07 そしてお泊りへ
いきなり泊まっていけ、と言われても心の準備どころか、物理的な準備もしていない。
「ワン……静さんは迷惑じゃないっスか?」
「……」
「まんざらでもなさそうだよ」
紀香は「そうっスか?」と聞き返そうとしたが飲み込んだ。生まれたときから一緒にいる父親の方が静のことを熟知しているから、父親の言うことに違いはなさそうである。
紀香は静のことを、理由はよくわからないのだが気に入っている。今日は一緒に遊びに行ったのだし、もっと距離を縮めてみたいという気持ちはあった。どうせ今日は丸一日オフだし、断る理由は一切無い。
「わかりました。ではお言葉に甘えさせて頂きますっス」
「ありがとう! ほら、静もありがとうしなさい」
「……」
静の頭が微妙に下がった気がした。
「だけど一旦学校に戻らせてください。着替えを取りに行きたいし、外泊許可も出さなきゃいけないんで」
「わかった、じゃあボクの車で行こう。静はしばらくお留守番していなさい」
「……」
*
「えっ、お父さんはあの元プロ野球選手のタレントの下村義紀なの!?」
「そうっス」
「バラエティ番組でよく見るよ。この前なんか旅番組でお酒ばっか飲んでてグダグダになってたよね」
「現役時代から酒好きで有名でしたからねー、アハハハ」
などと会話しているうちに軽自動車は星花女子に着いた。紀香は菊花寮にダッシュし、すぐさま外泊申請を出して許可を貰い、着替えをバッグに詰め込んで車に戻った。ものの十分もかからなかった。
「早かったねー」
「あたし、せっかちなんで。アハハハ」
「それじゃ早く家に戻ろう。夕飯の支度もあるからね」
静の父親はシフトレバーを「D」に入れて、家に向けて発進した。
大通りで信号に引っかかって停車したとき、父親はおもむろにこう切り出した。
「静は小さい頃は普通の子だったんだけどね」
「普通?」
「うん。ちゃんと会話できていたし、友達もいたし、何もかも普通だったんだ。だけどだんだんふさぎ込みがちになって、とうとう今のような性格になってしまって……」
「原因は何なんです?」
「それが、ボクやカミさんにもよくわからない。学校にはちゃんと行くし、だけど休日は家にこもってばかりで、リビングで一日じゅうずーっと座っているだけなんだ。カウンセリングを受けさせたけれども全く効果はなかった」
そんな非活動的な休日の過ごし方は、紀香には耐えられない。
「だから環境を大きく変えてみようと思って星花女子に入れたんだけれど、全然ダメだったな。紀香さんと会うまでは」
信号が青になり、車はゆっくりと動き出す。
「だけど冬休みに入る前にね、静からメッセージを貰ったんだ。『紀香さんを家に誘いたい』って。最初読んだときびっくりしたよ。まさか静が、ってね。だけどあの子は確実に変わろうとしている。だから……」
「ああーっ! おじさんおじさん! ブレーキブレーキ!」
「うわっ、ととと……」
父親が急ブレーキを踏むと、紀香の体が前のめりにつんのめった。
「ごめんごめん、前が右折で詰まっているのに気づかなかった」
「おじさん、それじゃ前が見えないっスよ……」
父親の目には涙が溜まっていた。彼は「申し訳ない」と言ってシャツの袖で顔を拭った。
「紀香さん。静のことをよろしく頼む。静を変えるのは紀香さんしかいない」
これが紀香を泊めようとする理由に他ならない。自分しかいない、と言われたら何とかしてあげたくなるのが紀香の性格であった。
前の車が右折して、車は再び動き出す。
「わかりました。あたし、静ちゃんのお友達として全力を尽くさせて頂きますっス!」
「ありがとう!」
「あーっおじさん! フラフラしないでー!」
紀香は右に左に揺らされながら、家で待っているワンちゃんのことを考えた。