EX07-9. 翻弄される紀香
「高校ソフトの洗礼を浴びちゃいましたねー、あはは」
ベンチに戻った瞳はあっけらかんとしていたものの、一回の裏の攻撃だけで三失点。相手が相手だけにまだそれだけで済んで良かったと言える。
もっとも、失点のきっかけを作ったのは紀香である。バットで取り返さなければ先輩として、主砲として面目が立たない。
打席に向かおうとしたら、前打者の飯田薫子が声をかけに来た。
「あいつのささやきにまともに取り合っちゃだめだからね」
「うっす、わかってます。変なこと言ってきたらバットで頭かち割りますから」
「本当にやんないでよ!」
投球練習が終わって、紀香は素振りをしながら左打席に入っていった。早速球が絡んできた。
「へへへー、よろしく頼んます」
ニタニタ顔が癇に障る。元はと言えばこいつがペースをかき乱してきたからだ、と紀香はすぐさま責任を転嫁した。
プレイの宣告がかかると、球はささやきだした。
「ど真ん中行きまっせ」
やかましい、と心の中で毒づいたものの、初球は本当にど真ん中の直球が来た。球審のストライクワンのコールがかかる。
「うわー、サービスボールやったのにもったいなー」
「……」
我慢しろ、と紀香は必死に言い聞かせる。怒ったら思うつぼなのだ。
球はサインを交換しながらなおも口を動かす。
「今投げとる宮坂って子、下村はんと対戦したがっとったんですよ」
「……」
ニ球目はスライダーがわずかに外れてボール。制球力は良い方だが、雲宝薫と比べると変化球のキレは劣るし球速も大して速くない。
「何せ下村はんは超高校級スラッガーやし。お父さんは有名人やし。打ち取ったら箔がつきますからねえ」
「……」
三球目は低めの落ちるボールに空振り。
「これが練習試合やなくインターハイの試合やったらもっと良かったかもしれませんけどねえ」
四球目は高めの釣り球で豪快に空振り三振。
「どーも。宮坂も喜びますわ」
「ぐっ……このっ……」
歯ぎしりしながらベンチに帰っていく紀香。術中に乗せられまいとしてもこのザマである。
「褒め殺しでいらつかせやがって……」
バットスタンドに乱暴に自分のバットを放り込むと、静に手招きされた。
「何だよ」
紀香が近寄ると、額に冷たいものをコツンと当てられた。天寿の出しているスポーツドリンク「めぐみ」のミニサイズ版であった。
「これで頭冷やせってこと?」
静はコクコク、うなずいた。すると不思議なことに、さっきまで頭にのぼっていた血がスーッと下りていくような感じがして、いらだちがたちまち消えていった。カッカしやすいが冷めるときも早いものである。
「へへっ、ありがとな。静」
紀香が「めぐみ」を一気に飲み干したところで大きな歓声が轟いた。五番の坂崎いぶきの打球が右中間を破っていったのだ。坂崎はなおも二塁を回って三塁へ駆けて、頭から滑り込んだ。ボールは間に合わずタッチすらできなかった。
「よっしゃああ!! さすがキャプテン!!」
坂崎のガッツポーズに紀香もガッツポーズで応える。ぽっと出の一年にやられっぱなしでいるわけにはいかない。紀香はメガホンを取って「オラー! 続け続けー!」と叫ぶ。ついで一年生にも「もっと声出せー!」と怒鳴りつける。
「行け行け行けー!」
「まず一点!」
鬱屈していた空気が少しだけ晴れた。
*
加治屋帆乃花の犠牲フライだけでどうにか最小失点で切り抜けた清水ナインだったが、武藤球は「う~ん」と首をかしげた。
「球やんごめんね。ボールが甘く入っちゃった」
「しゃーないて。坂崎さんは特に苦手としとるコースはないし加治屋さんはミートが巧いし」
次は八番打者からなので球に打順が回ってくる。星花女子は一年生投手をすっぱりと諦めて二番手が投球練習を始めていた。
「背番号18、日置さんか」
右打者にはシュートを使ってつまらせてくる傾向がある、とノートにはまとめている。そのノートは今、ベンチにいるナインが我先にと読み合っている。先程まで読めと言っても一文字も読まなかったにも関わらず。
八番、九番と右打者が続く。が、ノートの成果は活かされず二人ともシュートをつまらされて打ち取られた。キレは思った以上に良いようだ。
「しゃーないなあ」
ぼやきながら打席に入る。先程の二人と違って、外角を中心に攻めてくる。内角ギリギリを攻めてまた当たったフリでもされたらたまらないといった感じだが、二度と使える手ではないことをよく知っているのは球自身だ。
「へっへー、ツーアウト走者無しなのに慎重ですねえ」
帆乃花は反応しない。次も九割九分外角を攻めてくる。問題は何を投げてくるか。
ノートには日置マリのデータが書き連ねられている。しかしとっておきのデータは、球の頭の中だけに保存されていた。何もかも他人に教えるほど、球はお人好しではなかった。
ウインドミルモーションに入り左足を踏み出した瞬間、日置マリの口から舌が少しはみ出るを見た。スライダーを投げるときに出る癖。これこそがノートに書かれていないデータの一つであった。
外角へのスライダーを狙い通り、おっつけて捉えると打球は一二塁間を破っていった。
「やったー! 球やんナイスバッティング!」
あおいの声がよく聞こえてくる。外角の難しいボールを打ったというアピールができたことも相まって、実に気分が良い。それに引き換え、一塁を守っている紀香は露骨に機嫌の悪さを顔に出していた。
「へへへー、またお会いしましたね下村さん」
紀香はわざとらしく耳を指で塞いだ。とはいえそのまま守備につくわけにいかないのですぐ指を戻したが、お前の話なんか聞きたくないという意志表示を無視して球はしゃべる。とっておきのネタを披露するために。
「スコアブックつけてるの、下村さんの彼女さんですよねえ」
「!?」
紀香は血相を変えて球に振り向く。
「実はおとといの夜、抱き合っとったの見てしもうたんですわ。へへへー」
「お、お前だったのかっ……!」
ボテボテのファーストゴロが転がってきた。紀香がファーストミットを下ろしたが、ボールはその下を無情にもかいくぐっていってしまった。
紀香の喜怒哀楽はよくわかる。まるで、テストで悪い点数を取り返却された答案用紙を呆然と見つめている生徒みたいな顔つきになっていた。
「タイム!」
球は両手でTの字を作って塁審にタイムを要求すると、スパイクの紐を結び直す。それには二つ目のエラーに笑いを堪えきれなくなりかけたのを、どうにかして必死にごまかす狙いもあった。




