12. ニューイヤーカップに向けて
三学期最初の日の朝練。自主練習ではあるがニューイヤーカップが近いとあって、全員がグラウンドに姿を見せて各々の練習に励んでいた。
グラウンドの端に設けられたブルペンでは、有原はじめが投球練習を行っていた。球を受けるのは同じく一年生の加治屋帆乃花。捕手と三塁手を兼任しているが、はじめが投げるときにはマスクを被ることが多い。
「ストレートいくよー!」
「はーい!」
ウインドミルで投じられた球が帆乃花のキャッチャーミットに収まり、小気味の良い音を立てる。構えたところピッタリだった。
「アアアアイイイッッッ!!!!」
甲高い鳥獣のような咆哮に、帆乃花がびっくりして前につんのめる。
声の正体は紀香であった。彼女は投球練習の審判の役を務めていた。
「紀香ちゃん、キモい声出さないでよ!」
「へへっ、球審シ●イのモノマネー。似てたろ?」
「真面目にやってよー。キャッチングに集中できないから」
「へーい」
紀香はニタニタしながら中腰で構えた。二球目もドンピシャのところであった。
「ストラック、アウト!」
紀香は上半身をひねって「卍」の文字のようなジェスチャーを見せた。今度ははじめがガクッと膝をつく。
「球審シ●タのモノマネ。似てたろ?」
「ちょっともうやめてー。コントロール乱れるから」
「へーい」
本番が近いのに何とも緊張感がない練習風景である。だからと言ってピリピリしすぎてもパフォーマンスを十二分に発揮できない。紀香のモノマネは彼女なりに考えたリラックス法であった。
はじめは帆乃花を座らせての投げ込みを20球ほどやり、朝練を終えた。冬休みの間はきちんと自主練をしていたようで、試合に向けて順調な仕上がりといったところである。
紀香たちはグラウンドを元通りに整備して、「ありがとうございました!」と一礼してから出ていった。すでに他の生徒たちの姿がちらほらと見え始めている。休み気分が抜けずダルそうにしていたり、友人、あるいは恋人との再開に顔をほころばせたりと様々だ。
「今回のチョーノのビンタも凄かったよねー」
「ホーセイぶっ飛んでたしね」
「マジで? あたし二年参りしてたから見そびれた」
紀香たちは年末年始をどう過ごしたのかを話題にしつつ校舎に向かう。はじめは両親から新しいグローブを貰って、帆乃花も親戚からバットを貰ったらしい。一方の紀香は父親から一緒に共演した芸能人のサインを貰ったのだが、今までにもたくさん貰っているのであんまり有り難くはなかった。
「だいぶ溜まってるからヤ◯オクで売っちまおうかな。結構なお年玉になるだろうな~」
「紀香ちゃん、メチャクチャゲスい顔してる……」
はじめに呆れられた。
「同じ芸能人のサインがいっぱいあんだよ。なあ二人とも、お年玉で買ってくんね? 今なら一枚三千円にまけとくぜー」
「「要らなーい」」
「そんなソッコーで否定しなくていいじゃんかよー」
馬鹿話で盛り上がる中で、紀香はふと「あたし、グラウンドのカギかけたかな?」と気になりだした。紀香の性格上戸締まりは気にしないのだが、この日に限ってなぜか気になった。
「忘れたら先生に怒られるよ。見てきたら?」
「そうするわ。悪い、先に行ってて」
紀香は片手を上げて踵を返し、グラウンドにダッシュした。
案の定、かけ忘れていた。
「うひ~、やべーやべー。冬休み明け初日から怒られるのは勘弁だぜい」
南京錠に今度こそしっかり鍵をかけて、校舎に向かって再ダッシュ……はしなかった。この後だるい始業式があるのを思い出し、あまり余計な体力は使いたくないと考えたからである。
そういうわけでゆっくりと歩いていたら、一人の生徒が紀香の前に立ちはだかった。美容院で切ったばかりであろう、キチッと整えられたショートヘア。橙色のネクタイだから中等部の三年生だが、紀香は一瞬誰だろう、と首をかしげた。
とはいえ髪型は変えられても、目鼻口といったパーツは整形手術でもしない限り簡単に変えられるはずがない。正体に気づいた紀香は声を上げた。
「わっ、ワンちゃん!?」
「……」
黒犬静は、前で両手を組んで丁寧にお辞儀した。今までこんな挨拶をしてくれただろうか。無言なのは相変わらずだが。
「おっ、おう。久しぶりだな。髪型ががらりと変わったからびっくりしたよ。冬休みの間は元気してたか?」
「……」
コクコク、と大きくうなずく。以前よりも意思表示が明確になっている気がした。
「あと、改めて誕生日おめでとうな」
「……」
また丁寧なお辞儀。どういたしまして、ということだろうか。
冬休みを過ごした静は、雰囲気が別人のようになっていた。髪型の変化だけでなく、肌も色艶が出てより一層健康的に見せている。何よりも彼女の持っている通学カバンには、自分の名字と同じ黒い犬を象った大きなチャームが取りつけられている。自分の部屋に余計なものを一切置かない静がアクセサリーをつけている。
男子三日会わざれば刮目して見よ、ということわざがあるが、それは女子も同じことが言えるらしい。約十日も会わなかった相手は、昨年とは段違いの可愛らしい姿に変わっていた。
紀香の心臓が、二死満塁一打逆転のチャンスを迎えたときよりも強く早く鼓動しだした。周りを見回したら、ちょうど誰もいない。
このまま想いを伝えてしまおうか。
母親の忠告のおかげで、若干の勇気が芽生えている。今なら。
「あのさ、あたし……」
紀香はその先を言おうとしたが、何か見えない力が口をグッと閉じさせたようになり、勇気の芽がたちまち枯れてしぼんでしまった。
植え付けられたトラウマは簡単に消えないもの。静の顔が、かつての片想い相手とだぶる。
紀香は、今まで彼女の開かなかった口が動き出す幻影を見た。
『私と付き合って欲しい? 冗談を言わないでください』
これが最初で最後に聞けた声になるのでは。二度目の恋も、完膚無きまでに叩き潰されてしまうのでは。
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。
「……あ、あたしさ、ニューイヤーカップで絶対にホームラン打つから。楽しみにしててよ」
無理に笑顔を作って、そう言葉を絞り出した。心の中で情けねえと嘆いたが、仕方がなかった。
「……」
静がカバンをゴソゴソと漁って、何やら取り出した。
必勝祈願のお守り。それは紀香の好きな赤色で彩られていた。
「え、もしかして、あたしに?」
「……」
静はコクコクッ、と大きく二度うなずいた。
「あっ……ありがとう! 本当にありがとうな!」
紀香はお守りを丁寧に両手で受け取った。グッとこみ上げてくる感情に動かされて、抱きしめたい衝動に駆られたが、自制心が辛うじて押し止めた。その代わり、綺麗に整えられた髪の上から頭を優しく撫でてあげた。柔らかく暖かい感触が心地よかった。
まずは眼の前の試合だ。最高のパフォーマンスを静に見せ、そして勝つ。
加治屋帆乃花ちゃんはしっちぃ様考案のサブキャラです。




