張り裂けんばかりの鋭気が夜の静けさの中で満ちた。


「敵は在真の監視官と族長のザイン。だが、我らの志を阻む者は、例え血を分けた兄弟でも殺せ」


 テムの言葉はぞっと、夜よりもなお深い暗となり地に落ちた。しかしそれはまた救いであった。同族殺し。自然と笑みが零れた。


「ミシュ、お前にはこれを渡そう」


 そう言って、テムは一振りの刀を私に手渡した。月の光に照らされたそれは淡い紫の柄で、刀身の先端には一房の藤が彫られていた。――師から受け継いだ最高の業物だ。そうテムは言い、そして、


「これでお前の父を殺せ」


 言を持って切るように命じた。


「命に代えましても」


 血流が滝のような勢いで体中を巡っている。じっとしていられない。この歓喜を、この衝動を、抑えることができない。


「突撃!」


 アチェの言葉を聞くや、私はどの兵よりも早く駆け降りた。眼下に惰眠を貪る里に向かって。

 月よ。ご照覧あれ――。

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