1.1 逃避行
「――様! ――レイ様!」
静寂な夜、月明かりが届くことのない暗闇の森の中で声が響く。
「グレイ様!お気を確かに!」
声の主は全力疾走中の執事服を着た暗めの青髪、短髪、褐色肌の青年であった。
「追っ手は振り切りました、あとは安全な場所を…!」
青年は背中で今にも消えかかっている満身創痍の少年に語り掛ける。
背中の少年は灰色の癖っ毛で頭部から触覚のような毛を一本生やしていた。
この背中の少年は"元"魔族長の真祖の吸血鬼グレイ・ヴラド・サリヴァンであった。
「……助かったぞフェンリル… お前の速さには、もう我でも追いつけぬかもしれんな…」
「お戯れを… 今は一刻を争います、全力で走りますので、揺れると思いますがご辛抱を」
賞賛の言葉をグレイの従者である青年フェンリルが微笑しながら返した。
従者の揺れる背の中、グレイはぐったりとしながら、改めて自身の身体の状態を確認した。
「…ククッ、何だこの身体は…… 魔力と血を失いすぎたか」
グレイの身体は瀕死の重傷により、魔力と吸血鬼にとって生きる原動力である血を失い、身体は子供位のサイズへと変貌していた。
その小さな姿には、以前のような魔族長としての威厳は失われていた。
次にグレイは死に体でなんとか首に力を入れて周りを見渡す、時刻は真夜中であり、薄暗い森の中を賭けている最中であった。
不意にフェンリルから声を掛けられる。
「グレイ様… ただいま魔国から南方に走り抜け魔界小国ゼブルス周辺へと向かっています。 ですが恥ずかしながら、俺はこの辺りの地理には疎く、休める場所を存じておりません…」
フェンリルが申し訳なさそうに言う。しかしグレイは弱々しく小笑いし、口を開く。
「いや、気にするな… ゼブルス辺りだと、確か昔に聖魔戦争によって滅びた国があったはずだ。その跡地なら魔族も聖族も手出し出来ず、安全だろう…方角はこの位置からだと…北西に向かえばたどり着くだろう……頼んだフェル、我は少し眠る」
「承知しました、我が主」
フェンリルがそう返すとグレイはフェンリルの背中でぐったりと力を抜き、すぐ眠りについた。
フェンリルは背中の主を気にかけながら全力で暗闇の中を駆けた。
「絶対に死なせん…!」
そう、呟きながら全力で駆ける足に更なる力を込めた。
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「ソフィア様…!あと少しです!」
巫女装束を着た長い黒髪の大和撫子が肩を貸している女性に声をかける。
肩を借りている女性は、綺麗な長い金髪にサークレットを付けた糸目の美しい容貌をしており、彼女は元聖女である戦乙女のソフィアであった。
「ありがとう…ユキ…」
ソフィアが弱々しく呟く。
二人は背中に翼を生やしていたが、ソフィアの方は片翼が千切れていて、ダラダラと傷口から血を流し、二人の白い衣服を赤に染めていた。
「あのような所で攻撃を行うとは……」
ソフィアが悔しそうに呟く。 彼女らが街中を飛行して逃走している最中に突如として頭上から街が吹き飛ぶ程の攻撃型聖術が飛来してきたのであった。
咄嗟の出来事だったので回避をしようとソフィアは判断したが、ソフィアが避ければその聖術の矛先が真下で普段通りに生活をしている人たちへと向けられる事になる。
結果、ソフィアは人々の為に、その身で街が吹き飛ぶ程の攻撃型聖術を受け片翼を失なった。
普通なら直撃で木っ端みじんに吹き飛ぶ攻撃であったが、元聖女たるソフィアだからこそ片翼を失う程度に済んだ。
片翼の傷口から流れ出る鮮血が止まらず、ドクドクと脈打つように出血している。
「早く… 傷口の治療をしないと…!」
ソフィアの側近であるユキは焦燥感に駆られていた。
翼人種は翼が第2の心臓と呼ばれるほど大事な生き物であり、その片翼をソフィアが失い、死へと刻一刻と近づいていたからだ。
そんなユキを気遣いソフィアが息を上げながら言葉を掛けた。
「大丈夫ですよ、ユキ… それより… あなたも聖力は枯渇していませんか? 追っ手を撒くために妨害聖術をたくさん使用していましたから…」
「…!(貴方はこんな時まで人の心配を…!)」
自分が瀕死の状況の時でさえ他人を心配するソフィアに、ユキは己の不甲斐なさと情けなさにたまらず泣きそうになってしまう。
「こんな時くらいご自愛なさって下さい… もう貴方は聖女である必要はないんですから…」
ユキがすがるようにそう言う。そして肩を貸し持っているソフィアの手を強く握る。
「……」
ソフィアはユキの聖女では無くなった事を改めて口にされ無言になる。
己の中に渦巻く感情を整理する。国に裏切られた事、夢半ばで散ってしまった事、後悔や怒りが渦巻いていた。
しばらく沈黙が続きソフィアがゆっくりと吹っ切れたかなように微笑み、小声で話す。
「…フフッ、そうですね… 早く傷を治して水浴びがしたいですね…血と汗でベトベトです…」
「…ハイ!わかりました!」
ソフィアの言葉にユキは笑顔になり、足に力を入れ一歩一歩着実に目的地へと向かう。
「(絶対にこの人は死なせない…!)」
そう心の中で強く誓いながら。支える腕と歩む足に力を入れた。