16. 景気づけ
バスを降りてその場で解散となり、寮生活の選手たちは敷地内に入っていった。校舎の方からはブラスバンドの音色と甲高い声が響いている。
それが応援の演奏だと気づいたのは「かっとばせー」というコールが聞こえたからであった。全く聞いたことが無い曲だが、テンポが小気味良い。
「最終日に吹奏とチアが応援に来るって話、本当だったんだ」
奏乃が言うと、紀香は「マジ!?」と目を丸くした。
「インターハイ予選のとですらき一度も来なかったのに、何で非公式戦の大会に来るんだ?」
「理事長が天寿のお偉いさん方を引き連れて試合を観に来るんだって。空の宮市長も優勝トロフィーのプレゼンターで来るんだけど、理事長と一緒に観戦するんだとか。だから賑やかしで呼ばれたんじゃない?」
「そんな話監督から全然聞いてねーぞ!?」
「多分、みんなに余計なプレッシャーをかけないよう気を遣ってくれたんだよ。もっとも、あたしには噂レベルで話が漏れ伝わっていたけどね」
空の宮市に本社を置く巨大複合企業、天寿。創立二十年足らずで大手企業に上り詰め、空の宮市は企業城下町として発展を遂げた。もはや天寿無くして市政は成り立たないと言っても言い過ぎできなく、市の偉い方は天寿のご機嫌取りに執心している。その一環としてニューイヤーカップで市長自らお接待、というわけだと奏乃は語った。
三日目が御前試合になってしまったことで、はじめの表情が曇った。
「ううっ、急に緊張してきた……何も理事長自ら来なくたって……」
「いやいや、チャンスだよこれは? 理事長が観に来てくれるなんて、他の部活でもこんなこと絶対にないのに。もっと自信持とう!」
帆乃花がはじめの背中を叩いたが、反応は薄い。
「そっか、理事長が来るのか。ふふふ」
紀香ははじめとは逆に、メラメラとモチベーションの炎を燃え上がらせた。理事長の目に自分の活躍を焼き付ければ自ずと菊花寮残留への道が近づくはず。
だが優勝決定戦の場と三位決定戦の場とでは印象がかなり違ってくる。もちろん二位以上確保して優勝決定戦、というケチな目標ではだめだ。明日のダブルヘッダーでは己のバットで、二つとも勝利をもぎ取る心意気であった。
紀香は自分を奮い立たせるように、曲とコールを口真似した。
♪タンタカタッタンタッタンタンッ レッツゴーセイカ!
♪タンタカタッタンタッタンタンッ レッツゴーセイカ!
♪タンタカタッタンタッタンタッタンタッタンターン
かっとばせー ノ・リ・カ! セイカファ・イ・トー、オー!
「……ところでこれ何ていう曲なんだ?」
みんな一様に「知らない」と答えた。正解は『Let's Go』というそのまんまの曲名である。とある大学の応援団が作曲したものを吹奏楽部とチアリーディング部がツテを利用して拝借したものだが、そんな裏事情をソフトボール部の人間が知る由は無かった。
*
紀香は明日への景気づけとして、久しぶりに外食することにした。向かうは市内某所にある口コミサイトで知った名店。ここは「トライデントコース・魔王級」という恐ろしいネーミングの大食いメニューで有名である。かつて白峰雪乃という先輩と法月みのりという後輩と一緒に大食いに挑んだことがあるが、明日の試合を控えた身なので挑むつもりはさらさらなかった。
まだ午後五時、夕飯には若干早い時間帯とあってか店内に客の姿はほとんど見かけない。カウンター席の方に通されると、店主が挨拶してきた。
「らっしゃい。おや嬢ちゃん、この前の……」
「おっ。覚えてくれてたんスね」
「あんだけ食う女子高生は初めて見たからな。で、今日も『トライデントコース・魔王級』に挑戦するかい?」
「いや。別のにするっス」
紀香はメニュー表をチラッと見て即決した。
「黒毛和牛ステーキとわらじカツとご飯大盛りをお願いしまっス!」
「ふむ。『テキにカツ』か……さては嬢ちゃん、何か勝負事があるな?」
「へへっ、ちょっとね」
店主はニヤッと笑みを浮かべて、紀香の注文メニューを復唱し調理にかかった。
ごちそうができるまで、紀香はスマートフォンを弄ることにした。静から送られてきた画像をもう一度見ては頬を緩め、お返しにごちそうの画像を送って飯テロしてやろうと考えていた。
静のメッセージは絵文字が無いので他人が読んだら無機質に見えるかもしれない。でも紀香は一文字一文字に暖かみを感じ取っていた。
しばしぽわぽわ気分に浸っていたが、水を差すかのようにガラッと戸が開く音がした。
「あら、こんなところで奇遇ね」
「その声は……!」
後ろを振り返ると、海谷商業の制服である黒色のブレザーを着た雲宝薫がマネージャー(推定)の「あーちゃん」と一緒に並んでいた。
「てめえ、何しに来た」
「何しにって、ご飯食べに来たんじゃない。ここは口コミサイトで評点4.7の名店だもん。ねー、あーちゃん?」
薫は左手を「あーちゃん」の腕に回すと、彼女は少し困ったような顔をした。
「まったく仲の良いこって。もしかしてお前ら、デキてんのか? え?」
紀香は露骨に悪意を込めて言い放ち、薫も悪意をこめた皮肉で応戦する。
「誰かさんみたいに寂しそうに一人で食べに来るよりはマシだもんね」
「はははっ」
「ふふふっ」
紀香も薫も、目は全く笑っておらずこめかみに青筋を立てている。「あーちゃん」が薫に「構っちゃダメだよ」と注意しなければ、乱闘になっていたかもしれない。
薫は憎たらしげな笑みで紀香を猫の瞳でひと睨みすると、「あーちゃん」と手を繋いで奥のカウンター席に向かった。それを見た紀香の中で怒りの感情はさることながら、他にも何だか言葉で表せない、変な感じがした。
星花女子においては女の子どうしの恋愛は盛んである。実際薫が「あーちゃん」とデキているのかどうかは別として、女子どうしのスキンシップは見慣れた光景である。そのことを考慮しても、薫の行動にどこか違和感を覚えたのであった。
「へいっ、お待ち!」
店主が自ずからカウンター越しに料理を出してきて、紀香は思考を中断した。
紀香が注文したメニューの加えて、頼んだ覚えがない刺し身の盛り合わせも一緒に出ている。
「おっちゃん、あたし刺し身までは頼んでないけど?」
「さっきの剣呑なやり取りを聞かせてもらったぜ。嬢ちゃんたちの間に何があったか詮索しねえが、怒るのは心にも体にも良くねえ。こいつは俺からのサービスだ。がっつり食って忘れちまいな」
店主の心意気にグッときた紀香の怒りは一瞬で鎮火した。
「おっちゃんありがとう!」
「ご飯おかわりは無料だぜ」
紀香は遠慮せずご飯大盛りを三杯おかわりして、料理はカス一つ残さず胃袋に収めた。味も量も抜群で、食べ終わった頃にはすっかり上機嫌になっていた。
テキにカツに刺し身。栄養学的に見てあまりよろしく無い組み合わせだが、「敵の身を刺して勝つ」という意味にも取れる。験担ぎにはもってこいと言えよう。
しかしそれで勝てるのであれば苦労はしないというもの。翌日、紀香は衝撃の光景を目の当たりにするのだが、このときは全く知る由もなかった。
後書きその1:
『Let's Go』の曲の元ネタは関西のとある大学が使っている応援曲です。youtubeにも曲が上がっているのですが、著作権に引っかかりそうなので紹介はしません。野球よりアメフト応援の方が有名かな?
なんでこんな選曲にしたのかと思われそうですが、一応理由はあります。それについてはまた後の話の後書きで。
後書きその2:
紀香さんが立ち寄った店のエピソードは黒鹿月木綿稀様の短編『大食いガールズ、ちょっと寄り道?』に詳しく書かれています。
https://ncode.syosetu.com/n2425fg/