異形の青年と見送る者1
「火之さん……! 火之さん、どこですか……!?」
「…………」
後頭部にズキズキとした痛みを感じながら、ボーっと夜子の声を聞く。
「火之さん……!」
声を潜めながら叫ぶ夜子――もしかしたら敵がいるのかもと警戒しているんだろう――に、おれはここだと言ってやりたいが、あいにく口から漏れ出たのは呻き声だけだった。
どうやらおれは、相当高い場所から落ちてしまったらしい。
「……之さん……!」
そうこうしているうちに、夜子の声はどんどん遠くなっていく。
「…………」
そしてしばらくすると、声は完全に聞こえなくなった――。
◇◆◇
「痛……」
ようやく痛みが治まり、おれは頭を押さえながらゆっくり上体を起こした。腕を回してみたり足を触ってみたりして、異常はないか確認する。――うん、コブはできているが、おかしなところはないようだ。
「ここは……」
辺りを見回してみると、どうやらおれが倒れていた場所は洞窟のようだった。地面はしっとりと湿っており、掌からは苔の感触が伝わってくる。すん、と鼻を鳴らしてみると、水の匂いもした。
「こんな場所があったとは……」
錫杖を支えにして立ち上がり、空を見上げてみる。
「…………やっぱり無い……」
おれは確かに「落ちてきた」はずだ。
「どういうことだ……?」
それなのに、あるべきはずのもの――俺が落ちた穴が、天井には無かった。
そう呟きながら視線を洞窟へと戻し、目を凝らしてみる――と、洞窟の奥にかすかに光が見えた。
(あれは……?)
こんなところでこのまま呆けてはいられない。とりあえず探索しなければと、おれは光に向かって足を進めた。
――これは、チャンスなんじゃないだろうか?
「上」にこれ以上手がかりはなさそうに思えた。ならばこの場所に――。
「『あの男』がいるんじゃ……?」
あの男――。
それは会長殿から探すように頼まれた、岩弓という《異形の者》のことだ。
そいつはちゃんと《機関》にも登録されており、会社を経営することで社会とも関わっている――模範的な生活を営んでいた《異形の者》だった。
会長殿とも旧知の仲らしく、《機関》の人間曰く、『信用のおける《異形の者》』だったらしい。
だが……。
岩弓は、ある日を境に姿を眩ませた。
夜子と一緒に調べた結果、それは突然というわけではなかったようだ。
(妻が亡くなってからは自宅を売り払い、会社の一角で暮らしていた。だが何十年も暮らしていたその部屋は、おれが行った時には空っぽになっていた……。そして会社のことは信頼できる者達に任せ……。妻の墓じまいもしていた……)
「社長はいわゆる……、終活をしているみたいでした……」
と、寂しそうに語ったのは、岩弓の部下だった男だ。彼は無理に笑顔を作りながら、おれと夜子に岩弓のことを話してくれた。
「俺は親父と二代揃ってあの人のもとで働いてきたんです。長いことお世話になって感謝していますし……、何より良い人だ。いなくなってしまったのは寂しいですよ、正直」
男は、「でもねぇ」と目を伏せた。
「奥様がお亡くなりになってから……。お辛い時もひとりずっと歯を食いしばって頑張ってたんだ。もう……最期をお考えになっても、いい時期なのかもしれませんね」
そう言うと男は、会社の持っている土地について教えてくれた。今は閉鎖しているが、かつて保養所として使っていた場所があるという。岩弓はそこを大層気に入っていたそうで、保養所を閉めてからもたびたび足を運んでいた、と男は語った。
「行ってみる価値はありそうですね」
提案したのは夜子だった。
「…………」
男の話した場所は、東京からそう離れていない。現地で調べものをして帰るのに、一日あれば十分足りる。何の収穫が無かったとしても、たいしたロスにはならないだろう。
「――だな」
そうしておれと夜子は保養所跡地へと向かった。しかし――。
そこには何もなかった。
探すどころの話じゃない。更地なのだ。背の高い草が生え見通しの悪いところもあるが……。すべての片をつけ最期にやってくる場所として選ぶには、物悲しい場所だった。
「あの人の話を聞いた時は、ここしかないって思ったんですけど……」
夜子は肩透かしを食らったように言う――が、すぐにふるふると頭を振った。
「先入観はいけませんね。とりあえず何か手がかりになりそうなものがないか探しましょう」
言って夜子は、敷地を囲っているロープを跨いだ。もちろんおれもそれに続いたが――。
ロープを跨いだおれの右足は、地面を踏むことができなかった。
「あ――!?」
地に着くことの無かった足に引っ張られ、体はバランスを崩す。そしてぐらりと揺れ――落下した。
こけたのではない。落ちたのだ。
「な……!?」
さっきまで見えていた地面はなんだったのか。
(足も体も、土に触れなかったぞ……!?)
「火之さん!?」
夜子の驚愕する声が上から聞こえる。
「ここだ!!」
そう叫んだはいいが、おれは空を仰ぎ見て焦った。
――落ちたはずの穴が、無い。
上に見えるのは真っ暗闇だ。空が閉じている――とその時おれは思った。
(一体何が――!?)
どうやら奇妙なことに巻き込まれてしまったらしい。
(まずい……!)
落下している体は、いつまで経っても地面にぶつからなかった。どうやら相当深い穴のようだ。
「くそっ……!!」
とにかくなんとかしなければ――! その一心で体を捩じった時だった。
「――ッ!?」
おれの体は、地面へ思い切り叩きつけられた。
こうして気を失ったおれは、暗い洞窟で目を覚ますこととなる。