Ex7-11. 合宿終了
「さー、ランナーためていこー!」
八代醍初音がしきりに声を出す。まだソフトボールを初めて一ヶ月なので実戦には出られないが、彼女なりにチームに貢献しようとする気概が伺える。
「8点差ぐらい大したことないよー!」
「よーしよしよしよし! いい声だ」
紀香はニッコリ笑って初音を褒める。初心者の初音には技術や体力を身につけるよりもまず気持ちの面から、ということで思い切り声を出すよう指導していた。初音に倣い他の一年生も声を張り上げて、後輩に負けじと二年、三年が続く。例え逆転厳しい状況であっても、声援を送って励まし続けるのが、控えがチームにできる最大の貢献であった。
その想いが通じてか、八番、九番と連打が飛び出した。
「よっしゃあつづけつづけー!」
紀香ががなる。自分に打席が回ってくる可能性がこれでぐっと高くなった。ところが試合はそんなに甘いものではなく、トップバッターの不二美がセーフティーバントを失敗してポップフライアウト。次の純が内野インフィールドフライでアウト。
「おいおい、色ボケ二遊間コンビ頼むよ~」
と、紀香は聞こえないようにぼやいてネクストバッターズサークルに向かう。次打者は途中出場の山東あつみ。彼女が倒れればその時点で試合が終わるが、ここにきて相手投手が初めてストレートの四球を出した。
「よーし、一発ぶち込んでやるぜい!」
満を持して、ベンチの声援を受けて紀香が打席に向かう。武藤球は一言もしゃべらない。
「おい、さすがにしゃべり疲れたか?」
逆に挑発してみるが、全く無反応である。
投球モーションに入って、第一球。ボールは紀香の顔面を目がけて飛んできた。
「うわっ!」
反射神経が働いて倒れこんでどうにか回避したものの、たちまち頭に血が上っていく。
「てめぇ……」
ブラッシュボールは球の指示によるものに違いないと決めつけて問い詰めようとしたが、先に球がタイムをかけてあおいの方へと逃げるように駆け寄って行ってしまっていた。
「どないしたんや、今のはボール球を投げろって指示出してへんぞ」
「マメが潰れちゃった……」
あおいが中指を見せると、確かにマメが潰れて血がにじみ出ていた。
「ああー、こらアカン! 交替せな……」
「それは宮坂が決めることだ」
「あっ、監督!」
監督の中野渡も異常を察知してベンチから出てきていた。
「宮坂、どうする?」
「行けます! 投げさせてください!」
あおいは即答した。
「良し! あと少しだ、頑張れ!」
「はい!」
中野渡が戻っていく。ブルペンでは誰も投球練習をしていないから、元から替えるつもりはなかったのかもしれない。
「あおいっち、もう一度指出せ」
「うん?」
球は躊躇することなく、あおいの中指を咥えた。
「たたたたったまやん!? 何してんのーっ!?」
「黙れ、これが一番怪我に効くんやって」
「まっ、周りの目が……」
「うちかて恥ずかしいわ」
「じゃあやらないでよー!」
唐突に繰り広げられたバッテリー夫婦漫才を、紀香はバッターボックスで口をポカンと開けながら見ている。
「何やってんだあいつら……」
球が戻ってきた。
「てめぇ、味方にまでむちゃくちゃしやがるなあ」
「はいっ、しまっていこー! あと一人やぞ!」
球は紀香を無視して守備陣にがなりたてた。
プレイ再会。あおいは顔を赤くしたままで、投球モーションに入る。フォームは先程よりも躍動的で、投じられたボールに勢いが戻っていた。だがそれは球がミットを外角に構えたところよりも、若干中の方に入ってしまった。
「うおりゃあああ!!」
紀香はそれを思い切り叩く。大きな打撃音が轟き渡り、あおいはホームランを覚悟してか目をつぶった。
「あおいっち!! 上や、上ー!!」
球が人差し指を頭上高く掲げている。その指し示す方向に、紀香の打ったボールが舞い上がっていた。
「うがあー!! くっそー!!」
紀香はバットを叩きつけて一塁に走る。完全に仕留めたかと思ったが、ミスショットであった。紀香の技量不足か、はたまたあおいの気迫が勝ったためか。
「オッ、オーライ!」
あおいが捕球姿勢に入る。エラーで出塁するという一縷の望みはあったが、それも空しくボールはあおいのグラブに収まったのであった。
「よっしゃー!」
球があおいに駆け寄ってハグをする。清水高校ソフトボール部の初勝利の立役者は、紛れもなく彼女たちであった。
試合が終われば味方、敵の区別はない。整列した後、選手たちは握手を交わした。
「やっぱりマメか」
あおいと握手をしようとした紀香が、潰れたマメに気づいた。あおいは慌てて「すみません!」と謝り、グローブをはめていた方の手を差し出す。
「ナイスピッチングだったぜ。今度はインターハイで会おうな」
「はい!」
「えへへ、いろいろ邪魔しましたけど今後もよろしくお願いします」
今度は球が手を差し出す。
「ああ、よろしくな!」
「ぎゃああ!」
紀香はにっこり笑いながら、ありったけの力をこめて握りしめてやった。
「今日はありがとうございました。たくさん学ぶことがありましたわ」
「ふん、公式戦でしっかり学習の成果を発揮することだな」
因縁の菅野、中野渡両監督も握手を交わす。
こうしてゴールデンウィーク合宿は終わりを迎えたのであった。
*
バスが星花女子学園に着いた頃は夕暮れ時であった。
「ああー、すんげー腹減ったー!」
紀香は部屋に戻るなり、自分のベッドに倒れ込む。だが夕食の時間はまだ来ていなかった。
「静、先に風呂入っちまうか?」
「……」
「静?」
静は何も言わずじっと見つめていた。が、突然何を血迷ったのだろうか。静は紀香のベッドの上にダイブして覆いかぶさってきた。
「!!??」
何が起きたのか理解する暇はなかった。自分の唇が静の唇で塞がれ、それどころか舌までねじ込んでくる。生暖かくも柔らかい舌の感触に目を白黒させつつも、静が息継ぎをするまでなすがままになっていた。
「はあ、はあ……い、いきなり何を……」
静は目つきをトロンとさせて、小声で伝える。
「何? 今まで我慢してたって……?」
静はさらに、合宿一日目の夜のことを話した。
「何? あたしが静とえっちなことをする夢を見ていたって……!?」
紀香はすっかり忘れてしまっているが、静の言っていることは紛れもない事実である。寝言を聞いたのは静以外にも何人もいるが、みんな紀香に気を使って黙っているに過ぎなかった。
「で……合宿が終わったら夢を現実のものにしたいと思っていた、って……?」
静は静かにうなずいた。
「そ、その、心の準備というものがあってだな……とにかく風呂と飯をだな」
お風呂よりもご飯よりもまず私。静はそう言って紀香を押し倒した。
「えっ、ちょっ、んんっ!」
静が再び唇を塞いでくる。
あの色ボケ二遊間コンビが要らんことを吹き込みやがったな、と決めつけた紀香だったが、あえなく快楽の海の中へと轟沈していった。
星花女子学園ソフトボール部の誇る主砲が、さらに一皮剥けた瞬間であった。
とりあえず第六弾はここでおしまいです。紀香たちソフトボール部の活躍、そして愛を深めあった黒ワンちゃんとはその後どうなったかについては、また別の機会に。




