14. 試合開始
紀香が海谷商業のところまで「挨拶」に行って揉めたことはたちまち監督の菅野教諭の耳に届き、当然ながらお説教を喰らうこととなった。
「あなたの父親も甲子園の開会式の後、とあるドラフト一位候補の選手を捕まえて『かかってこんかい』と『ご挨拶』してたらしいけど、例え父親でも悪いところはimitateしないの。OK?」
「ハイ、スンマセンデシタ」
怒らせると怖い菅野監督は、紀香の頭が上がらない人物の一人である。
短時間で解放されたものの、今度は有原はじめや加治屋帆乃花に、マネージャーの美波奏乃といった仲の良い同級生組が一斉に質問攻めしてきた。
「あーもう一度にしゃべるな! あたしは厩戸皇子じゃねーんだから!」
「じゃあわたしが代表で。さっきのツインテールの子と何があったの?」
はじめが詰め寄った。
「実は、あいつとは中学のときに全国大会で一度対戦したことがあるんだ。ボコボコに打ち込んでやったんだがその恨みをずーっと持たれてたみたいでな。名前はう◯こ……じゃねえ、雲宝薫」
「あ、その子知ってる! 珍しい名字だったし。直接目で見たのは初めてだけど、この辺りじゃ小学校時代から有名な選手だったんだよ」
はじめは寮暮らしとはいえ実家は地元空の宮市にあり、隣の海谷市から流れてくる雲宝薫の情報も見聞きする機会があったようである。
「でも海商に進学してたなんて知らなかった。噂では肩を壊してソフトを辞めちゃったって聞いたし、それっきりどうなったのかわかんなかったから」
「肩を壊した?」
「うん。紀香ちゃんは対戦したからわかるだろうけど、あの子かなり球が速かったでしょ? それがかえって災いしたんじゃないかな」
「でも、全然そんな風に見えなかったぜ?」
もしそうならまともに投げられないだろうに、恨みを晴らしてやると啖呵を切ったのは一体何だったのか。
紀香の甦った記憶に映っている中学二年生の薫の球は、中学レベルを遥かに超えており、高校の強豪チームでも即レギュラーに抜擢されそうな程に速かった。実は今まで通り投げられるのであれば、一年生の頃からガンガン投げていてもおかしくないのだが、そんな話を紀香たちは一切見聞きしていない。前日の監督のミーティングでも話は出てこなかった。ますます謎である。
「まあいい、どっちにしろ出てきたらぶっ倒すまでだ」
「乱闘はしないでよね……」
「しねーって!」
と言ったものの、はじめたちはジト目で紀香を見る。紀香は入学前に起こした「前科」について、はじめたちには正直に話していた。それが再現されてしまわないか、心配しているに他ならない。
自制自制。心でそう言い聞かせながら、紀香は尻ポケットの中に手を入れて中に入っているものを触った。
静からもらった必勝祈願のお守りが、まだブスブスと燻っていた怒りの感情を和らげてくれる。今朝、念押しでメッセージを送ったら観に行きますよ、と返事があった。
「おっし、やってやるぞ!!」
紀香の気合いが入った大声に、はじめたちはおののいた。
*
星花女子学園の最初の相手は橋立市代表の県立橋立東高校。旧制中学校の流れを組み、進学校として地元では名が知られている高校である。
星花女子のスターティングメンバーはこの通り。
打順 名前(守備位置) 学年 背番号 投打 備考
1 新浦(二) 2年 9 右左 チームいちの俊足
2 千田(中) 1年 8 右右 強肩がウリ
3 山東(三) 2年 2 右右 右打ちが上手い
4 下村(DP) 1年 3 左左 言わずと知れた長距離砲
5 坂崎(左) 2年 10 右右 フォアザチームに徹する主将
6 宇喜多(右) 2年 12 左左 投手もできる二刀流左腕
7 飯田(一) 2年 13 右右 意外性の一発あり
8 穂苅(捕) 2年 25 右右 沈着冷静な正捕手
9 湯沢(遊) 2年 6 右両 守備の硬さに定評あり
FP 戸梶(投) 2年 11 右右 伸びのある速球で押す
紀香は打撃専門の指名選手(Designated Player:DP)として名前を連ねた。野球の指名打者と大きく違うのは、投手に限らず任意の野手の代わりに打席に立つことができる点である。今回は投手の戸梶の代わりに打席に立ち、戸梶は守備専門のプレイヤー(Flex Player:FP)として配置されているが、他の8人の誰かをFPにすることも可能である。
また、背番号も高校野球と違い守備位置で固定はされておらず、1~99まで好きな数字をつけることができる。ただし例外として主将は10番と決められており、監督は30番をつけるよう定められている。上記のメンバー表では坂崎が主将ということが背番号からわかる。
ユニフォームは撫子色のシャツと白のハーフパンツ。シャツには白文字の筆記体で「Seika」と書かれている。スクールカラーの撫子色と白色が使われた意匠である。
背番号30の菅野監督だけは下にロングパンツを履いており、サングラスを着用していた。優しげな瞳が隠れた分、威圧感と威厳がにじみ出ている。菅野監督はダグアウト前で激を飛ばした。
「絶対にFirst gameを取って勢いに乗るわよ。OK?」
「はいっ!!」
続いて主将坂崎いぶきの指示で円陣が組まれた。女子選手の場合は帽子を被る被らないは自由なので、円状に並んだ選手たちの頭はキャップであったり、サンバイザーであったり、ヘッドバンドであったり、無帽であったりとまちまちである。だが被っている物はすべてスクールカラーの撫子色で統一されていた。
『六芒星の中央に百合の花』の校章があしらわれたキャップを被っている、いぶきが「Girls, cheer up!!」と声を張り上げ、掛け声をリードするとナインたちもそれに続いた。英語教師である菅野監督がソフトボールの本場アメリカから持ち帰り教え子に伝えたそれは、当然ながら全てが英語であり、他校とは一線を画していた。
輪が解けても、各々は気合いを声に出して自分を奮い立たせる。先攻は星花女子。トップバッターの新浦不二美が、校章入りの撫子色のヘルメットを被り左打席に立つ。
「プレイボール!」
球審が宣告すると、三塁の星花女子ベンチが一層賑やかになりだした。
「おらー! 行けー! にうらー!」
紀香は先輩すら呼び捨てにして、メガホンをガンガン叩きながら声援を送る。
相手投手が第一球を投じると、不二美は二、三歩一塁側に歩きながらコツンとバットをボールに当ててサードに転がした。スラップ打法というソフトボール独特の走り打ちである。
送球は間に合わずセーフ。無死一塁と幸先のいいスタートを切った。これには部公認の恋仲である湯沢純が一番大はしゃぎしていた。
二番千田彩芽が送りバントを決めたものの、続く山東あつみが得意の右打ちを見せるもセカンドゴロに倒れ二死三塁。それでもワンヒットで確実に得点できる場面である。
『4番、DP、下村紀香。ユニフォームナンバー3』
呼び出しのアナウンスを受けた紀香は、三号バットを悠々と大きく振り回しながら左打席に入り、ヘルメットを取り球審に向かって大声で「ぅおねがいしやーす!」と挨拶した。これは単なる礼儀作法ではなく、バッテリーを威嚇する狙いもあった。
紀香の視線の先、三塁側ダグアウトの向こう側の芝生スタンドにはまばらだが観客がちらほらといる。その中に見覚えのある三人がいた。太った男性とスタイリッシュな女性、そして今日も髪型をきっちり整えているワンちゃんこと静。
やっぱり来てくれた。しかも家族連れで。
「紀香さーん!」「紀香ちゃーん!」
両親だけ声を出しているが、静の場合は黙って見てくれているだけでも紀香にとって何よりの応援になる。
俄然、闘志がみなぎり全身が熱くなっていく。一月の寒空も何のそのである。
相手投手は進学校だからというわけではないであろうが、眼鏡をかけていてスポーツをするよりも机に向かっているのが似合っていそうな印象がある。簡単に打ち砕けそうだ。
「ふっふっふ。雲宝の前にまずこいつを血祭りにあげてワンちゃんに良いところを見せてやるぜい」
紀香は気炎を上げて、バットを大きく構えた。