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Get One Chance!!  作者: 藤田大腸
本編
22/46

22. 左腕の心境

今回は紀香のライバル、雲宝薫の視点です。

 昨日先発して完投した雲宝薫はベンチスタートとなったが、監督からは「中盤以降リリーフで出てもらうかもしないからそのつもりでいろ」と言われていた。満身創痍の右腕と違い、左腕はまだ投げ足りていない。あれだけ三振の山を築いても。


 特に下村紀香。かつて自分を絶望のどん底に叩き落とした因縁の相手は何度叩き潰そうとも物足りることはない。登板を命じられたら喜んでピッチャーズサークルに上がってやる、と意気込んでいた。


 ただし昨日と試合の雰囲気は全く違う。昨日まで観客の数は遠目からでも数えられるほどまばらだったのに、今日は星花女子の生徒が多く詰めかけていて、その応援の熱量は高校野球のそれに匹敵している。


「ブラスバンドにチアリーダーまでたくさん来て、うちと違って華やかでいいわね」


 薫は独り言を漏らしたが、それを浅井杏奈、薫があーちゃんと呼んでいるマネージャー、浅井杏奈(あさいあんな)が拾い上げた。


「星花の理事長も観に来てるんだって。だから賑やかしに呼ばれたんじゃないの」

「理事長……ああなるほどね。学校側が応援団をよこしてきた理由がわかったわ」

「どういうこと?」

「海谷市のお偉いさん、星花の理事長のことを心良く思ってないのが多いから」


 市立海谷商業は創立百年を超える伝統校で、好況不況関わらずあまた就職実績を残してきており、とりわけ女子生徒の就職実績の高さには定評があり、女子の間で人気が高かった。ところが新興企業の天寿が、隣の空の宮市にある星花女子学園の運営に乗り出して、商業科を設置してから状況が一変した。天寿系列企業をはじめ優良企業への就職実績を残していくたびに商業科の人気は上昇していき、今や海谷商業は星花女子商業科の滑り止め扱いである。


 公立校ゆえに私立ほど融通が効かず、企業が主体となって先進的な教育を施す星花女子の商業科に遅れをとるのは必至であった。かといって市は何ら有効的な対策を打つわけではなかった。学校が応援団を送り出したのは、せめてソフトボールの大会で勝って理事長に恥をかかせようとするみみっちい敵対心の現れに過ぎない。


「ま、私たちにとってはどうでも良いことよ。応援してくれるならありがたいに越したことはないし」


 雲宝薫の目的は下村紀香を叩きのめすこと。それ以外他ならない。昨日は三つの三振を奪ったがそれで満足する薫ではなかった。


 自分でも恐ろしいと自覚しているほどの執着心だが、それももっともなことである。血を吐くような思いで手に入れた左腕は、下村紀香を封じる力を持っているのだから。


 *


 中学二年生の頃、全国大会が終わった直後に覚えた右肘の違和感。やがてそれは激しい痛みとなって薫を襲った。


 病院で告げられたのは死刑宣告に等しかった。


「これ以上投げると右腕が二度と動かなくなる恐れがあります」


 薫の中学時代はソフトボールとともに歩んできた。だから、その精神的ショックは筆舌に尽くしがたいものがあった。


 何より、自分をノックアウトした下村紀香への再戦の機会が永遠に失われてしまったのである。この先再び全国大会の場で相まみえることもあったかもしれないのに、豪速球が通用せず悔しさのあまり涙を流したという悲しくも辛い場面が、薫のソフトボール生活最後の思い出となってしまった。


 ソフトボール部を退部した薫は、中学を卒業するまでほとんど生ける屍に近い生活を送っていた。ソフトボールを将来の進路の基幹に置いていたが、それを失ったということはまさに死を迎えたも同然であった。もしもこのとき、同級生で同じくソフトボール部員であった浅井杏奈の励ましがなければ本当に死を選んでいたかもしれない。


 杏奈のおかげでどうにか学校生活を送れる程まで立ち直りを見せた薫は、地元の海谷商業高校に進んだ。星花女子商業科の滑り止め扱いとはいえいまだに就職実績は高く、成績が良ければ指定校求人で優良企業に就職できる。もうソフトボールのことはさっぱり忘れて、友達を作って、恋人を作って。良い会社にはいる。楽しく三年間過ごせればもうそれで良いと思っていた。


 杏奈も薫に付き添うような形で、同じく海谷商業に進学した。そして彼女は、薫の運命を再び変えたのである。


 杏奈は薫と違い、ソフトボールの才能があるとは言い難かった。三年間在籍して、最後の公式戦で敗戦濃厚の場面で俗に言う「思い出代打」として出場しただけである。しかし薫と違ってまだソフトボールを諦めきれず、どんな形でも良いから関わりたいと考えてマネージャーとして入部した。


 杏奈はあえて、薫をソフトボール部に誘ってみた。薫は嫌がったが何度も説得を重ねられて、ついに折れて一緒にマネージャーとして入部することになった。


 いざ裏方の仕事をやってみると意外と面白かった。選手とは違った視点でソフトボールを見つめ直すちに、今自分が置かれた境遇を受け入れることができるようになった。


 そんなある日のことであった。体育でソフトボールをやったのだが、投げることができない薫は球審に回された。


 ファウルが打たれたので、すぐさま代わりのボールをピッチャー渡そうとしてつい壊れた右腕で投げかけたが、すぐ左手に持ち替えて投げ渡した。


 すると、薫からすれば大して速い球では無かったのだが、ド素人のピッチャーにとっては豪速球に見えたようで、取り損ねて顔にぶち当たってしまった。


 とんだ珍プレーにみんな大笑いしたが、薫は自分の左手をまじまじと見つめていた。


 左の方が投げやすい感じがする。


 後で知ったことだが、薫は実のところ生まれつき左利きであった。だが両親は「左利きはみっともない」という古い考えを持っており、物心がつく前から右利きに矯正したのである。そんなことはつゆ知らず、薫はずっと右でボールを投げ続けていたのであった。


 その場にいた杏奈も左投げに光を見出していた。


「薫ちゃん、もしかしたら左でも投げられるんじゃ? 鍛えたらモノになるかもよ」


 ソフトボーラーだった頃の雲宝薫は思い出の箱にしまい、鍵をかけて封印しておくつもりであった。しかし杏奈の一言で、もう一度箱から取り出すことを決意した。


「私、もう一度やってみる!」


 薫と杏奈はマネージャー業の傍らで、二人三脚での左投げの特訓が始まった。昼休みの時間に左投げキャッチボール。練習が終わった後もこっそり居残ってキャッチボールをした。帰宅後も近くの公園で夜遅くまで壁当てをし、雨の日も室内で左手でずっとボールを握り続けた。


 食事の箸ももちろん左手で。物を書くときもペンを左手に持った。努力は少しずつ実を結んでいき、やがて箸でグリーンピースをつまめるまでになり、ミミズを這うような字も達筆になっていった。


 毎日の特訓が実って、右利きだったときと何ら変わらない感じで投げられるようになった。ただ、どうしても球速は出なかった。だが薫の努力を知った監督が、何とか選手に復帰させたいという思いで「制球力と変化球を磨け」とアドバイスを送った。


 薫は速球派のプライドをかなぐり捨てて、アドバイスに従った。選手復帰への階段を一歩一歩、確実に踏みしめていった。


 インターハイ予選直前のある日のこと、部室の掃除をしていた薫の耳に先輩たちの立ち話が入ってきた。


「空の宮南高校に進んだ中学のソフト仲間から聞いたんだけど、星花女子に下村紀香っていうヤバイのが入ってきたんだって」

「誰それ?」


 薫は先輩たちに食らいついた。


「今、下村紀香って言いましたか!?」

「う、うん。あ、そっか、雲宝は全国行ったから知ってるよね。めっちゃホームラン打ってたやつ。なぜか知らないけど、わざわざ星花女子に入学してきたんだよ。そんなに強くないところなのに……」


 インターハイ予選の開会式、薫はスタンドから3番のユニフォームを身に着けた紀香の姿を確かに見つけた。星花女子は一回戦敗退という結果に終わったものの、一年生ながら四番に座った紀香が一人が気を吐き、特大ホームランを見せつけた。


 その様子もまた、薫は見ていた。ライバルの姿をしかと目に焼き付けて、闘志を燃やす火種にした。


「待ってなさい……下村紀香!」


 何としても選手に復帰して、下村紀香を倒す。そのことだけを目標として来る日も来る日も左投げを繰り返し、ようやくピッチャーズサークルに立てたのは冬休み前の紅白戦であった。


 半年に渡る特訓の成果はいかんなく発揮されて、針の穴を通す制球力と変幻自在の変化球で三振の山を築き上げた。監督から直ちに選手復帰を言い渡されたのは言うまでも無い。


「やったね、薫ちゃん!!」

「ありがとう、あーちゃんのおかげよ」


 こうして、年明けに紀香と再び相まみえることになった。直接顔を合わせたら案の定自分のことを忘れかけていたが、挑発したら見事に乗ってきて意識させることに成功した。


 試合では、早く念願を果たしたいがためにわざと三番打者をわざと歩かせてまで勝負をした。初球のカーブで空振りを取ったときの驚いた顔。中学時代に打ち込まれたストレートで見逃し三振を取り、呆然としている紀香の顔。それからは一塁を踏ませることを許さず、最後の打者となった紀香が三振に切って取られたときの何とも言えぬ顔。


 夢にまで見た光景を、とうとう現実に見ることができた。公式戦ではない小さな大会とはいえ、念願の復讐を果たせた。執念をともなった努力は必ず実るのだということを証明してみせたのであった。


 *


 猪俣が先頭打者の加治屋帆乃花を歩かせてしまった。杏奈がスコアブックに書き込みしているところに、薫は甘えるように顔を寄せた。


「ちょ、ちょっと何してんの? 試合中なのに」

「元気ちょうだい」


 杏奈はため息をついた。


「学校に戻るまで待てないの?」

「待てないわ」

「わかった、わかった」


 誰もがグラウンドに視線をやっていて、自分たちのことを見ていない。その隙を見計らって、薫と杏奈は軽く口づけを交わした。


 苦楽をともにして育んできた友情は、いつしか恋愛感情へと昇華していた。二人はどちらかから告白したというわけでもなく、自然な成り行きでカップルになった。


 薫は、星花女子では女性どうしの恋愛が盛んだとちらっと聞いたことがある。もしも自分が星花女子に通っていたら、仲をこそこそと隠す必要もなかったかもしれない。その点では星花女子の生徒を羨ましく思っている。


 しかし今の星花女子は、宿敵の下村紀香とともに倒すべき相手以外何者でもない。杏奈から元気を貰った左腕投手は、控えの捕手を捕まえて軽くキャッチボールを始めることにした。


 自分の出番は必ず来る。そう確信していた。

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