25. 大ピンチ
百合小説なのかスポーツ小説なのかわからない回ですが、次回からは百合っぽい展開になります
終盤の六回の攻防に突入した。七イニングしかないソフトボールでは、この裏の攻撃で紀香に打席が回る可能性は薫の出来の良さからして限りなく低い。
「でもまあ、延長になったらわかんねーか」
「もー、縁起でもないこと言わないでよ」
はじめが窘めた。
「ストラック、アウッ!!」
「ヨッシャー!」
戸梶圭子が四番岡田五番八木と連続三振に切って取ると、吠えた。海谷商業より格下の橋立東戦で炎上した理由がわからないぐらいの好投が続いている。
「あ」
「どうしたの、紀香ちゃん」
「風向きがいつの間にかライトからレフト方向に代わってる」
バックスクリーンに掲げられた旗が、確かに紀香の言った方向になびいている。左打者の紀香にとっては余計に不利になる風向きだが、逆に右打者にとっては軽く打っただけでも遠く飛びそうな程だ。
「凄い風。わたしでも当たったらホームランになるんじゃないかな」
「はじめがホームランか……」
紀香は頭の中ではじめがホームランを打った光景を想像してみたが、どうも「え、入っちゃったの?」とあたふたしながらダイヤモンドを一周する様子しか浮かばない。
「ちょっと、何で笑うの?」
「悪ぃ悪ぃ。はじめは投げる方だからどうしてもギャップがなあ」
などと言い繕っていたら、打撃音が響いた。六番金森の打球は高い角度でレフト方向に飛んでいくが、追う左翼手の坂崎いぶきの足が止まらない。
「え、ちょちょちょっと待て待て待て」
紀香はたまらず身を乗り出した。
いぶきはとうとうフェンスにたどり着いてしまい、よじ登ってグラブを掲げた。しかしボールはグラブのほんのわずか上を通り、バランスを崩したいぶきと一緒にフェンスの向こう側に落ちたのであった。
「は、入っちゃった……」
はじめの口から、魂が抜けたような声が漏れた。
「あたしのせいじゃねーぞ……」
それでも周りは「紀香が延長なんてことを言うからだ」と思っているかもしれない。紀香はさすがに気まずい思いをした。
うおおおと三塁スタンドから蛮声が上がり、黒尽くめ集団は肩を組んで応援歌を歌っている。
「点が入るときって得てしてこんなものなのよねえ」
菅野監督はため息混じりで呟いた。圭子にとっては出会い頭の事故に他ならないが、金森をツーストライクまで追い込んでいただけに勿体無かった。
しかし調子のいい圭子は気落ちせずに、七番金子を三振に取って被害を最小限に食いとどめた。ダグアウトに戻るなりサンバイザーを取り頭を下げた。
「すみません、監督!」
「Don't worry! まだ同点、気持ちをchangeして反撃に出るわよ!」
「はいっ!!」
だが雲宝薫の壁は分厚い。いまだ一人もヒットを許さず裏の攻撃も三者凡退に仕留め、昨日から二十三打席連続で無四球無安打を築いた。
スコアは1-1。引き締まった試合展開のまま最終回の七回に入ったが、この大事なイニングは両チームともあっけなく三者凡退に終わったのである。
いよいよ八回の攻防、延長戦に突入した。ソフトボールのルールではタイブレーカーとなり、無死二塁の状態からイニングが始まる。つまりはいきなり失点のピンチを迎えることになる。
圭子はピッチャーズサークルに向かう前にこう言い残した。
「有原! エースはこういったピンチを切り抜けてナンボだ。そこでよく見ときな」
橋立東戦のときも自信満々の言葉をかけてどうなったか、覚えている者は一様に嫌な予感を覚えたかもしれない。少なくとも紀香は「あ、やべえ」と苦い顔をした。
予感はやはり的中してしまった。二番和田が進塁打目当てで右方向に転がしたところ、何の変哲も無いゴロだったのにこれを新浦不二美がファンブルしてしまい、一三塁までピンチが拡大してしまった。これで戸梶はエラーへの怒りからかはたまた集中力を切らしたためか、続く中野にはストライクが全く入らず歩かせてしまったのである。
菅野監督は決断した。
「有原さん、ここでもう一度行くわよ」
「ひゃい!?」
はじめは飛び上がった。万が一に備えてリエントリーできるよう肩は暖め続けていたが、こんな大ピンチの場面で投げさせられるという覚悟までしていなかったのは明らかであった。だからといって監督がオーダーを取り消すはずがない。
「ここで打たれたとしてもあなたのせいじゃない。采配に関しては私が責任を持つから、思いっきり投げてきなさい!」
「……わっ、わかりました!」
紀香がおりゃっ、とはじめの尻を思い切り叩いた。
「ひゃん!」
「気合注入」
いひひ、と笑う紀香をはじめはツリ目できっと睨みつけた。しかしはじめの人となりを知っていれば全く怖くない。
「ほれ、戸梶先輩に四回表の恩返ししてこいや!」
はじめはうなずいて、ピッチャーズサークルまで駆け出していった。キャッチャーも帆乃花に戻されて、運命は一年生バッテリーに託された。
「はじめー! スタンドがついてるぞー!」
紀香は拳を振り上げながら叫んだ。守備につかない彼女が今の所精一杯できる最大の援助である。
はじめは例え打たれても自責点がつかないとはいえ、理事長と両親が見ている前で打たれてしまったら彼女の脆弱なメンタルでは二度と立ち上がれない恐れがある。それでも菅野監督は荒療治のために心を鬼にして送り出したに違いなかった。
まさに背水の陣、死地から生き延びる道はただ一つ、帆乃花のリードを信じミットを目がけて投げつけて抑えるしかない。
しかし今日の海谷商業は格下相手に何度か大きなチャンスを潰してきている。焦りがあったのか、四番岡田はいきなり誰が見てもはっきりボールとわかる球を打ち上げてしまい、インフィールドフライでワンアウトとなった。押せ押せムードに水を差す最悪な形のアウトだ。
続く五番八木に対しては帆乃花のプレーが光った。ワンエンドワンからの三球目、八木はスクイズを敢行してきたが帆乃花は読み切って、ウエストボールでスクイズを外させた。慌てて帰塁しようとする三塁ランナーだがもはや袋のネズミ、逃げ切れずに哀れ三塁ベース手前で刺殺された。
ランナーが一人減った上にツーストライク。はじめの精神的負担は一気に軽くなった。あとは監督に言われたように思いっきり投げるのみ。
サインの交換が終わり、はじめは右腕をしならせた。
はじめの得意のチェンジアップは打者の手前で止まると評される。八木のタイミングは完全に外されて、バットを振った後にボールが遅れてきて帆乃花のミットに収まった。
うわあああ、と一塁スタンドが大歓声に包まれた。ガッツポーズで喜びを体で表すはじめと帆乃花。紀香やベンチに残ったナインも大喜びではじめを出迎えた。
「なー! これがお前の実力なんだって!」
「いや、帆乃花ちゃんのリードのおかげだって! ノーアウト満塁を無失点で抑えたのなんて初めてだよ! あのスクイズの読みだってぴったりだったし!」
「まあまあはじめちゃん、落ち着こう」
興奮気味なはじめを帆乃花が宥めにかかった。はじめはあくまでも自分のことを二の次にしているが、雲宝薫や戸梶先輩ほどまでいかなくてもいいからもう少し自信を持ってもらえれば、と紀香はいつも思っている。そうすればエースの座もすぐそこであろう。
とにかく今回の菅野監督の荒療治がどこまで功を奏するか、といったところである。
「さあ、サヨナラといきますかねっ」
帆乃花は防具をパパっと外すと、二塁に向かった。二番からの攻撃だから一つ前の打順の帆乃花がランナーとなる。彼女がホームを踏んだ瞬間、星花女子の優勝が決まる。
そして二人後の打順には、星花女子の長距離砲、紀香が控えている。紀香は早くもバットを持ち、ダグアウト裏で素振りを始めた。