04. ラスト・クリスマスが流れる中で
ブォン!
ブォォン!
ブォォォン!
「バッターアウト!」
「うがああああくそおおお!」
三球目のチェンジアップに空振りしたときに勢い余って尻もちをついた紀香は心底悔しがった。どんなにパワーがあってもバットがボールに当たらなければ扇風機と同じである。
グラウンドの外では、静は相変わらず紀香の方を見つめたままだ。しかしどこか冷めている感じがする。
「せっかく見に来てくれてたってのによー……あーもうクソッタレ!」
紀香は三振を取った相手をにらみつけるが、本人は口元をグラブで隠してツリ目を細めている。紀香は三振した自分のことをすっかり棚に上げてむかっ腹を立てた。
「こいつー……」
「何がこいつ、よ」
「う」
監督の菅野逸枝教師が、バッターボックスから戻ってきた紀香を仁王立ちで出迎えた。こちらは口元だけ笑っているようだが、こめかみには幾筋もの青筋が立っている。菅野監督は普段は温厚だが、怠慢プレーや状況を全く考えないプレーに対しては容赦ない態度を見せるので、選手からはそれなりに恐怖の対象となっていた。
「今の大振りはさすがにVery bad performanceよ?」
「ハイッ、スンマセンシタ!」
中等部の英語教師でもある菅野監督は英語混じりで叱責すると、紀香はただ謝るしかなかった。菅野監督は細かくネチネチ言うタイプではないから、紀香は素直に彼女の聞く耳を持っている。
紀香は一言二言叱られてから解放された後、またフェンスの外を見た。もう静の姿はもうなかった。彼女が見たのは三振して怒られる自分の姿だけである。
「全く、情けねえなあ。クソックソッ!」
紀香はバットで自分の頭を守るヘルメットをボコボコと叩いた。
やがて日没時間になり、練習は終わりを迎える。菅野監督は後片付けを終えた部員たちを集めて訓示した。
「もうすぐ冬休みですが、年明けにはニューイヤーカップが控えています。各自練習を怠らないように」
「はいっ!」
「解散」
「お疲れ様でしたー!」
紀香は普段であれば心地よい疲労に包まれているが、今日の結果には納得がいかずもやもやしていた。そこへ、
「はい、どうぞ」
と、マネージャーの美波奏乃がアメ玉を渡してきた。
「ハッカ味。心が落ち着くよっ」
「おお、マジサンキュー!」
とても気が利くマネージャーの好意を受け取り、口に入れる。口の中も気分もスーッ、としてきた。紀香はソフトボールに関してはミスをひきずらない気質だから、明日にはすっかり忘れていることであろう。
寮生活組は先輩後輩ひと固まりになって一緒に寮の方に向かう。準備運動中にもイチャイチャしていた新浦不二美と湯沢純は手を繋いで紀香たちの前を歩いているが、「真冬に試合するなんてありえないよー」などという愚痴が聞こえてくる。
「そういやニューイヤーーカップって何だ?」
紀香は右隣のはじめに尋ねた。
「もー、前にも監督が説明してたでしょ」
「意地悪言わず教えてくれよー。おねげえしますだお代官さまあ」
「誰がお代官よ」
左隣にいた奏乃がしょうがないなあ、と代わりに再説明する。
「ニューイヤーカップは毎年一月の成人の日が絡んだ三連休に開かれる、空の宮市、橋立市、海谷市、夕月市が持ち回りで開催する近隣高校どうしのソフトボール対抗戦なの。各市から代表を一校選抜しての計四チームでの対戦ね。今回の大会は空の宮市主催だから、星花女子が代表に選抜されたってわけ」
「星花女子以外にも高校あんだろ。なんでウチなんだ?」
「空の宮市は『天寿』の企業城下町。星花女子の経営母体は?」
「……あ、そうか!」
実際は公式戦の成績も加味されているのだが、空の宮市内のどの高校のソフトボール部も星花女子とはどっこいどっこいの成績であった。となると主催者側の判断材料は自ずと別の物差しになる。
「でも、年明け早々試合があるのはありがてえよなあ」
全国大会の予選とは格が全く違うが、ここでチームが活躍すれば菊花寮残留に向けて多少なりともアピールできるかもしれない。
「そう? わたしはあんま気乗りしないな……実戦だとどうも調子悪くなるし」
はじめが大きなため息をつく。紀香は背中を叩いてやった。
「ふふふ。この星花女子ソフトボール部史上最強スラッガーである下村紀香様をカモにしてんだからさ、もっと自信持てよー」
「でも、他のみんなは紀香ちゃんみたいに何でもかんでもブンブン振り回さないもん」
「今日の三振なんかボールとバットが70センチぐらい離れてたもんね」
「ぐぬぬ」
全部事実だから言い返しようがない。だがフルスイングは紀香のポリシーだったから、捻じ曲げるわけにはいかないのだ。
もっとも、今日は気負いすぎたせいもある。無造作ショートヘアーの少女の顔が紀香の頭に浮かんだ。
*
「昨日はごめんな。せっかく見に来てくれたのに」
「……」
黒犬静はスプーンを動かす手を止めなかった。今日彼女が頼んだのはカレーライスである。何の反応も示さないが、いつも通り食事に誘ったらついてきてくれたので特に何とも思っていないだろう、と紀香はポジティブな方に考えた。
学食の壁にはきらびやかな飾り付けがされている。クリスマスはすぐそこに迫っていた。イブの日には学校をあげてイベントを行うのだが、紀香にとっての恩恵はその日の菊花寮の夕食が多少豪華になるぐらいしかない。
校内放送のBGMでも、かの有名なWham!の『ラスト・クリスマス』が流れ出した。
「この歌、好きじゃねえんだよな」
紀香はつい本音を漏らした。
中学校の英語の授業で散々歌わされたのもあるが、何よりこの失恋ソングの歌詞と似たような、痛くて苦い思い出が甦ってしまう。
――Last Christmasではなく七月の熱い日。next dayどころかその場で。
思えば入学してから八ヶ月間はソフトボール漬けの日々であった。誰に言われてやるわけでもなく、自分の意志で敢えてそうしていた。忘れたいから。
ちなみに紀香の実際のLast Christmasでは、推薦入試に備えてソフトボール漬けになっていた。星花女子ではない別の高校の入試である。実技試験では文句なしの出来だった。しかし面接で紀香は……。
「……」
いつしか静がスプーンを動かす手を止めて、紀香をじっと見ている。まるで「どうしたの?」と聞いているかのように。
嫌いな歌によってほじくり返された嫌な思い出にイラ立っていたが、それが知らず知らず態度に表れていたらしい。紀香は醤油豚骨ラーメンノリカスペシャルのもやしと麺をひっくり返したきりで、そこから一度も箸を動かしていなかった。
「ああ、何でもねーよ」
紀香は笑顔を取り繕い、麺をつまみ上げて口にしはじめた。
しかし静はまだじーっと見つめたままである。「ホント?」とでも言いたげに。感情が欠落している人間が持っているとは思えないほどの、綺麗な瞳であった。
「うん。ホントはまあ、ちょっといろいろあってな」
「……」
静はおもむろにケータイを取り出すと、とてつもなく素早い指の動きで操作して、画面を紀香に見せつけた。SNSアプリのQRコードであった。
「……」
「これは……もしかして、あたしと連絡先を交換しろってこと?」
「……」
静は無言で、ケータイを指でトントンと叩いた。自分のを出せ、ということらしい。
「おお……ワンちゃん、最初にあたしと会ったときよりめっちゃ積極的になったな、おい」
紀香の心の荒波がすーっ、と穏やかになっていく。もちろん紀香は喜んでケータイを差し出して、QRコードを読み取り「友だち」に追加した。
「まさかアプリやってるとは思わなかったなー。こう言っちゃ何だけど、誰かとメッセージやり取りしてるなんて想像できねーからさ。あ、親との連絡に使うか」
静は紀香の言葉を無視するかのように、サササッと指を動かした。すると、今しがた使ったばかりのアプリの着信音が紀香のケータイから鳴った。
「うお、ワンちゃんいきなりメッセージかよ」
今まで一度も言葉を発したことがない静が果たして何を送りつけてきたのか。とりあえず開いてみた。
『二十五日、暇ですか?』
「え……ワン、ちゃん?」
紀香の大きく見開いた目を、静は綺麗な瞳でただじーっと見つめている。
"I'll give it to someone special"というフレーズがやけに大きく聞こえた。
話を書くにあたって芝井琉歌様考案のソフトボール部マネージャー、美波奏乃ちゃんをお借りしました。