EX07-2. 裸のつきあい
合宿所のホテルに着いてからは、班単位での行動となる。紀香の班は「桃の間」という十四畳敷きの和室の部屋をあてがわれた。
「仁奈ちゃん初音ちゃん、外見てよ!」
「うわあー!」
「綺麗ー!」
貴伝名瞳と国包仁奈と八代醍初音の一年生三人が感嘆の声を上げた。それぞれシート打撃で紀香を三振に取った投手、俊足の新浦不二美を刺し殺した捕手、そして直後に湯沢純のセンターへの大飛球を好捕した外野手である。
窓の向こうには夕焼けに照らされた大きな湖があり、茜に染まった水面が幻想的な美しさを見せている。紀香もしばし、見とれていた。
「こいつはすげえ。黒澤先輩も見てくださいよ」
後ろを振り返ると、黒澤加奈子は壁にもたれて座り、スマートフォンから流れる音楽をヘッドホン越しに聞いていた。
加奈子は投手陣の一人である。投手は変わり者が多いと言われているが、加奈子も間違いなくソフトボール部で一、二を争う変わり者である。決して悪い人物ではないが、紀香はこの先輩のことを少々苦手としていた。そもそも一匹狼的な性格でチームの中では浮いている存在だから、大半の部員は苦手としているが。
紀香は心の中でため息をつき、加奈子を放置することにした。
「おーい紀香ー。お風呂行くよー」
部屋の戸が開くと同時に、二年生の日置マリと頼藤花子が顔を見せた。
「そうだ、今日はあたしらが先風呂だったな」
風呂は三班ずつ行くことになっている。グーパーじゃんけんした結果、紀香はマリと花子の班と一緒になった。はじめの班にいる静とは残念ながら一緒に風呂に入ることはできないが、寮ではいつも一緒に風呂に入っているからまあ別にいいか、と気持ちを切り替えた。
女湯の更衣室に入ってものの数秒で着ているものを脱いで浴場に入ると、桜花寮の浴場にあるのと比べて倍ほどはあると思われる大きさの浴槽がど真ん中に鎮座していた。ホテル名物の「千人風呂」である。
「おおすげー!!」
紀香はいますぐ入りたい気持ちを抑えて、まずは洗い場で頭と体にこびりついた汗を洗い流すことにした。両隣にいる同級生と話をしながら。
「はじめと次期エース争いするつもりが、イキの良い一年がぽっと出てきたからやべーんじゃねえの?」
「まあね。でも下手に意識しないで私は私でいくよ」
マリが答えると、花子がお国言葉を交えて愚痴りだした。
「瞳ちゃんがようやっとるから宇喜多先輩が野手一本に絞っていく言うとるんよ。あの子のせいで先輩とポジション被っとる私がでーれーとばっちりじゃわ」
「他人のせいにすんなよ。花子ちゃんよー」
「こら、花子言うんじゃねえ」
「おわーーっ、冷てえー!!」
花子は冷水シャワーを紀香にぶっかけた。彼女は自分の古臭い名前で呼ばれるのを何よりも嫌っており、何人たりとも苗字でしか呼ばせなかった。
「私かて得意の変化球打ちをさらに伸ばすための猛練習をしてきたけんな、先輩に負けん武器は持っとるよ」
「紀香は安泰だよねー。紀香並のパワーを持ってるの、星花どころか全国でもあんまいないし」
「ったりめーよ。引退まで四番の座は絶対譲らねーからな! おお、冷てえー……さっさと風呂入ろ」
紀香はボディソープを温水シャワーで流すと、いよいよ風呂に向かった。まず足だけ入れてみて程よい熱さであることを確かめ、一気に飛び込むようにして入ったら、うおお、っと声を上げてしまった。
この千人風呂の特徴は広さだけでなく、深さも1mほどあることだ。ちょっとした温水プールである。
「マリ、頼藤。気をつけろよ。胸の深さまで――」
「「うおおっ」」
「遅かったか……」
マリと花子も紀香と同じ目に遭ってしまった。遅れて紀香班の一年生三人がやってきたが、先程の様子を見て理解したのか、備え付けのはしごを使って慎重に降りてきた。
「んああー、いい気持ちだあ……」
同級生二人も本当に、と同意した。これで静がいたらもっと幸せな気持ちになれただろうに。
紀香は一年生トリオの真ん中に声をかけた。
「初音、ソフトボールには慣れたかー?」
「はいっ! 先輩たちのご指導のおかげです!」
素直で良い子だなあと感心した。八代醍初音は実は入学まで全くソフトボールの経験がなく、基本から教えているところである。ところが運動神経と身体能力がかなり高く、教えたことはどんどん吸収していっている最中である。今日のシート打撃でもセンターへの打球を上手く捕球しており、一ヶ月前までボールすら触ったことがない人間とは思えなかった。
「初音って中学じゃ歴史研究部だったよな?」
「はい」
「何を思ってソフトボール部に入ったんだ?」
「元々運動が好きだったんです。高校では運動部に入ろうと思ってたら、ちょうどソフトボール部の練習試合を見る機会があって、キャプテンが外野で指示を飛ばしてるのが格好良いなーと思いまして」
変わったところに目をつけたんだなあ、と紀香は笑った。最初は練習についていけるのかと心配していたがいざフタを開けてみれば掘り出し物で、これからが楽しみな逸材である。
紀香は話題を変える。
「三人とも中学は公立だったな。星花女子はどんな感じよ?」
「変わった人がいっぱいいて面白いですねー!」
仁奈が真っ先に答えると、大きな笑い声が浴場にこだました。
「今年の一年はキャラ濃いのが多かろう? 現役アイドルとかセグウェイで通うヤツとかな」
と花子が言うと初音が、
「そうですねー。私のクラスには身長185cmの巨大娘がいますし」
「初音ちゃんは被服科じゃったな。二年の被服科にもそんぐらいでっかいヤツがおるぞ」
「本当ですか?」
「確か三年の先輩に190越えの人もおった。だから身長高いぐらいじゃキャラが濃いとは言えんなあ」
やっばー、と三人は声を合わせた。
「でも、やっぱ一番濃いのは中等部の柔道部の子じゃない? 白い髪の」
マリの言葉に紀香が「それな!」と同意した。
「去年の今頃、あいつと一緒に五キロ分のオムライス食ったのを思い出した」
「う、うん。紀香ならそんぐらい平気か」
「でもあいつ、本当は火の通ったものが苦手で一番の好物は生肉だって言ってた」
「ええっ!? 生肉食うの?」
「特に生のレバーが良いんだと。最初はウソくせえと思ったけど事細かに味を説明してくるからマジで食ったことあるみたいだな」
瞳がボソッとつぶやいた。
「とんでもない学校に来ちゃったな……」
紀香はケタケタと笑って、
「でも、退屈しねえぞ」
ウンウン、と紀香の両隣もうなずく。
そのとき、浴槽の真ん中を突っ切るように黒い影がスーッ、と動いているのを見た。
「わっ、何だこれ!?」
正体はすぐに知れた。ザバッ、と急浮上して現れたのは。
「黒澤先輩!?」
加奈子はまた身を沈めて顔だけは出して、こう言った。
「みんなも泳いでみろ。気持ちいいぞ」
子どもっぽいことをする人とは思えなかった分、そのギャップが紀香の笑いを誘った。この先輩のキャラクターの濃さも大概だ。
ちょうどソフトボール部以外の宿泊客の姿はいない。
「よっしゃー! みんな泳げ泳げー!」
紀香の号令で、浴場は一気に遊び場と化した。けたたましい声を上げながらじゃぶじゃぶと泳ぎまくり、中にはお湯のかけあいをするのもいた。そこには先輩や後輩の区別などなかった。
しかし楽しい時間がいつまでも続くわけがなく。
「コラッ!! 何やってんの!!」
「あいてーっ!」
入浴時間を過ぎていたことに気づかなかったのが運の尽き。入ってきた後風呂組の中にいた主将の坂崎いぶきが風呂桶を浴槽に投げ込むと見事に紀香の頭に命中。騒ぎはこうして収まったのである。
*
班長責任ということで前風呂組の二年生たちはいぶきにこってりと絞られた。特に紀香は主砲という立場からか他の二人よりかなりきつめに怒られていた。
お説教が終わって坂崎のいる部屋から出たときには、せっかく温泉で癒やした疲れがまた積もったような気分になっていた。正座させられていたから足もしびれて仕方がない。許されるならもう一度ゆっくりと温泉に浸かりたかった。
唐突に大丈夫ですか、と声をかけられた。静だった。
「ああ、大丈夫だ。悪いのはあたしらだからな」
静はちょっと外へ出ませんか、とジャージの袖を引っ張った。壁にかかっている時計を見たら、夕食まで若干時間があるので外出することにした。
ホテルから出ると、紀香たちは道路を挟んで向かい側にある湖の見える公園に足を向けた。日はすっかり沈んでいて湖は暗闇の中に溶けてしまっていたが、湖を取り囲む街の灯りが煌々と輝いていた。星が地上に降りてきたかのようである。
「うわー、こいつぁすげー……」
紀香はここに来てから三度目の「すげー」を口にした。
ちょっとは元気出ましたか、と静。
「ありがとうな」
静の頭をポンポンと撫でてやる。すると静はぎゅーっ、と紀香に抱きついてきた。
先輩と会っていなかったらこんな素敵な夜景が見られませんでした、と静。
甘い香りが静の体から漂っていたが、単に風呂上がりだからというわけではなさそうだ。
紀香は抱き返した。静のぬくもりが愛おしすぎて、ずっとこのままでいたい気持ちになった。健啖家の彼女がもう夕食なんかどうでも良いとさえ思いかける程に。
しかし二人が今いる場所は、実はジョギングコースのど真ん中であったことを知るはずがない。
「あわわっ! すっ、すんまへん!」
ジョギングしていた女性が紀香たちを見るや、踵を返して走り去ってしまった。
「う、うわ……見られちまった……」
別にいいでしょう、旅の恥はかき捨てですし。
静はそう言って、紀香の真っ赤な頬を撫でた。
*
清水高校女子寮。一部屋が四畳と狭く漫画喫茶の個室みたいだとか、ある者は刑務所の独房みたいだとか文句の声も聞こえるが、プライベートがしっかり確保されているのが最大の利点である。
その一つの部屋で、武藤球は先程のジョギングで偶然見てしまった女性どうしの睦み合い脳内で再生させつつ、日中に取ったメモをノートに清書していた。
「下村さんもばっちり染まっとるなあ……」
机の横に置いたラジオがからは野球中継が流れている。解説は下村義紀、つまり紀香の父親で、饒舌ぶりをいかんなく発揮しているが、技術論や展開そっちのけで選手のゴシップ的な話ばかりしていてアナウンサーを困らせている。
「娘の恋愛事情は知っとるんやろうか」
義紀も高校時代は相当遊んでいたと聞いている。しかし親という立場にいる以上、自分もやったからお前もやれ、なんて言えるとも思えない。
「まあウチが他人の家庭のこと心配してどないすんねんって話やけどな」
球は二色ボールペンの芯を赤色に変えて、さらに書き加えていく。空欄がほとんどない程にびっしりと文字や絵で埋まっている。
「でも、データとして目一杯利用させてもらうでぇ」
球は紀香について記したページに赤字で、下線をつけてこう書いた。
『下村紀香はマネージャーとデキている』




