EX07-7. Devil's whisper
「うん、初めてとは思えないぐらいよく書けてるよ」
先輩マネージャーの奏乃にお墨付きを貰った静はぺこり、と頭を下げた。スコアブックを書くのははじめてだったものの、きちんと教えられた通りに書けたようである。
中休みが終わって二試合目のメンバー表が交換されると、静はまず四番打者の欄に恋人の下村紀香の名前を書き、それから打順に従って欄を埋めていった。主役は真っ先に名を連ねる、というひとつのこだわりである。
最後に「P」、すなわち投手の欄には同級生の貴伝名瞳が記された。もしもゲームが中断されなければはじめかマリが登板する予定であり、二試合目にどちらかをスライド先発すると思われていた。しかし菅野監督は敢えて一年生を投入した。ただし組む捕手は先輩の帆乃花で同級生の仁奈ではない。
「あーあ、瞳ちゃんと組みたかったなあ」
静は仁奈に愚痴られたが、マネージャーがメンバーを決めるわけではないのだからどうしようもない。静からすれば贅沢な悩みだ。マネージャーだから紀香と一緒に試合に出られないし、公式戦になると記録係は一名しかベンチに入れないから年功序列的に自分が弾かれて外から見守ることしかできないのに。
紀香はベンチ端に据え付けられた姿見で打撃フォームを確認している。変化球にうまく対応できるように打撃フォームの修正に取り組んでいるとのことだが、どこがどう変わったのかよくわからないのが正直な感想だ。それでもバットを構える姿のかっこよさは変わらずであったが。
二試合目でもダイヤモンドを象ったマスにホームランを示す記号を書き加えさせて欲しい、と静は願った。まるで自分が打ったかのような気持ちになれるから。
「んー、清水さん珍しいスタメンの組み方してきたねー」
奏乃が首をかしげている。メンバー表に基き相手チームのスターティングメンバーも記入しているのだが、何が珍しいのか静にはわからなかったから卒直に聞いてみた。
「一番に捕手がいるでしょ。一度だけ帆乃花ちゃんが一番捕手で出たことがあるけど、捕手は足の速さが他の野手ほど求められないポジションだから一番を打つのはまれなんだ」
ふむふむ、と静はうなずいた。帆乃花は例外的に俊足だが三塁を守るケースも多いし、捕手一本の知子は全く足が速くない。仁奈に至っては50mダッシュでビリである。
「この武藤球って子が帆乃花ちゃんみたいな俊足巧打タイプだったら厄介だねー」
その武藤球らしき選手が防具をつけて投手を立たせて投球練習をしているのが見えたが、眼鏡をかけているからか知子を連想させて、あまり足が速いような印象は受けなかった。
「ま、瞳ちゃんの活躍に期待しましょ」
奏乃は楽観的であった。静はこの先輩が宿舎を出る前に土産コーナーでしこたま饅頭を買っていたのを思い出した。合宿も終わりに近づいてきたから、気持ちが楽になっているおかげかもしれない。
*
一試合目と逆に先攻の星花女子。切り込み隊長として送り出したのはやはり不二美であった。一試合目では全打席出塁してホームに帰還している。
「お願いします」
球審に挨拶したら、捕手が返してきた。
「よろしく頼んますわ、ふじみんさん」
「は?」
顔をしかめる。ふじみん呼ばわりして良いのは恋人だけだ。
相手投手の宮坂あおいが身を沈めてウインドミルモーションに入り、右腕がしなって一球目が投じられた。まず見送る。
「ストライク!」
外角に決まったが、全然大した球じゃないな、と不二美は鼻で笑う。まだ平野の方がマシなレベルである。
「へっへっへっ、慎重ですねえ」
球が笑いながら返球する。杉村もボソボソと挑発してきていたが、打ち込まれた後は黙り込んでしまった。こいつも二度と減らず口を聞けないようにしてやろうかと意気込んだ矢先、
「愛しいじゅんじゅん相手やったら大胆になるんですかねえ?」
「!?」
二球目が同じコースに来たが、つい見送ってしまった。
「へっへっへっ、何で知ってんの? って顔してますねえ」
杉村相手とは比べ物にならないほどの、得体の知れない不快感が不二美の体を蝕んでいく。まだろくに体を動かしてないのに、たらりと一筋の汗が流れる。
「確かここ攻められたら弱いんですよねえ」
内角高めのボールを、不二美は打ち上げてしまった。平凡なショートフライ、これでは足を活かせない。
「ふじみん、ドンマイ!」
ネクストバッターズサークルの純に声をかけられても無視して、ベンチに戻ってきたところで菅野監督が叱る。
「転がさなきゃダメよ。足が活かせないでしょ」
「すみません。でもあのキャッチャー、いろいろとヤバいです」
「何がヤバいのかちゃんと具体的に言いなさい」
「その、私と湯沢のあだ名とか関係を知ってるみたいで……」
ベンチに居るもの全員が怪訝な表情になる。そこへ純が戻ってきた。初球に手を出してゴロを打たされたのであった。満塁のチャンスをフイにしたかのように顔が真っ青になっていた。
「何であいつ、クッキーゲームのこと知ってんの……」
耳打ちしてきた途端、不二美も血の気が引く思いをした。合宿一日目の休憩時間に静のプロテインクッキーをみんなで食べたのだが、バー状の形だったのを良いことに不二美と純はふざけ合ってポッキーゲームならぬクッキーゲームに興じていた。もちろんゲームにならず結局キスしたのだが。
「もしかしてあいつ、わざわざ私たちの合宿を見に来ていた……?」
三番の飯田薫子が為す術もなく戻ってきた。
「嫌なコースばかりつかれた。みんなの弱いところはちゃーんとわかっとりまっせ、なんて言ってきて……」
「……」
菅野監督がため息をついた。
「やっぱり覗き見していたのね、私たちのことを」
合宿の練習は学校と違って一般人が出入りできる場所で行われた。そこに武藤球が偵察しに来ていたとしか思えなかった。
練習では実戦形式を中心に行われていた。チームや個人の長所と短所を手っ取り早く知ることができたが、その場に武藤球がいたならばタダでデータを提供したのと同じである。休憩時間中の他愛のないひとときも選手の性格を見極める場となり、たちまちデータと化してしまった。恐らく最初の試合も最初から捨てるつもりだったかもしれない。
そう監督が言うと皆色を失ったが、紀香だけは、
「じゃあ、二試合目は本気でかかってくれるってことっスね。楽しみになってきたじゃないスか」
「下村さんは相変わらずねえ。その気持ち、大事よ」
「そう、気持ちが大事っスよ気持ち! なあ瞳! お前もナインを信用してどーんと構えて投げなって。打たれてもあたしが倍返ししてやっからよ!」
そう豪語して、先発する瞳の腰を思い切り叩いた。
「やっ、やってやりますよ!」
*
「よーし、良いぞ宮坂!」
中野渡彩子監督がグータッチであおいをねぎらった。続いて球にもグータッチする。
「お前の頭は大したもんだな!」
「へっへっへっ、ありがとうございます~」
平野と杉村がベンチの隅でバツが悪そうにしているのをチラッと見た。ざまあみろ、という感想しか出てこない。
「球ちゃんのリードは凄いよ。まるで魔法にかかったみたいに凡打していくんだもん」
「んなもん、あおいっちの制球力のおかげよ」
あおいは球速や変化球ともに平凡の域を出ないが、制球力は図抜けており、中学時代は公式戦で四球ゼロという数字を残していた。とはいえチーム全体で実績を残しておらず、本来であれば推薦枠にかかるはずがなかったが、彼女が清水に入学できたのは学校運営の事情による。
いくら全国からかき集めても、地元県民が一人もいなければいわゆる「外人部隊」の誹りを受けて評判が上がらない。そのため、中野渡監督は最低でも一人は地元の中学生を採用するようにと学校から指示を受けていた。
学校から提示されたリストはどれも実績のある選手ばかりであった。だが中野渡監督は敢えて無視して、清水高校のすぐ近くの中学に通っていたあおいに白羽の矢を立てた。たまたま練習試合を見たのがきっかけであり、投手の生命線と言われる制球力の高さと、素直な性格が中野渡監督に気に入られたのである。
地元の中の地元の出身というだけで学校の感心を買ったが、このときの中野渡監督の期待値は平野より下であった。だが球は素直なあおいを気に入っていた。自分の言う通りに投げてくれるし、そうして相手を抑えることで自分のリード力も評価される。
あおいとともに高みを目指す。目標はインターハイではなく、その先である。
球は防具を外すと、バットを持って素振りしながら打席に向かった。相手は自分と同じ一年生でライズボールを得意としているが、こちらにはデータがある。何も怖いものはない。
「球やん頑張れー!」
「んじゃ、行ってくるで」
あおいの声援に、球はヘルメットのツバを触って答えた。