02. ノリカスペシャル
紹介が遅れましたが、黒犬静ちゃんは壊れ始めたラジオ様考案のキャラクターです。よろしくお願いします。
お昼休み。
「ちわーっす!!」
紀香が中等部三年三組のドアを勢いよく開けると、中にいた生徒たちが驚きの声を上げつつ紀香の方を向いた。
「あの、下村先輩。うちのクラスに何か御用ですか……?」
生徒の一人が恐る恐る声をかける。下村紀香の名は校内ではそれなりに知られている存在であった。
「黒犬さん、いる?」
「くっ、黒犬さん……? あっはい、朝の件のことですね。わかりました」
黒犬静が保健室行きになった経緯は知っていたようである。窓際の席にいた無造作ショートカットの生徒が声をかけられて立ち上がるや、紀香のところにゆっくりとやって来た。近くでよく見ると、無造作というよりは適当にざっくり切っている感じであった。自分でハサミを入れているのだろう。
「今朝は本当にすみませんでした」
今度は土下座しなかったが、豪放磊落な下村紀香が頭を下げている様子を見た周りがざわめき出す。
静は直立不動のまま何も反応を示さない。このままではラチが開きそうにない。紀香は頭を上げた。
「あの、あれはすべてあたしの責任だから。それで、黒犬さんがもし良かったら、あたしに今日の昼飯を奢らせて欲しいんだ」
「……」
静は紀香の横を通り過ぎて、開けっ放しのドアから出ていこうとした。
「やっぱキレてんのかな……」
紀香はほとほと困りだした。
だが静の足はドアの手前で止まった。彼女は振り返り、手を紀香に突き出して上下にひらひらと振りだした。
「え? 一緒に来い……ってことか?」
周りのざわめきが大きくなった。その反応からして恐らく、静は普段から意思表示をろくにしたことが無いと見える。だがとりあえず、謝罪を受け入れてくれたことには違いない。
「ありがとうな」
紀香は手を合わせて感謝した。
*
紀香は静を学生食堂の中に引き連れ、券売機の前で立ち止まった。
「何にする? 何でも好きなものを頼んでよ」
「……」
静は答えない。
「何でもいいってことか?」
「……」
「よしわかった! じゃあアレを一緒に食おうか」
勝手に話を進めても、静は抵抗も拒絶もしない。
紀香は豚骨醤油ラーメンの食券を一枚だけ買った。そのままカウンターに行ってパートさんに食券を渡す。
「あ、紀香ちゃんいらっしゃい」
「例のヤツ、お願いしまーす!」
「はーい」
待つことしばし。お盆の上にドンブリが乗せられた。それを見た静は無反応であったが、後ろで待っていた生徒から悲鳴じみた声が上がる。
単なる豚骨醤油ラーメンではない。麺の量は通常の四倍。しかしそれは文字通り山のように盛り付けられた大量のもやしによって隠蔽されてしまっている。チャーシューは普通であれば薄切り二枚であるところを、厚切りが八枚も添えられている。それはどこぞやの有名ラーメン店が出している、豚のエサと揶揄されるほどの超大盛りラーメンを彷彿させた。ただし息が臭くなって午後の授業に支障をきたすため。ニンニクの類は一切入っていない。そこはガサツな紀香ですら気を使うところであった。
これこそが下村紀香だけが食べることを許される特別メニュー、「ノリカスペシャル」である。大食いの紀香が学食のスタッフにおねだりして作ってもらったのがこの超大盛りラーメンができるきっかけであった。あまりにもの高カロリーのため体重を気にする生徒たちは食べようとも思わないが、紀香はこれに飽き足らず、さらに大盛りのご飯と一緒に食べてしまう。筋肉質で基礎代謝量の高い紀香でなければ、たちまち脂肪の元になってしまうであろう。
しかし今日は違った。
「こいつを一緒に分け合って食べようぜ。二人でちょうどいいぐらいだろ」
「……」
ちょうど隅の方に空いている席がある。紀香は割り箸とレンゲを二つ取ってから、そこに座った。
「いただきまーす!」
「……」
紀香は器用にもやしと麺の位置を上下反転させて、麺をすすった。
「おお、うめー」
「……」
静も遅れて、麺をつまみ上げて口に入れた。何の反応も無かったが、もう一度麺をつまみ上げてくれたから、食べられないことはないな、と紀香は判断した。
四人前分を紀香と静がほぼ三対一の割合で食べきると、紀香はここで手をつけていなかった大盛りご飯をドンブリに放り込んだ。紀香のいつもの食べ方である。
「スープとご飯がめっちゃ合うんだわ、これが。騙されたと思って食ってみな」
「……」
静はレンゲでご飯を掬い、口にした。もこもこと動く口が結構可愛らしく見える。
紀香は敢えてご飯の方はあまり口にしなかったものの、完食できたのはその分静が食べてくれたからに他ならない。
「美味しかったか?」
「……」
口で言わずとも、カラになったドンブリが全て語ってくれている。これで罪を償うことはできたから、紀香は気が軽くなった。
学生食堂を出て、紀香はコーヒーも奢ってあげることにした。自販機にお金を投入して、後は静に任せる。
「砂糖とクリームは自分で調整してな」
「……」
静は「ブラック」のボタンを押した。
「おー、大人だねえ。黒犬だけにブラックてか? はははは」
「……」
少し冗談が過ぎた。紀香は咳払いした。
静が自分のコーヒーを取り出すと、紀香はコーヒーではなくカ◯ピスを買った。十二月の寒い時期なので氷無しで。
紀香は一口つける前に聞いてみた。
「なあ、明日も一緒にご飯いいかな?」
「……」
静はコーヒーをすすっている。
「まあその、実は学食で一緒に誰かと食べる経験がほとんどなくってさ。ああ、友達いないってわけじゃねーぞ? でも誰かと一緒だと美味さがやっぱ違うんだよな」
紀香は陽気な性格だから、むしろ交友関係は広い。だけど一番仲の良いはじめは、購買で大好きなおにぎりを買って教室で食べてばかりいる。一度他のメンツを誘ったことはあったが、ノリカスペシャルを見て食欲を無くしてしまい、次回から丁重に同席をお断りされてしまった。
「それに、ちょっとだけ聞いた。キミ、昼飯食わないんだってな。余計なお世話かもしんないけど、飯はちゃんと食った方が精神的にも良いぜ」
「……」
「ダメ、かな……?」
紀香はほんの少し弱気になった。
「……」
静はコーヒーを飲み終えてカップを捨てると、紀香に向かって右手で親指と人差し指で輪っかをつくってみせた。
「え、それはOKってことか?」
静は表情を一切変えないまま、改めて右手を突き出した。
初めてはっきりとした意思表示を見せたことに対して、紀香は一種の感動を覚えた。
「ありがとう! じゃあ明日、また迎えにいくわ!」
静は指輪っかで返事した。
嬉しさのあまり調子に乗った紀香は、もう少し静と距離を縮めようと試みる。
「ついでだけど、キミのこと『ワンちゃん』って読んでいいかな? 黒犬だけに」
「……」
静はしばらく間を置いてから、また指輪っかで返事した。
「じゃあキミのことは今日からワンちゃんって呼ぶな! よろしく、ワンちゃん!」
紀香は破顔したが、静は眉一つピクリとも動かさなかった。