表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
湖面に刺す  作者: 京宏
1/16

第一話 灰の狼

 世界には三種の人がいた。支配する者と服従する者、そして抗う者だ。

 

 抗う者である「化者(けもの)」の歴史は、始めより闘争である。それは絶望の戦いだ。

 ある集団がいた。その集団は自らの容姿を最上のものと定義し、己を美しく貴き者――「美貴(びき)」と名乗るようになった。そして、それに外れる者らを二つに分けた。より醜いが従順な集団は醜い下郎――「醜下(しゅうげ)」とし、己らに歯向かう集団を化者と名付けた。化者は獣の意味を含む。美貴は意のままにならぬ人間を、人間という枠組みからをも除いたのである。


 だが、それができるのも、言語を編み出し支配した美貴の強大さを示す一端の証左である。化者は躰にては美貴に抗う一方で、言語や価値観、道徳では全く無抵抗に蹂躙されるがままであった。いつの間にか彼らは古来の言葉を忘れ、敵伝来のものを使い、そのために自らを化者と自称せざるを得なくなっている。無論、力においても収奪する側はいつも決まっていた。

 美貴が敵を化者と蔑んだことについても、それなりの理由がある。美貴が隔絶した美を持ち、醜下が例外なく醜いように、化者の容姿には戌や猪、果ては蛇や鳶にいたるまで、尾や耳朶が備わっている。化者の中でも族によって体内の似通る箇所や程度、似通う鳥獣は異なるが、族間の交配が進むにつれ、まさに千差万別の様を呈している。故に、化者は人にあって人にあらず。人に似ゆる畜生ぞ、と美貴は端正な顔で嗤うのだ。


 美は力であり、知能である。そう理を述べる美貴は、それが正しきことであると身を体現し続けている。美貴の中にも位があり、美しきものほどに位が高く、それに応じた知と体を持ち合わせている。

 最上の者を至美貴(しびき)と言う。美の最たる者の一閃は天を割る。その存在は美貴が美貴たる根拠であり、世界の支配者の証であり、化者が敗け続ける理由である。

 化者の歴史は敗北に彩られている。しかし、それは同時に誇りとなる。


 そう、そこにある一つの奇跡があった。

 西から来る美貴の侵略に、化者は徐々に領地を削られ、東へ東へ撤退をしていく。太古より続くその関係に、ある種の例外が産まれたのは、一つに他の地域に見られない大いなる岳があったからであろう。

 岳の名を不霊山(ふれいさん)と言う。山のあたりを覆う深い森もあることで深山幽谷の体を成し、太古より周囲にする化者たちの中心として栄えてきた。住まう化者は無数にいるが、治めるは二族である。それぞれ鬼熊と灰狼といい、名の通り、熊と狼に似る姿を取る部族である。灰狼はかつて銀狼と呼ばれていたが、今ではその名は忌むべき記憶とともに封じられている。

 代々山を統べる族は鬼熊であり、鬼熊と唯一対等とされる族として灰狼がある。灰狼は閉鎖的であり普段は他の族との交流もないため山の政にも関わらないが、問題があれば鬼熊に直接意義を唱える権利を有する唯一つ族であった。つまり、両の部族の存在は例外の二つ目である。

 美貴がこの一帯の征服を狙ってきていたのもまた遥か昔からであり、「朝廷」というヤツらの価値、秩序を体現する統治機構の構築よりも前からであると言われている。


 征服軍の大将は代々在真(ありま)という至美貴が一家が勤めている。当初は美貴たちも山の征服は全方面に対して行っていた拡張事業の一つに過ぎない認識であっただろう。

 だが、灰狼と鬼熊を中心とした化者の抵抗は頑強であった。美しき者どもから血の気を引かせ、その顔を醜く歪めさせるほどに……。


 そして千年が過ぎてもなお、まだ山頂に化者は猛っていた。

 在真は山を服せぬ。幸運にも一度山の噴火に恵まれたために領地を大きく押し込むことはできたが、そこも未だ裾野に過ぎない。朝廷の征服事業は他方ではとうに遥か先にいき、地図を見れば山と周囲の森の外は全て手に入れいるというのに。まるで一粒の黒点が落ちたように其処は征服者の自尊心を揺るがす領外地となっている。


“不霊の山に黒と白あり。白は妖幻にして険なる山を野原の如く駆け巡り、大木の影がいつの間にか西から東へ移ろうように、軍の呼吸の隙間に何処からともなく突貫す。一度突貫すれば命尽きるまで矛を振るい、白はやがて朱と変わるまでになりけり。

 黒は大木そのもの。魑魅魍魎の岳に翻弄された軍の終にて巌の如く待ち構えたり。咆哮すれば天が割れ、一振るいにて醜き者どもだけでなく美しき命をも散らしに散らしたり。日輪が昇れば沈むと同じく、軍は耐えがたき行軍の末、黒より山から追い落とされたり。”


 灰狼と鬼熊は在真の侵略を跳ね除け続け、当時の美貴の都では、身内を殺された美貴どもの泣き声が絶えなかったという。


 だが、――。


 だが、まるで戦場で散る血の一滴一滴に蟲毒が染みているよう。異文化の敵より齎された余分な思考が、余計な贅沢が、意味のない予測が、時を掛けて山の化者の中心の片割れたる灰狼族を犯していったことに彼らは気づくことができなかった。全く敵対を貫いていたというのに、常に剣の交わりでしか交渉はできなかったというのに。


 灰狼は誇りを捨て、恥辱の歴史を歩みだしたのは、在真が不霊山の麓に別根院(べつねいん)という巨大要塞を築いた二百年前であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ