1.5 夫婦の契り
「我の妻となってくれるか?」
ソフィアの頭の中で何度も繰り返される言葉。理解する事は容易であったが、予想外の言葉に頭が受け付けなかった。なんとか頭を整理し、ソフィアが尋ねる。
「ど、どうしてそうなるのですか?」
「……この儀式は”共命同体“と言葉を選びはしたが。実質、我が一族に代々伝わる婚儀なのだ…」
「こ、婚儀…」
ソフィアが呆然とする。その様子にグレイは慌てて言う。
「べ、別に形だけでも良いのだ…表面上でも夫婦となればこの儀式は行えるはずだ…」
その言葉にソフィアはしばらく沈黙が続く。居たたまれなくなったグレイがおずおずと口を開く。
「嫌か……?」
その質問にソフィアはクスリと笑った。
「なぜ笑うのだ?」
「いえ、すみません…フフッ、でも仕方ないではありませんか。あなたがそんなに必死になるものですからつい可笑しくなってしまって…」
小さなグレイが必死に弁論する様は、ソフィアにとってプロポーズが上手くいかない可愛い子供に見えてしまい、つい笑ってしまった。
「酷いぞ…それは……」
グレイはしょんぼりする。そこでソフィアは微笑みグレイに言った。
「いいですよ。私…ソフィアはあなたの妻になります」
「ほ、本当か…!」
「はい…あなたと私は同じ夢を持つ者。ここでお互い生存できればこれからの運命を共にする気がするのです。それならば夫婦という形も悪くないか、と」
ソフィアがハッキリとそう言った。グレイはその言葉に目を閉じ安堵する。
「あぁ…そう言ってもらえると、我も助かる…」
そう言いグレイは儀式を始める。
「…それではソフィア…儀式を始めるためにお前の血を吸ってもよいか?」
「…吸血…ですか?」
「うむ、この儀式。もとい婚儀は吸血で始まりそして終わる」
真祖の吸血鬼は基本、自身で膨大な魔力を生成できるので、基本的に生存において吸血を必要としていない。しかし、相手の魂を手玉にしたい時などに彼らは吸血する。彼らは血液から魂を読み取り契約を結ぶことが出来るからだ。なので、真祖の吸血鬼に吸血をされるという事はある種、すべてを奪われる事と同義であった。
グレイはそのような事はしない、とソフィアは分かっているものの、過去に真祖の吸血鬼に吸血された仲間を思い出し、少し戸惑ってしまう。
「…案ずるな、我は他者の魂を弄ぶ事など絶対にしない」
グレイがソフィアの事を見透かしたかのようにそう告げた。ソフィアは少し罪悪感を感じ、すぐに返答した。
「ええ…わかっていますよ」
「…お前の血を吸い我の魂とお前の魂を繋ぎ合わせる契約を結ぶ。それが出来れば共命同体となれる」
「魂を繋ぎ合わせるのですか…」
「うむ、無事成功すれば、お前の中に我の魂も存在するようになる、だから精神内でも会話が出来るようになるぞ」
そう言いグレイは笑う。しばらく考え込んでいたソフィアは決心し、グレイをそっと抱きかかえ、口元を自分の首へと近づける。自身の口元にソフィアの柔らかい肌を感じたグレイがソフィアの決意を理解する。
「…覚悟は出来たのか?」
「はい、いつでもどうぞ」
「…では、始めるぞ」
グレイがソフィアの首に優しくかぶりつき、ソフィアの首筋に牙が食い込む。先程までグレイとソフィアが話し合っていた様子を見守っていたフェンリルとユキが突然の出来事に慌て始める。
しかし、そんな二人を横にグレイとソフィアは儀式を続ける。ソフィアは少し身を震わしたが、痛みがなく不思議な感覚の心地に体を委ねた。グレイがしばらく吸血していると突如二人が赤く光り出した。やがて光は徐々に弱まり納まっていった。
「…美味であったぞソフィア」
「……誉めているのですか?それは…」
ただでさえ血が少ない状態で血を吸われ、少しぐったりとしたソフィアがジト目で言う。すると自分の中から声が聞こえてきた。
『勿論だぞ。そして喜べ、無事儀式は成功したぞ』
グレイの声であった。ソフィアはいきなりの出来事に驚くがグレイに教えられていたことを思い出す。
「これが…魂の繋がりですか…」
『その通りだ、自分の中に意識を集中してみるのだ。そして、我との魂の繋がりを感じるのだ。そうすれば、精神内で会話や姿を見る事が出来るぞ』
そう言われ、ソフィアは目を閉じて集中する。自分の中に意識を向けグレイを探す。すると気が付くとソフィアは真っ暗な空間の中に立っていた。しばらく周りを観察していると、後ろから声が聞こえてきた。
『うむ!早く来れたな、流石は元聖女だ』
振り向くと真っ暗な中に少し光った状態で少年サイズのグレイが立っていた。
『ここは…どこなのですか?』
『ここは我とお前の共通の精神世界だ。ここはお前の精神であり、我の精神でもある。ここに来れるという事は儀式は完璧に成功したと言えるな』
『そうですか…それはよかったです。』
ソフィアはホッと胸を撫でおろす。
『それでは少し魔力を送ってみて貰えますか?聖力の代わりに魔力が私の身体に流れるのか、確かめてみたいのです』
ソフィアがそう言い、グレイが「そうだったな」と言い行動に移す。
『……いいか?少しでも身体に異変を感じたら言うのだぞ…』
『ええ…分かっています……』
グレイは確認し、そして掌をソフィアへと向けた。掌から赤いオーラ―が少し漏れ出し、ソフィアの身体へと移る。二人は緊迫した様子でしばらく沈黙していたが…
『……グレイさん…!』
『ああ…驚いた……我の魔力が聖力に変換されて、ソフィアに流れていく』
グレイがソフィアに流した魔力がソフィアの身体に流れた瞬間、聖力へと代わり流れたのだ。それが分かった後、グレイは痛々しいソフィアの左翼に目を向ける。傷口は塞がっているが、聖力が漏れ出していた様子にグレイは悲しみに満ちた顔になる。
『……その左翼から漏れ出てる聖力を抑えておくぞ…』
そう言いグレイは少ない魔力でソフィアの左翼を包み込み、聖力の放出を止めた。それを見たソフィアが生存する可能性が見えてきたことに、少し顔を明るくした。
『…ここでならお前の姿も見えるな。うむ、容姿端麗ではないか元聖女よ』
グレイは素直にソフィアの容姿を褒めた。突然そう言われ、ソフィアは顔を赤くして後ろを向く。
『どうかしたのか?』
『な、何でもないです!』
よく分からない感情にソフィアは慌てるが、急いで表情を戻し、いつもの糸目の顔の微笑みでグレイを見る。
『ありがとうございます、グレイさん。お陰で生きる希望が見えてきました』
『安心するのはまだ早いぞソフィアよ、まだお互い瀕死な状況に変わりがないからな』
ソフィアは頷いた。
『はい……それでは”命渡し“を行使します。グレイさん…後は任せましたよ』
『うむ、絶対に死なせんぞソフィア』
二人は覚悟を決めて最後の賭けに挑む。