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湖面に刺す  作者: 京宏
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第十六話 闘の宴

 十六騎で一体の守鬼を取り囲む。

 守鬼は目を左右から前方、後方、まで忙しく走らせている。


 前方の白騎狼が一歩足を前に出せば、守鬼の左腕はそれに応じるように鋭敏に反応し、

 後方の白騎狼が牙を剥いた顔を少し前に突き出せば、守鬼は瞬時に躰をぐるりと回転させる。

 守鬼が見るべきは騎白狼だけでない。その上に乗る銀狼も、槍や剣にていつでも突ける体制を取っている。

 上下左右、前方後方より、大小の牽制が嵐のように守鬼を襲い試し、僅かでも反応が遅れれば、ほら。

 守鬼より右斜め前に構えていた。騎白狼が飛びかかった。その牙は守鬼の右足を喰らい、騎乗する銀狼は剣を心臓に――。


「……この程度か」


 守鬼は噛まれた右足を気にすることなく、右手のかぎ爪で銀狼の頭を薙いだ。岩が弾け跳ぶような音がした。

 剣を構えたまま、銀狼の首から先がなくなっていた。

 守鬼は巨大な白の狼――騎白狼に噛まれた右足を、楽々と上げた。

 そして、狼の頭の上に右手を添えると、そのまま地面へ頭蓋を押し潰した。


「名にし負う、青狼白騎。確かに、連携と速度は見事なもの。だが所詮、雑兵に向けた戦法か。

 我は守鬼。古代より至美貴と決することを定められた鬼熊一族の長ぞ。

 この腕が相手するは雑兵ではない。この命を賭すには、お前らでは安すぎる」

 

 守鬼より放たれる圧は、この時には怒りのものから変化していた。

 それは愚かな弱者を許す寛恕な指導者そのものであった。


「銀狼の若き長よ。お前の野心に付き合うのはこれぐらいでよかろう。

 あの不気味な黒の鎧の者と在真シウミはどこにいった?

 ……そうか、そう考えれば、あの至美貴もお前の野心の的になったのだな。

 最も、すぐにここに戻ってくるだろうが」


 無防備にそう語る守鬼に、私たちは手も足もだせなかった。

 

「ふむ、敵はそう言っているが、どうする? ミシュよ」

 

 後ろからした主の声に、私はすぐに応えることができなかった。


「死は……死は怖くありません」

「であろうな、お前のことはよく知っている」

「ただ、この男には……私では敵いません」


 振り返ることができない。それは守鬼から目を離せないことだけではなかった。

 

「折れるか、俺の剣が。こんなところで」


 声はいつの間にか横から聞こえていた。

 思わず横を向くと、その銀に煌めいた瞳が視界に満ちた。

 

「それは許さんぞ、ミシュ。逃げることも、死ぬことも許さん。俺は守鬼を殺すことをだけをお前に命ずる」

「けれど、私はどうすれば……」

「剣を貸せ」


 そういうや、テムは私の手から剣を奪った。

 そして、その切っ先で自らの腕を縦にきった。

 

「ッ……!」


 一拍の後に、裂いた線の中より、赤い血が染みだしてきている。

 

「何を我慢する。相手が美貴ではなく、化者であるから、変な理性が働いているのか?

 部下を持つことで、他者の目を気にしだしたのか?

 いいや、それはお前の勘違いだ。

 思い出せ、ミシュ。お前の本性を。

 喰らったではないか。朱柵の砦では美貴を、醜下を。

 決起の際には、同胞を、そして父親を」


 唇に手をやる。乾いている。うるおいが足りていない。

 私は、私の闘いは、、、何をするためのもの……?


「俺たちの出会いもそうだ。お前の口は血に塗れていた。

 お前は、お前の母を――喰らったのであろう?」

 

 ――あ。

 

 ――――ああ。

 

 母に手を引かれ、湖に駆けた。

 母の手を持って、飢えを感じた。

 

 その母娘に、初めから愛はなかった。

 あるのは、欲の衝突だけだった。

 

 確かに、母は、私を殺そうとした。

 湖に顔を突っ伏せられたのは事実だった。

 

 彷徨い歩くには、この世は明る過ぎた。

 でも、そんなことよりも、お腹が空いていた。

 

 男たちはまるで喰うように母を抱いた。

 それほど、旨いのかと思った。

 

 娘を殺そうとした母の腕は、男どもの食べかすのように、あまりに脆かった。

 湖に反射する月を、本当は食べたかった。

 

 突き飛ばした時の、母のその表情に、無性に興奮した。

 死を恐れないのであれば、何を我慢することはなかった。

 

 そして、私は、自分を産んだ者の、その顔を……。

 

 静かに、風が凪いでいた。

 

 どれぐらいの時が経ったのだろうか。

 守鬼は未だ油断なく、私とテムを見据えている。

 

 テムの手が、私の背中を擦っていた。

 その温かみは、私には過ぎたる者で、むしろ罪を強く自覚させる。

 

 ……罪? それは一体誰が決めたものか。

 

 強き者が喰い、弱き者が喰われる。

 弱き者は、強き者になるためには、どうにかして喰らわなければならない。

 

 騎白狼から降りた。

 

 守鬼はその様子を凝っと見据えている。

 テムはにやりと口角を歪めた。

 

 両手を地に着く。

 剣は、テムに渡したまま。


 四つ足の銀狼。

 何もそれは、騎白狼だけを指さなくてもよいだろう。

 

「理性すらも手放したか」

 

 守鬼は淡々と告げる。

 その腕、その脚、その顔。先まで感じていた圧倒される思いはいつの間にか霧散している。

 視界の隅に、副官の驚愕した顔が見えた。

 

 風にしなった木から、一葉が、地にゆらりゆらりと、落ちていった。

 

 駆けた。

 後ろ脚で地面を蹴り、両の手――否、前足でその勢いを加速させた。

 

 守鬼の反応も早かった。

 脚を動かした瞬間には、既に迎撃のための態勢を取っていた。

 

 眼前に迫りくる致命的な一撃。

 しかし、本能にて予期できていたことであった。

 前足を使って直前で止まり、方向転換、斜めより守鬼を狙う。

 守鬼の一撃が鼻先を掠めた。命の危機の感覚に躰中が昂る。

 曲線を描くように進んの先には、腕を振り落とした後の、がら空きの巨体がある。

 

 そこに飛び込んだ時、思い出したのは、忠誠を誓った一人の銀狼の顔であった。

 

 守鬼の首元に噛みつく。全身で巨体にしがみつく。

 皮膚は厚く、肉に届いた感触は全くない。

 関係ない。噛みちぎれば良いのだろう。

 

 母を殺し、喰った。そのひと時の幸福の先に待っているのは、絶望しかないと知っていた。

 だから、湖に身を入れた。

 そこで永遠に死者抱かれていたかった。これまでにないほど心地の良い場所であったのも事実だ。

 

 守鬼が私に拳を叩きつけた。頭に躰に。頭蓋が割れ、腰の骨が折れる音を聞いた。

 

 死者の湖から世に戻ったのは、月ような、あの瞳に魅せられたからだ。

 銀狼の里を掌握し、在真を倒す。

 新たに示された道は、躰の中にも外にも満ちた閉塞感を打破する一つだけの方法に思えて、ただただ、縋りついた。

 

「隊長を援護しろ!」

 

 副官の叫びを聞いた。

 守鬼は激しく動きはじめた。ぶつかりあう音が聞こえる。

 

 嵐のただ中に左右にしなる木の、そこから今にも落ちそうな一葉のよう。守鬼は首を私に噛みつかれたまま、戦闘を行っている。

 

 次々とひしゃげる音がする。部下が死んでゆく。

 もう手に足にも力がなかった。首に喰いこんだ歯と、顎の力だけで、この暴風雨の中に身を置いていた

 

「ここが、最大の山場だ。ミシュ、まだ生きているな?」

 

 主の声が聞こえた。朧気であった意識が、再度覚醒する。

 口の中に血が溢れている。炎のように熱い。一度大きく、守鬼の鮮血を飲み込んだ。

 

「裏切り者が」

 

 守鬼の発した恨みの音の振動に、躰が揺れた。

 

「勝手に期待したのはお前らだろう」

 

 剣戟の音がする。

 テムが戦っているのか。だめだ。テムが殺されるわけにはいかない。

 あの瞳に魅入られ、その声で私の名を呼んだ時から、その時から

 

 ――!

 ――――!

 

 歯を立てる顎の感覚はとうになくなっている。命の終わりが見える。

 

 あああああああああああああああああ

 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 頭の血管が、血流の暴走に破裂しそうになる。

 

 その時、守鬼が止まった。

 

 何かが体にぶつかった。潰れかけた目が見たのは、私に折り重なるようにして紫の剣を守鬼に突き刺す、テムの姿であった。

 

「まさか。。。俺の死が、お前たちとなるか。。。」

 

 巨木が倒れ行く。つられて、私とテムも落ちる。

 

 地面が揺れた。横目で見る頭上の月は真円を描いていた――。

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