EX07-1. ゴールデンウィーク合宿
ゴールデンウィークは部活動のある生徒にとって、とりわけ運動部は練習や試合を行う所が多く、ゆっくりと過ごらる時間が少ない。ソフトボール部においても、ゴールデンウィークは二泊三日で強化合宿を行うのが習わしになっている。
ところが今年度の強化合宿はひと味違う。例年学校で行われていた合宿が、今年はよその土地で行うことになったからである。
合宿地は北隣のN県で、学校からバスで二時間ほど走ったところ。そこは巨大な湖を湛える風光明媚な場所として全国に名を知られている所である。部活動とはいえちょっとした旅行と言えるので、部員たちは楽しみにしている節があった。
とりわけ新入生の合宿にかける意気込みは高い。新入生にとっては合宿は最初のアピールの場だからである。今年は十人を超える新入生を迎えているが、二・三年生は合わせて十五人。例え十七人のベンチ枠に年功序列で入れたとしてもあと二名、一年生が入る枠がある。この枠をかけて、合宿で一年生たちは互いの和を深めつつも競い合うのである。
インターハイ予選までは長いようで短い。この三日間の合宿が新チームの良し悪しを決めると言っても言い過ぎではなかった。
「うおーーー!! すげーーー!!」
予定ではバスを降りてすぐに練習が始まるのだが、紀香は準備をするのもつい忘れて、視界いっぱいに広がる湖の雄大さに感動していた。
湖だけでなく、練習場のグラウンドも相当広い。大きさにしてソフトボール球場なら四面、サッカー場なら二面取れる程で、そらのみや球技場のちょうど倍ほどである。他の団体も使用しているから練習自体はグラウンドの一角のみを使って行われたが、それでも学校のグラウンドに比べれば開放感が段違いである。雄大な自然の下、部員たちはのびのびと練習に取り組みはじめた。
その様子をじっと見つめる者たちがいたことは誰も知らない。
*
「おったおった。あれが下村さんや」
「へえ、意外と小さいんだなあ」
ブラウスの上に学校指定の黒いセーターを着た女子高生二人が、金網の向こうにいる人物、下村紀香に目を止めている。シート打撃が行われている最中、紀香はグラウンドの隅でトスバッティングをしていた。
「身なりはちっこいけどパワーは侮れへん。中学校の頃に都道府県対抗で対戦したことがあるけど、ボールが真芯に当たったら軽々とフェンスを越えていきよるよ」
「へえ。それなのに何で県外の無名の学校に進学したんだろう?」
「そら監督の力やろなあ。菅野逸枝さん、今は教師やけど実業団時代は弱小チームを支えた豪速球投手で、強豪チームにおったら確実に日本代表に入っとったと言われてる悲運のエースやもん。そんな人に誘われたら行きたくなるやろ」
紀香は別の理由で星花女子に入ったのだが、そこまでは彼女たちが知る由はない。
「無名の星花女子が私たちの学校と練習試合組めたの、菅野さんの力なのかな?」
「やろなあ。つーか無名って言ったんなよ。ウチの学校の方が全然無名なんやし」
「でも、こっちはソフトボールエリート揃いでしょ。楽勝だって」
「せやろか」
シート打撃の方見てみ、と関西弁の少女が指さした。
一塁にランナーを置いた場面。長身の左腕が長い腕を振り回してボールをリリースした瞬間、ランナーが盗塁を試みた。バッターも空振りでアシストする。
「おりゃあっ!!」
捕球したキャッチャーが雄叫びを上げて、なんと座ったままで二塁へと送球した。ボールもほぼ直線の軌道を描き、カバーに入ったショートがグラブを差し出したところにドンピシャで納まった。ランナー足がベースに届くのはほんのわずかな後のことであった。
「いやあああ! ふじみーん! ふじみんが刺されたー!」
バッターが半狂乱状態で叫んでいる。関西弁の少女は若干ドン引きしながらも、
「うわ、えげつない肩しよるわー。ランナーもええスタート切って足も速かったのに……」
そう言いながら、ボールペンを取り出してメモ帳に記入した。「肩の強い捕手がいる、要注意」と。
「じゅんじゅん、私の仇を取ってー!」
「オッケー、ぶっ潰してあげるから!」
刺殺されたランナーとバッターとの間で物騒なやり取りが繰り広げられると、周りから野次と口笛が飛んだ。さながらカップルをからかうようであった。
「うーん、噂には聞いとったがホンマなんやろなあ……」
「何の噂?」
「ちょいと星花女子について調べたんやけど……多いらしいんよ。いわゆる『百合』が」
「ユリ? お花がどうしたの?」
「こういうことよ」
関西弁の少女は、頭一つ背の高い相手の整った顔に手を添えて、唇を近づけた。
「ちょ、ちょちょちょっと待て! 球やん!」
「えへへー、今のエエ面しとったでえ、あおいっち」
あおいっちこと宮坂あおいの赤く染まった頬を、球やんこと武藤球は指でツンツンと突っついた。あおいはその手を振りほどき、
「別に女の子どうしの恋愛は自由だと思うけど、私自身はソッチに興味ないからね!」
「ほら、二球目投げるよ」
球は無視して再びグラウンドの方を見やった。ちょうど、バッターがフルスイングでボールを捉えたところであった。たまたま振ったところにボールがまぐれ当たりしたといった感じの大振りであったが、ボールはセンター方向に向かってグングンと飛んで行く。
中堅手が追うが、打球は頭上を越していくかに思われた。だが中堅手はジャンプ一番、グラブに納めた。勢いがつきすぎてグラウンドにゴロゴロと転がりこんだが、グラブを掲げてしっかりと捕球をアピール。
「やったー! 捕ったー! 捕りましたー!」
一二塁間で頭を抱えて屈み込むバッターと対照的に、中堅手は体全体で喜びを表した。
「追い方が怪しかったけど上手いこと捕りよったなー。ピッチャーの方も当てられたとはいえなかなか角度のあるドロップ投げとったし、これは侮れんぞ。来て正解やったわ」
球たちは自分たちの所属する清水高校ソフトボール部の監督の指示で、星花女子の練習の様子を見に来ていた。二日前の晩にたまたま聞いていたラジオのトーク番組で美滝百合葉と下村義紀が共演していたが、その場で百合葉が義紀の娘、紀香と同じ星花女子に通っているという話が出なければ、いくら監督指示でもサボっていたかもしれない。
「監督ー!」
紀香が急にトスバッティングを止めて大声を立てた。
「一発あたしにも打たせてくださいよー!」
三塁のコーチャーズボックスにいたサングラス姿の大人の女性が答えた。
「まったくしょうがない子ね。一打席だけよ」
「おっしゃー!!」
紀香は意気揚々とバットを振り回して、ヘルメットを被って打席に向かった。
「おお、待ってましたのお待ちかねやな。凄いモンが見れるで」
球が金網を掴む。
「おう一年! 色ボケコンビに代わってあたしが高校ソフトの洗礼を浴びせてやるから覚悟しとけ!」
バットの先端を投手に向けて挑発する紀香。相手は少しも動じることがなく、
「ノリさん、お手柔らかにお願いしますよー!」
そう返すと、ボールをグラブにバシバシと出し入れした。
「球やん」
「ん?」
「みんな楽しそうにしてるよねー」
球は大きくうなずいた。
「明後日は面白いことになるで。下村さんもおるしな」
*
「見事に一年生の洗礼を浴びちゃったね」
「うるせえ!」
有原はじめにからかわれた紀香は気色ばんだ。
勝負の結果はライズボールでボールの遥か下を振っての三振。ついで尻もちをついて倒れるという失態を見せてみんなに笑われてしまい、洗礼発言もあって大いに恥をかいてしまった。
「あいつ結構エグい球投げてくるな……お前も後輩に抜かれないよう危機感持った方がいいぞ」
「言われなくたって」
紀香を三振に切ってとった一年生投手は同級生と談笑していた。背が高いから頭ひとつ抜き出ていて目立っている。実力も今のところは同級生の間では一歩抜き出ている存在と言っていいかもしれない。
「はーい、二年生は全員集合ー」
マネージャーの美波奏乃が手を上げて呼びかけた。
二年生は奏乃を除くと六人。三学年の中で一番人数が少ない。
「これからみんなにくじ引きをやってもらいまーす」
奏乃は穴が開いた段ボール箱を取り出した。
「何だ? 賞品でもくれるのか?」
「違うよ。ホテルの部屋割を決めるの」
部屋は全部で六つで、それぞれに奏乃を除く二年生を一人、班長としてあてがい、自分の班に割り当てられる部員を今からくじ引きで決める。そう奏乃は説明した。
「静もくじ引きで決めるのか?」
「そうだよー。無事紀香ちゃんが引き当てるといいね」
いたずらっぽく笑う奏乃。紀香はよっしゃ、と気合を入れて箱に手を突っ込もうとしたが、
「だーめ、まずじゃんけんで引く順番を決めて!」
「へいへい」
改めて六人でじゃんけんすると、紀香がチョキで他はパーを出した。いきなりの一抜けに紀香は飛び跳ねた。
「よーし、この黄金の左腕で一発引き当ててやるぜい!」
いきおいよく穴に手を突っ込んで、紙を一枚取り出して広げた。
「ん? 22?」
「それ、背番号だよ。だから黒澤先輩」
「んだよー、黒犬じゃねーのかよお」
紀香は肩を落とした。
次に手を入れたのは強肩でバントが上手い外野手、千田彩芽。取り出した紙を広げると「えっ?」と声をあげた。
「あのー、『当たり』ってあるんだけど?」
「おっ、いきなり引いちゃったかー。『当たり』を引いた彩芽ちゃんには漏れなくこのあたしがついてきまーす。よろしくー!」
「お前かーい!」
彩芽が紙を叩きつけると、みんなして笑った。
一番最後の順で引いたのははじめである。
「よいしょっと。さて、誰が出るかな……」
はじめが紙を広げた。するとそこには文字ではなく、絵が描かれていた。黒い犬に「ワンッ」という吹き出しがついた絵であった。
「あ、これって……」
「はーい、静ちゃんははじめちゃんの部屋に決定でーす」
紀香はニコッと口だけ笑いながら、はじめの肩をぽんと叩いた。
「おいはじめ、黒澤先輩と静をトレードしろ」
「え、それじゃくじ引きの意味ないでしょ……」
「よーし、じゃあ学食の食券一ヶ月分をつけてやろう。こいつであいでっ!」
紀香の足の上に、奏乃の足が乗っかりグリグリされていた。
「くじ引きで公平に決めろって言ったのは菅野監督だかんねー」
奏乃も顔だけは、天使のような笑みを浮かべていた。
「ぐぬぬ、こいつ……」
監督の名前を出されて、紀香はしぶしぶ引き下がらざるを得ない。あたしにもう少しくじ運があれば、と嘆く他なかった。




