05. ホームランワールド
静からのまさかのお誘いを受けて、紀香は高揚感に包まれていた。機械のようだと言われた静とわずかな間のうちに一緒に遊びにいく仲となったのだから、自分のコミュニケーション能力は人の二、三倍はあるんじゃないかと少し傲慢めいた錯覚をしていたからかもしれない。
そういうわけで、昨夜のイブの夜は遠足の前日の子どもみたいに寝つけなかった。もっとも周りは聖夜という日の性質上、恋人持ちの寮生は部屋に連れ込んで愛を一生懸命育んでおり、そのとき漏れ聞こえる嬌声で睡眠を妨害されたというのもあったが。
それでも眠気は高揚感が中和してくれているおかげで、多少頭が鈍っている以外はすこぶる絶好調の体調である。紀香は市役所近くの中央公園で相手が来るのを待っていた。今日は完全オフだが、キャッチボールをしている子どもたちを見るとどうもウズウズして仕方がない。
紀香のケータイが震えた。
『着きました』
ケータイから顔を上げると、静の姿があった。ダウンジャケットからジーンズまで、苗字を表すかのように黒尽くめであった。
ちなみに紀香はニット帽をかぶり、スタジャンにジャージと動きやすさを重視した格好をしているが色は全て赤系統で統一されている。父親が過去に所属していたプロ野球チームのイメージカラーが、そのまま紀香のお気に入りの色になっていた。
「うーっすワンちゃん。元気してるかー?」
「……」
「まっ、元気してなかったら外出られねーもんなー。今日はどこへ行く? どこか行きたい場所あるか?」
「……」
静は指を差した。空の宮中央駅の西側。商業地域として栄えている場所であり、一通りの娯楽は揃っているからハズレはない。
「わかった、西の方だな。じゃあ、あたしのとっておきの場所を紹介してやるわ」
「……」
赤と黒は駅の西側を目指して歩きだした。
*
「ここだ、ここ」
メインの道路に面して建っているパチンコ店の敷地内に入っていく。もちろん十八歳未満の紀香たちは入店できない。実は道路側からは見えにくいのだが、店舗の奥にはもう一つ建物がある。紀香の目的地はそこであった。
建物の正体は複合アミューズメント施設で、ボウリングコーナーにゲームコーナー、そしてバッティングコーナーが設置されていた。バッティングコーナーに掲げられている「ホームランワールド」と銘打たれた看板を見るや、また紀香の中でウズウズが始まる。
「練習が無い日でもここで体動かしてんだ。ワンちゃんも打ってみな、気持ちいいぞー」
「……」
「ん? もしかしてバット持つのも初めてか? じゃああたしが手本を見せてやろう」
元から自分が先に打つつもりであった。いつぞやのシート打撃で無様な三振を喫したが、実力はこんなものではないと見せつける狙いもあった。
「よーし、紀香さまの打棒をよーく見とけよ」
紀香はブースに入り、お金を投入した。軟式で100~130km/hまでの球速を選択できるが、迷わず最高速度の130km/hを選択する。ちなみに女子野球界における130km/h台は超がつくほどの豪速球である。
スクリーンにはプロ野球選手のバーチャル映像が映し出され、投球フォームに合わせてマシンから軟球が射出される。紀香はいとも簡単にそれを弾き返した。打球は綺麗な弾道を描いて、防球ネットの遥か上の方にぶち当たった。
「ああーくそっ! 飛距離は充分なのによー」
いくら高く遠くほ飛ばそうが、防球ネットに吊るされている「ホームラン」の的に当てなければホームランと認定されない。だが紀香の打球はことごとく的を外してしまう。隣のブースにいた少年が「すげー……」と呟いたが、打撃に集中している紀香には聞こえない。
快音を連発したものの、結局一本もホームラン認定されなかった。だが自慢の長打力を静にアピールするには充分すぎたであろう。
「やっぱ的に当てるのはムズいなー。じゃあ次、ワンちゃんやってみな」
「……」
静は60~90km/hのブースに入った。案の定、一番低速の60km/hを選んだ。
「……」
やはりと言うべきか、低速ボール相手でもよく空振りしている。たまに当たってもボテボテのゴロばかりである。結局ひとつも良いあたりがなく、21球を使い切ってしまった。紀香はおろか、素人目でもわかるほど打撃フォームがむちゃくちゃだったから当然であった。やはりバッティングは初めてだったのであろう。
静は悔しがる素振りを見せずブースから出ていこうとしたが、その前に紀香が中に入っていった。
「おつかれー。ちょっとバット構えてみ?」
一本ぐらい良いあたりを出してあげたい、という親心が働いた紀香は打撃指導を始めた。
「もっと短めに持って、んで脇をギュッと締めて、手だけで打とうとせずに腰をグッと、こうグッとだな」
「……」
紀香が身振り手振りで示したことを、静は無言で実践する。
「んー、もうちょい脇締めてみ。グイッと」
紀香は静の体に触れた。
「そーそー。そんで右手と左手は離さずに……おおっ?」
思わず声が出る。静の手を触ったら、運動で血行が良くなっているのか、かなり暖かい。その上、肌が絹のようにツルツルしている。
「こいつはなかなかやべえ触り心地だな……何か肌ケアしてんの?」
「……」
「あっ、悪ぃ悪ぃ。あまりにもいい触り心地だったからさ。ははっ」
紀香は身を離した。
「じゃあ、この要領でもう一回打ってみな」
「……」
紀香は自分のお金を入れて、ブースから出ていかず静の打撃を間近で見ることにした。
「……」
「おー、結構マシになったな」
さっきとは打って変わって、少しは当たるようになった。だが打球の勢いはまだボテボテだ。
「ボールは最後までちゃんと見ろよー」
「……」
アドバイスが効いたか、ついにライナー性の当たりが飛び出た。
「よし、今のはいいぞ!」
「……」
最後の21球目。静のバットから心地よい打撃音が響いた。
「おおっ、おおおー!?」
打球はいい角度でグングン伸びいき、そのまま何と、的に直撃した。ピッチングマシン上の電光掲示板に「ホームラン!!」の文字が浮かび上がり、カルメン組曲『衛兵の交代』のファンファーレが盛大に流れ出す。
「うおお、やったじゃねーか!」
「……」
紀香が右の手のひらを突き出すと、静は何一つ表情を変えないままタッチした。
静はただちに、お金を再投入する。ホームランの感触に味をしめたらしい。それからはお互い気が済むまで打ちまくって、結局ホームランは静の一本だけだったものの、紀香は好きなバッティングを存分楽しむことができた。
静は帰りに受付で、ホームランの景品として缶コーヒー一本貰ったが、紀香に押し付けるように渡してきた。
「何? 要らないのか?」
「……」
「指導料のつもりなら別にいいぜ。ワンちゃんの力で打ったホームランだからな」
「……」
それでも静は缶コーヒーを引っ込めようとしない。
「うーん、それならまあ、半分だけ貰うわ。それで良いだろ? 回し飲みになっちまうけど」
「……」
納得したようである。紀香は缶コーヒーを受け取ると、すぐ開栓して半分飲んだ。
「ほいよ」
「……」
静は缶コーヒーの飲み口をしばし見てから、残り半分を一気に口にした。
「ワンちゃん、耳すげー赤くなってんぜ。まっ、今日はめっちゃ寒いからなー」
「……」
外は確かに寒かったが。