27. 闇のルーツへ
よく眠れず、一夜明けてもまだ興奮が収まらずで迎えた連休明け。紀香は頭がポワポワした状態で授業を受けたから、内容が頭に入るはずがなかった。
しかしそれも昼食の時間になるまでのこと。四時間目の授業が終わると、紀香は教科書とノートを机に押し込んで教師より先に教室を飛び出した。
「わっ!」
「うわっととと」
紀香は隣の教室から出てきた生徒とぶつかりそうになり、急停止した。その生徒の正体はもう一人の優勝の立役者、有原はじめである。
「ちょいとごめんよー」
バスケのディフェンスをかわすようにはじめの横をすり抜けたところで、「ちょっと待って」をとはじめが呼び止めた。
「学校終わったら久々に遊びに行かない? 一年生だけで」
「悪ぃな、先約があるんだ」
紀香がへへっ、と笑うと、その意味をはじめは察したようだった。
「あっ、そういうことね。頑張ってね、紀香ちゃん!」
「へへへっ」
紀香は片手を上げて別れを告げると、大急ぎで中等部三年三組に向かった。
*
「うおおー! 今日はまたてんこ盛りだなあ!」
今日の豚骨醤油ラーメンノリカスペシャルはスペシャル中のスペシャル。いつもより大きいどんぶりの中には、厚切りチャーシューは通常の八枚から十二枚に、もやしは推定二倍量盛りつけられて塔のようになっている。さらに普段はついていない味付け玉子が三個ついている。
「昨日の打点三つ分ってことかな。へへへっ」
昨日の活躍は周りに知れ渡っており、パートさんからも「おめでとう!」と声をかけられた。だからこのノリカスペシャルはお祝いに他ならない。これを今から、久しぶりに静と分けあって頂く。
「もやしをある程度かたづけないと『天地返し』は無理だな」
静も同意した。
「よっしゃ! いただきまーす!」
二人同時に箸をつける。
「ん、今日は一段とシャキシャキでうめえ!」
静も美味しいと感想を漏らしつつ、もやしをついばんだ。その様子を通りすがりの生徒がちらちら見て、中には微笑ましいと感じているのかバカにしているのかわからないクスクス笑いをするのもいる。そういう者たちに紀香は「おーす!」と声をかけてやったら、相手は逃げるようにそそくさと退散していった。
昨日は勢い任せで衆人環視の中で愛の告白をした。そのことを笑っているのなら、存分に笑えばいいのだ。ハッピーエンドを迎えた身にとっては何とも思わないのだから。
もやしを半分以上減らしたところで、麺を下から持ち上げてもやしをスープの下にひっくり返す。味玉は一個ずつ分けあい、チャーシューは紀香が十枚静が二枚、麺は紀香:静=9:1の割合で食べきった。
「ふー、食った食った!」
食後のコーヒーもいつもより美味しく感じる。隣で静が紙コップを両手で持ってホットコーヒーをすすっているが、仕草が普段よりいっそう可愛らしく見える。いや、自分の特別な人の一挙一動は何もかもが可愛らしかった。ちょっと恥ずかしそうに紀香を見てきたり、小さい口で麺をすすったり。
紀香は今になって色ボケ二遊間コンビの気持ちがわかった気がした。
「そういや静、放課後はどこに行くんだ?」
言葉では説明しにくいところだと静は言った。
「まっ、そこに沈黙の理由があるってことだな」
実際見てみればわかることだろうから、今の時点では深入りしなかった。
放課後になり、紀香はいつもは部室に向ける足を校門に向けた。もう静が先に待っていた。
「早いなあ」
静は行きましょう、と言った。無表情なのは変わらないが、口が動いて声が出ているだけで雰囲気は別人のようである。肩を並べて、どちらからというわけでもなく手を握った。たちまち、手だけでなく全身が暖かくなっていく感じがする。
静の顔が、みるみる赤くなるのを紀香は見逃さなかった。だからと言ってからかうことはしない。紀香の顔面もまた、カイロになったかのように熱くなっていたから。
まずは学園前駅から私鉄に乗って空の宮中央駅に向かい、そこからさらにバスに乗り込んだ。これは以前静の家に行ったときに乗ったバスであった。
「もしかして、静の家に行くのか?」
静は首を横に振って否定した。家に行くなら学校から直接行ける路線があるから、わざわざ空の宮中央駅まで出たりしない、と言った。
では一体どこに行くつもりなのだろうか?
紀香の記憶が正しければ、「住宅団地前」というバス停で降りて五分少々歩いたところに静の家がある。だが静は、「住宅団地前」から二つ前の「柳」というバス停に向かう途中で、停車ボタンを押した。
次で降ります、と静は淡々と述べ、「柳」バス停に着いても淡々とした態度で料金を払って下車した。
柳と言っても柳の木らしきものは一本も見えず、単なる町の一角といった感じである。静は紀香の手を引くと、車一台がやっと通れるだけの狭い路地に入っていった。
路地を抜けると、ギリギリ二車線のあまり広いとは言えない道路に差し掛かった。その向こう側には学校があったが、手前側の歩道の左手に『飛び出し注意 市立柳中学校PTA』と書かれた看板を見て学校名を知った。
「ここに一体何があるんだ?」
静はこっちです、と右手の方を指し示した。
黒犬静の人格形成に影響を与えたもの。それはすぐそこにあった。
「……」
紀香はひと目で、ここで何が起きたのか理解した。
歩道の端に備え付けられた地蔵。供えられている花はつい今しがた替えられたばかりのようで、鮮やかな色が着いている。
紀香たちの目の前を、大型トラックが通りすぎていった。交通標識には「40」の表記があるが、それを遥かにオーバーしているのがはっきりとわかるぐらいのスピードが出ていた。
実はこの道路は坂道になっていて、下る方に向かう車はどれも法定速度を無視していた。道路にも「速度落とせ」の表記があるのに、どの車も守ろうとする気配がない。
そのような交通事情と地蔵が、容易に紀香の頭の中で結びついた。
「まさか、ここで静の知り合いか誰かが亡くなったのか……?」
静はうなずき、説明を始めた。
ここは五年前、静の初恋の人がトラックに轢かれて亡くなった場所であった。




