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無口な異形の青年は、生意気女子高生に振り回される  作者: 探偵とジョーカーのパソドブレ企画
7/8

異形の青年と見送る者2

 苔の柔らかな感触を靴の裏に感じながら、おれは小さな光に向かって歩いた。

「あれは……」


 光の正体、それはすぐにわかった。


「灯篭……」

 発見した小さな灯り――それは灯篭だった。

 灯篭の先には鳥居が建っていて、さらにその奥にはこぢんまりとした社が見える。

 そして、その社に誰かが腰掛けているのも――。

「――んん?」

 社に座っている誰かが声を上げる。そいつは壮年の男だった。

 男はおれの顔を見ると、

「誰か落ちてきたと思えば……。なんだ、会長さんとこの小僧か」

 と目を丸くさせた。


 ――この男の顔には見覚えがあった。


 機関に登録されていた、岩弓の人間時の顔だ。

「……おれはあんたを知らないが。――あんた、岩弓か?」

 尋ねてみると、男はゆっくりと頷く。やはりここにいたのか。

「ああ」

「色々聞きたいことはあるが……。その前に、なんであんたはおれのことを?」

 岩弓は「そりゃあお前」と言ってニヤリと口角を持ち上げる。

「昔会ったことがあるからだよ。いつだったかなぁ、なんかのパーティで会長さんの金魚の糞をしているお前を見たことある」

「き、金魚の糞……」

「会長さんに席を外してくれと言われてすぐいなくなったけどよ、一応挨拶もしてたぞ。随分ぶっきらぼうなガキだと思って、よく覚えてる」

「…………」

 しまった……。思い出せない。

 確かにおれが会長殿のもとで勉強をしていた頃、会長殿はよくいろんな会合に連れて行ってくれた。だがその頃のおれは「ついて行くことの意味」を理解しておらず、本当にただその場に居るだけだった。誰に会って何を話したか、なんてことはよっぽど印象深い奴以外覚えていない。

(このことを夜子に話したら、しこたま叱られそうだ……)

「あ――!」

 そうだ、夜子だ。

 夜子は今どうしているんだ?

(ここに落ちなかった夜子は地上にいるはずだが、無事でいるだろうか? ……そういえば先に敷地に入った夜子は、なぜここに落ちなかったんだ? まさかピンポイントにおれが落とし穴に落ちた――なんてないだろうし……。……多分)


「なぁ――」

 おれが口を開くと、岩弓はまぁ待てと遮る。

「聞きたいことがたくさんあるって顔してるが、そう焦んなよ。ひとつずつ話してやる。まずは何を聞きたい?」

「……連れがいる。だがそいつはここへ落ちなかった。上で無事なのか心配だ」

「ふぅん? 上で今何をしているかまではわからんが、大丈夫だろ。この上は普通の人間にはただの空き地でしかないから。危ないことなんて……そうだなぁ、草に足をとられてこけるくらいだ」

 そう言って岩弓は、目を三日月形に歪ませた。

「――小僧は普通じゃないからなぁ」

「……何が言いたい?」

 おれが語気を強めると、岩弓は顎をさすり、おれを一瞥する。

「この土地にはちょっとした仕掛けがしてあるのさ」

「仕掛け?」

「ああ。人間が入って来ないようにな。上にロープが張ってなかったか? あれはな、俺流の結界さ。ほら、探偵が使う道具にあるだろ、《異形の者》だけ感知して侵入を報せるのが」

「ああ……」

「それと似たような仕掛けなのさ。《異形の者》だけ感知して、ここに入れることができるんだよ」

 なかなか便利なもんだろ?と岩弓は笑う。

「お前の連れは正真正銘の人間なんだな。だからここには入れない。だけど――お前は違う」

 岩弓はおれのツノを指した。

「……おれは人間だ」

 おれはわずかに怒気を込めて言った。岩弓のにやけ顔が、なんだか癪に障ったのだ。

「んん? そうなんかい? 異形の血筋かと思ったよ」

「これには事情がある」

「ふぅん?」

 岩弓は、どうでもよさそうに相槌を打った。

「――ま、よくわからんが、この仕掛けを通り抜けたんだ。純な人間じゃない」

「……なんだと……」

「おいおい、そんな怖い顔しなさんな。――それよりお前、俺に用事があってここに来たんじゃないのかい?」

 ゆったりとした動きで、岩弓は足を組み替える。瞳はしっかりとおれを捉えたまま。

「……ああ。おれは会長殿に頼まれて、あんたを探していた」

 おれは懐から一通の封筒を取り出した。依頼を受けた時、会長殿から預かったものだ。

「これを」

「……? なんだ、これ?」

「会長殿からあんたにと」

「へぇ」

 封筒を受け取った岩弓は、それを不思議そうに眺めたあと封を開けた。そして中から手紙を取り出し、文字を追いかけ始める。

「…………」

 おれは黙って岩弓が手紙を読み終えるのを待った。何が書いてあるのかはおれも知らない。


「――はぁ、なるほどなぁ」

 岩弓が手紙を読み始めてすぐ、彼は一言呟き手紙を胸元にしまった。意外に手紙の中身は短かったようだ。

「おい、火之。お前は手紙を読んだか?」

 会長殿の手紙にはおれの名前が書いてあったのだろうか。岩弓はおれの名を呼び訊いた。

「読んでいない。なんだ、おれが関係あるのか?」

「大いにある。――というか、お前のことしか書いていない」

 岩弓宛ての手紙になぜおれのことを……? おれが怪訝そうに眉根を寄せると、岩弓は目を細めた。

「いやぁ、会長さんもよくあんな昔の約束覚えてたなぁ……」

「約束?」

「ああ。俺は昔、会長さんとちょっとした約束をしたんだ。うちの会社にいた若いのが協会の世話になったことがあってな。そいつに代わって礼は俺がさせてもらうと会長さんと話したことがあるんだよ」

「ふぅん……」

「で、この手紙には、『姿を消してしまうなら、その前にあの時の礼をしてくれないか』と書かれていた」

 言って岩弓は、右手をゆっくりと自身の顔にかざした。そして手を下ろした時――そこにさっきの壮年の男の顔は無かった。

「それがあんたの本性か」

 おれが訊くと、精悍な顔つきの青年は「ああ」と笑って答える。

「案外男前だろう? ――と冗談はさておき、手紙の話だ。手紙にはな小僧。『お前のもとに火之道間という男を向かわせる。その時――』」


「『火之の体内(なか)にいるものについて知っていたら、話してやってくれ』」


「そう書いてあった」

 岩弓は、「俺はさぁ」と目を伏せた。

「大昔、とある社で神様ってやつをやってたんだよ。小さい社だったけど、たくさんの人間が来た。皆、社の前でいろんな話をしてくれたよ。嬉しかったことに、感謝の言葉……。それに悲しかったことや、困っていることも……な」

「…………」

 驚きしなかった。《異形の者》が神と呼ばれる事例は多々ある。

 こんな妙な仕掛け(結界)を作れるほどの者なのだ。なるほど――とは思うが、それがおれの中に巣食う者とどう繋がるというのだろうか。

「困っていることを話す者のなかには、子供が妖怪に喰われたやら、恋人が沼の主に攫われたやら……明らかに人の仕業ではないことを話す者もいた」

「それは……」

 おれが呟くと、岩弓はこくりと頷く。

「俺はそれを聞いた瞬間ピーンときたね。――これは俺と同じような輩の仕業だって」

 岩弓は声のトーンを落とすと、「俺もわかるからな」と言った。

「人間の血肉を欲す気持ちは」

「…………」

「おいおい、怖い顔すんなって。気持ちはわかるとは言ったけどな、俺は社を管理していた神主一族がそこんとこ面倒見てくれたから、人間を襲ったことは無いぞ」

 言って岩弓は広い肩をひょいと竦めた。

「むしろ逆だ。俺は人間の世話になって生きていたからな。俺なんかを神様だと慕ってくれる人間には少しでも報いてやりたいと思っていた。だから――」

 岩弓の瞳が鋭い光を宿す。おれはその迫力に気圧され、ごくりと唾を飲み込んだ。


「――狩った。人間に仇なす妖魔達を」


 岩弓が言った途端、ピンと空気が張りつめる。

 だがそれは、すぐに岩弓本人の言葉によって破られた。

「さぁ、ここからが本題だ」

「本題……」

「俺は嫁と出会う前までは、長いこと《異形の者》とやり合ってきた。だから古くから生きている《異形の者》について、他の奴よりちったぁ知っているつもりだ」

「会長さんともそのことが縁で知り合った」とぽつりと言い、岩弓は話を続けた。

「だからよ、お前の中にいる者の話を聞いたことがあるかもしれないし、もしかしたら戦ったこともあるかもしれない」

 岩弓と視線がぶつかる。――瞬間、体の中で何かが震えた気がした。


(大人しくしていろ。くそ野郎が)


 おれは中にいるあいつを叱りつけると、あいつについて話した。

 初めてあいつの姿を見た時のこと。あいつの使った炎。そして――師匠の命を使って、なんとかおれの中に封じたことを。

 岩弓はそれを黙って聞いてくれた。

 そしておれがすべてを話し終え口を閉じると、「そうか」と一言呟いた。

「大変だったな」

「……まぁ、な」

 そう言ってすぐ、おれは「それより」と続けた。

「奴について何か知っているか?」

「…………」

 岩弓は返事に一拍間を置いた。そして。

「知っている」

 一言、そう答えた。

「どこまでこいつのことを知っている?」

 そう口にしたおれの心中は、静かなものだった。

 というのも、こいつに関しては時々過去の悪事が耳に入ってくるし、こいつ自身が夢の中でおれに昔の悪行を語ることもあるからだ。


 こいつのやってきたことはよく知っている。

 ただ、こいつ自身のこと――そして何より、こいつを殺す方法を俺は知りたい。


 だが、これまでにその足掛かりとなる情報を得られたことは無かった。

 だから今回も……期待はしていなかった。

「どこまで……と言われると難しいな」

 岩弓はううん、と唸る。ああ、これはおれの求める情報は聞けなさそうだ。

 期待はしていないつもりだったが……。

 やはり少し、残念ではある。

「おいおい、そうがっかりするなよ」

 気持ちが顔に出ていたのか、岩弓はくすと苦笑いを漏らした。

「……すまん」

「いや、お前は悪くないよ。むしろ申し訳ないな、せっかくこんなところまで足を運んできたのにたいした情報をやれなくて」

「いや……。とりあえず知っている話だけでも、悪神について聞かせてくれないか」

「ああ」

 岩弓は頷くと、おれに封じられた悪神について語った。

 それはこれまでも耳にしたことがある、残虐で残酷で、胸糞の悪い話だった。

「お前は悪神と言ったがな、俺の周りで奴は『カグツチ』と呼ばれていた」

「カグツチ……」

「俺ぁ、結局カグツチとやり合うことはなかったが……」

「……なんでだ?」

「さぁな? おれの村のすぐそばまで来てたみたいで、顔は見たよ。ま、誰かから奪ったもんだろうけど。でもそれだけだ。村には入って来なかった」

 だから無理に追う必要はなかったんだというようなことを岩弓は言った。

「俺も一応神って扱われるくらいだからな。向こうもそれがわかったんじゃないか? ぶつかりあったら面倒くさいことになるって」


 そんな可愛い性格じゃあねぇ――と思ったが、その言葉は呑みこんだ。だったらなぜ、というのに答えられる気がしなかったから。

(気まぐれなこいつのことだ。どうせ理由なんてないだろう)

 そんなことを考えていると、おれの中で奴が楽しそうに嗤った――ような気がした。


「悪いな。これくらいしか話せなくて。」

「いや、ありがとう。確かに悪神(こいつ)を殺す助けにはならないが――」

 おれが言うと、岩弓は「正直だな」と笑う。おれも口角を持ち上げると、「話を聞けてよかった」と頭を下げた。

「今回あんたを探す依頼を受けて良かった」

 言っておれは親指で自分の胸を指す。

「こいつの話は別にいい。それより、会長殿がおれのことを気にかけてくださっている……それをしみじみ感じられた。さらに会長殿への感謝の念が深まった――だから、あんたに会えて良かったと思っている」

「そうかい? そりゃ結構だ、無駄足にならなくって」

 岩弓は眉を下げ、へらりと笑った。つられておれも、表情を緩める。

「それじゃあ……、おれはそろそろ行く。連れが上でおれを探しているだろうから」

「ああ、そういやそんなこと言ってたな。――じゃ、結界から出してやるよ。術に障りがあるからな、目を瞑りな。絶対開けるなよ」

 おれは素直に瞼を閉じた。


 ――と、その時。

 ひとつの疑問が頭に浮かぶ。


「なぁ、岩弓。最後にひとつ訊いてもいいか?」

「なんだ?」

「……なぜ、突然姿を消した? あんたは何不自由なく暮らしていたみたいじゃないか。それなのに、誰にも何も言わずに……」

 おれが訊くと、ふ、と小さく笑う吐息が聞こえた。目を瞑っているから、本当に笑っていたのかはわからないが。

「それはな、火之よ。俺ぁもう、疲れちまったんだよ」

 疲れた……?

「――少しだけ昔話をしよう。俺の嫁はな、昔巫女として俺に仕えてたんだ。長年面倒を見てくれた一族の娘だったから、悪いなぁとは思ったんだけど……。向こうも俺も好いてくれてたし、嫁にしちまった」

 岩弓はこれに「苦労はかけるだろうとは思ったが……。諦められないくらいに惚れちゃったんだ」と続けた。

「嫁と生きるため、ずうっと人間社会で頑張って暮らしてきた。――けど、先立たれちまった」

 言って自嘲するように「わかっちゃいたんだ……」と岩弓は呟いた。


「やっぱり虚しいもんだな、ひとりで生きるってのは」


 ――それは、わからなくはない。

 おれも師匠(家族)を失い、会長と出会う前まではそうだった。憎悪を燃やすことで死なずにはいたが――それを生きていたというのかはわからない。

「いつの間にかでかくなってた会社の引き継ぎやらなんやらで時間がかかっちまったけど……。嫁が逝ったら人間社会から離れようとずっと考えてたんだ」

 岩弓は「ここはなぁ」と懐かしそうな声を出した。

「嫁が生きていた頃よく一緒に来たんだ。この上にあった保養所から見える景色を、嫁が気に入っていたからさ」

「…………」

「だから、最期の場所はここにした。結界内に昔の社を再現して……。嫁の骨壺と一緒に、ゆっくり眠れるように整えた」

「あんたは会社の人間にも慕われているようだった。なのに……」

「はは。だからだよ」


「もう、好きだった人間を見送るのは疲れた」


 そう言う岩弓の声はかすかに震えていた。もしかして泣いているのだろうか。

「おい、岩弓……」

「本格的に眠るまでは、時々外の景色を見に出られるよう《異形の者》だけ結界を通れるようにしてたけど、満足したらここは誰も入って来れないよう閉じるつもりだ。――そしたら俺は眠る」

「眠る、か……」

「起きてりゃどうしても血肉が必要になるからな。人間と関わらざるを得ない。そうしないために眠るのさ」

 寂しそうにそう言うと、岩弓は明るい声で、

「誰かにこのことを話すと、引き留められたり詮索されたりしそうで面倒だったからなぁ。こっそりここに来たんだけどな。まさかこんなことになるとは思いもしなかったよ」

 と言った。そのわざとらしい明るさは、なんだか痛々しかった。

「そんじゃ、こんなところに長居は無用だ! 火之にはそろそろ帰ってもらおうか! 会長さんによろしく言ってくれよ!」

 そう岩弓が言った途端、背中がグイと引っ張られ――ふわりと足が地面から離れた。

(体が、浮いている――!?)

 戸惑うおれをよそに、体はグングン上昇していく。その時――。


「火之よ! 普通の人間はあっという間にいなくなるぞ!」


 かなり下のほうから、岩弓が叫ぶのが聞こえた。

(あっという間に……)

 言葉の意味を反芻しようとした瞬間、固く閉じていた瞳に光が差した。


 地上に戻ったのだ――――。


◇◆◇


瞼を開けて、最初に目に映ったのは、綺麗な夕焼け空だった。

(ここに着いたのは昼前だったはずだが……。あれからかなり時間が経っている……?)

 おれは錫杖で体を支えながら、のそりと立ち上がった。枯草がそよぐ野原をぐるりと見回してみると――百メートルほど離れたところに、入ってきた時に跨いだロープと、夜子が見えた。


「火之さん!!」

 夜子もぼさりと突っ立っているおれに気づいたようだ。

 おれの名を呼ぶと、背の高い草をかき分けながらこちらへと走ってきた。

 そして少し遅れて、夜子のあとを何人かの人間が追ってきている。――あれは夜子の兄に、御守探偵事務所の所員……それから御守と懇意にしている《機関》と《研究所》の職員もいるじゃないか。

「火之さん!」

 はぁはぁと肩で息をしながら、夜子はおれの前へと飛び出してきた。不安と驚きの混じった顔を見せ、夜子は叫んだ。

「どこに行っていたんですか!!」

「どこに……って言われてもだな」

 最初から説明すると、話が長くなりそうだ。

「急に火之さんがいなくなって……。探しても全然見つからなくて……。私、大変なことが起こってるってすごく心配したんですよ!」

「はは、夜子が御守殿以外を心配するなんて珍しいな」

 場を和ませようとそう言ってみると、夜子は細い足でおれのふくらはぎを蹴りつけた。

 それがまったく痛くなかったものだから、ついニヤけてしまい――「何笑ってるんですか」と怒られてしまった。

「悪い悪い。――だいぶ心配かけてしまったみたいだな」

 夜子に続いてこちらへ歩いてきている面々を見ながら言う。

「そりゃそうですよ。急に姿が消えたので、どこかに連れて行かれたか見えなくなったかだと思って……。とりあえず《機関》と《研究所》の方を呼びました。現場(ここ)を調べてもらえば何かわかるんじゃないかと……」

「なるほど……」

 ひとり残された夜子は、一体どうしているだろうと思っていたが……。頼もしいことだ。

「――ところで火之さん」

「ん?」

「岩弓は見つかりましたか?」

 夜子はまっすぐな目をおれに向け尋ねてきた。

「…………」

「火之さん?」

「……ああ、見つかった。話もした」

「会長殿の依頼は完了だ」とおれが言うと、夜子はきょとりと目を丸くさせた。

「詳しくはこれから話す」

 夜子はふうん?と小首を傾げ、思い出したように「あ」と呟く。

「どうした?」

「肝心なことを訊き忘れていました。ねぇ火之さん。あなたは本物の火之さんですよね――?」

 そう言って胸の前で夜子が腕を構える。――ガシャリとガントレットの音が鳴った。

「安心しろ、おれだから」

 おれがニッと歯を見せて笑うと、

「そうですか。ならよかった」

 と、夜子もいたずらそうな笑みを浮かべた。

「私、皆に報告してきます。とりあえず火之さんは無事そうでしたって」

 言って夜子は踵を返し走って行く。足の速いあいつは、あっというまに追いかけてきていた奴らのところについてしまって、おれのほうを指差しながら何か説明し始めた。

(やれやれ。本当にしっかりしていることだ)

 大人達と対等に話をしている夜子を見ていると――ふいに、岩弓の言葉が頭をよぎった。


『火之よ! 普通の人間はあっという間にいなくなるぞ!』


 ……確かに。確かにそうだ。

 出会った頃はおれの腰までしかなかった背はいつの間にかぐんと伸びて。

 あどけなさはまだ残るがだいぶ娘らしくなってきたし、大人顔負けの仕事ぶりには舌を巻く。


(隣にいる夜子の兄も、初めて顔を合わせた時は今の夜子と同じくらいの年だったはずだが、気づけばおれより老けて見える。会長殿の秘書だって、気づけば立派な大人の女性になっている。会長殿も――……。いや、会長殿は全然変わらないか)


 岩弓は見送るのは疲れたと話していた。

 おれも、いつか見送ることになるんだろうか。


(会長殿や……。夜子を……?)

ふと、会長殿が岩弓を探す依頼を出したのは、おれにそのことを思い出させるためだったんじゃないかと思った。

(会長殿はなんでもご存じだ。岩弓が抱えている寂しさのこと、知っていたんじゃないか……?)

 悪神についてを知る者と引き合わせることが会長殿の目的ではなく、人間と深く付き合ったが故の虚しさを、おれに教えようと――?

 もしや岩弓宛ての手紙には、悪神のこと以外にこの件も書いてあったのでは……。


「火之さーん! 《機関》と《研究所》の方も詳しくお話を聞きたいそうです! このあとご一緒してもいいですよねー!」

 考えに耽る頭に、夜子が叫ぶ声が届く。

 おれは我に返り、「ああ!」と大声で答えた。

(会長殿の真意はわからないが……)

 ともかく岩弓には会えた。報告と説明をさっさと済ませて――この仕事は終わりだ。


(大丈夫です、会長殿。おれはあなた達が生きているあいだに悪神(こいつ)を殺して……。あなた達と同じように歳をとって、終わりを迎えてみせますよ) 

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