EX05. クッキー
静はソフトボール部のマネージャーになってからは慌ただしい毎日を送っている。それでも機械的に生きてきた頃とは違って何もかもが充実している。先輩たちは優しいし、何よりも紀香と一緒の部屋で寝起きできるのが嬉しかった。
そんな静だが、現在一番力を入れているものがある。それはクッキー作りである。紀香と恋人どうしになる直前、どうしても紀香に作ってあげたくて、父親の手を借りてクッキーを作ったことがあったが、形はいびつで味もそんなに良くなかった。紀香は「マジうめぇ」と絶賛してくれたものの、それはきっと「静の手作り」という点が味覚に補正をかけていたに過ぎない。
もっと美味しいクッキーを作って、紀香に食べさせたい。恋人となってからその気持ちが強くなっていき、元パティシエの父親から作り方を請うた。寮生活開始後も忙しい合間を縫って最低でも週に一度は実家に帰りクッキー修行に励んだ。
何度も試行錯誤を繰り返していくうちにコツを掴みはじめて、いびつだった形はしっかり整い、味も甘すぎず薄すぎず、程よいものになっていった。まだまだ父親の味には遠いものの、人に出しても恥ずかしくないレベルには達していた。
腕前の上達をはっきりと自覚したのは、とある日の夜のことである。家で焼いてきたクッキーを紀香のおやつとして食べさせたら、
「ソフトボール部のみんなにも分けてやろうぜ。あたしだけ独り占めすんのは勿体ねえよ」
と、自分以外の人にも食べさせて良い、という太鼓判をもらったのであった。これで自信がついた静はますます、もっと良いクッキーを作りたいという欲を出した。
――人間はふとしたことで変われるもんだなあ
などと帰宅するたびに父親に口癖のように言われるが、変わりようは静自身が一番驚いている。つい少し前まで何もない荒野のような生き方をしていたとは考えられない程の前向きな気持ちを、今の静は持っている。
静は、じゃあ今度はたくさん焼いてきます、と約束した。
*
静はボールを磨きつつ、さてどんなクッキーを焼こうかと頭をひねっていた。
今年は大勢の部員が入ってきたが、数量に関してはどうにでもなる。問題は中身だ。トッピングが嫌いという部員もいるだろうし、かといって何も入れないのも味気がない。
たかがクッキー、されどクッキーで悩みに悩む。悩むということもつい最近までなかった。生きた屍のようになっていたから。
外野に設けられた簡易フェンスで仕切った向こう側で、陸上部が練習に励んでいる。しかしグラウンドの隅の方で、練習中にも関わらず何やら棒状の物を食べている部員がいた。
「静ちゃん、何見てるの?」
先輩マネージャーの美波奏乃が声をかけてきたので、静は疑問点を尋ねた。
「ああ、あれはね。プロテインバーを食べてるの」
名前の通りプロテインが入っている栄養食品で、最近陸上部が買って試しているらしい。
ちなみに紀香も自前でプロテインを持ち込んでいて、寝る前と起きた後に一杯ずつ飲んでいる。本人曰くこうした飲み方が効率よくタンパク質を吸収できるとのことだ。ついで言うとイチゴ味がお気に入りである。
そうだ。静は閃いた。
プロテイン入りのクッキーはどうだろうか?
プロテイン入りの菓子がこの世にあるのなら、プロテイン入りのクッキーも作れるはず。
思い立ったが吉日ということで、練習後早速ネットで調べてみた。案の定レシピサイトでプロテイン入りクッキーのレシピが出てきたし、市販品もあるらしい。実際世に出回っているということは、自分でも作れる余地があるということだ。
静は紀香に内緒にしたかっから、トイレに行くフリをして部屋を出て、父親に電話をかけた。もちろん、必要な材料を買い揃えてもらうために。
*
星花女子のグラウンドで行われた近隣校との練習試合は、味方の大勝に終わった。紀香もホームランを一本放っていた。場外まで行かなかったものの、打球がが弾丸ライナーで外野簡易フェンスを越えてグラウンドの金網を直撃する様子は相手を震撼させたものである。
新入部員たちにとっては初の実戦でもあったが、紀香のパワーをまざまざと見せつけられてしきりに感服していた。チームの雰囲気も良いし、今年は大会でかなり良いところまで行けそうな気配がある。
その場で試合後の反省会が行われ、それが終わったタイミングを見計らって、静は申し出た。おやつのクッキーを焼いたのでどうぞ、と。
おおー、とみんなが色めき立った。イチゴ、オレンジ、レーズン、トッピング無しの四種類あることを告げたら、もっと色めき立った。一番喜んでいたのはやはり紀香だ。
「すげー量だ! よし、じゃああたしからお先にっと」
紀香は迷わずイチゴクッキーが入った袋を選択。ピンク色に彩られたクッキーをひとつつまみ上げて、口の中に放り込んだ。
「うっ、うんめぇぇぇぇ!!」
歓喜の叫びを上げる紀香。いい感じに仕上がったと静は自負していたから、思った通りの反応が返ってきて密かにグッ、と拳を握った。
「でも前とちょっと味が違うな」
気づいてくれたらしい。さすがだ。静はプロテインが入っていることを明らかにした。
「プロテイン!? うわー、静のプロテインなら効きそうだ。よし、みんなも食え! 遠慮なく食え!」
「いただきまーす!」
歓声を上げて、部員たちがどっと殺到してクッキーの袋に手を伸ばした。
「あ、まず先輩からでしょ!」
「良いよ良いよ、一年も遠慮しないで!」
「私も頂こうかしら」
「監督!? よしまず監督からだ! あ、てめー! 二つも持って行くな!」
「じゅんじゅんの分も取ったの! てか先輩に向かって『てめー』とは何ごとよ!」
「こら、喧嘩はNoよ!」
クッキーはたちまち無くなってしまった。だけどみんな口を揃えて美味しい、美味しいと言う。
心の中が暖かいもので満ち足りていくのを、静は感じた。ひとつ、自分にしかできない仕事を見つけることができた。今度はもっとたくさん焼いてこないと。
黒犬静特製プロテインクッキーがソフトボール部の名物になるのには、さほど時間はかからなかった。




