異形の青年と食えない男
「やぁ」
確かこのあたりだと地図を見ながら歩いていると、突然声をかけられた。
「――?」
顔を上げると、道の少し先で見知った男が軽く手を振っていた。
彼はもたれかかっていた塀から背を離すと、「こんなところでどうしたんだい?」と気さくに話しながら近づいてくる。
「善知鳥殿」
おれが彼の名を呼ぶと、彼は薄く笑ってみせる。口元から不揃いな歯が覗いた。
「それはこちらの台詞だ。夜子の学校に何か用でもあるのか?」
――そう。今日のおれの目的地は、夜子の通っている高校だ。
今日はこのあと、夜子と連れだって現場に向かう予定になっている。だからおれは、あいつを迎えにここまで来た。
だが善知鳥殿――学校と縁遠そうなこの人は、この場所に一体なんの用事があるというのか。
まぁ、考えられるのはひとつだけだが……。
「御守君に用があってね。彼女が出てくるのを待っていたんだ」
善知鳥殿はそう言って校門に目をやった。夜子と同じ制服を着た男女が、ぽつぽつと門をくぐっている。授業はすでに終わっているようだ。
「夜子に、用事?」
「そう。渡しておきたい資料があってね」
善知鳥殿は、つかさ警備という警備会社の社長だ。そしてそこの対異形種部門の部長でもある。当然探偵資格は持っていて、おれ達専業探偵とも繋がりは深い。おれもこの人にたびたび世話になっている。
「正確には、御守君の兄のほうに渡す資料だけど」
「琴浦に? なぜそれを夜子に渡すんだ。直接事務所に持っていくなり送るなりすればいいものを……。大体、善知鳥殿が直接渡す必要が?」
純粋に不思議に思い訊いてみる。善知鳥殿はその肩書きにふさわしく忙しい。こんな雑事にかまけているような時間はないはずなのだ。
善知鳥殿はキョトとしているおれの顔を見ると、ふ、と息を漏らした。
そして口にしたのが――。
「なに、ちょっと御守君に嫌がらせをしようと思ってね」
――これだ。
善知鳥殿は冗談だよと続けたが、おれには八割方本心に思えた。夜子の兄が必要としている資料なのであれば、直接そいつに渡すのが一番早い。それなのにわざわざ手間のかかることをしているのだから。
おそらく早急に必要な資料じゃあないのだろう。それもあって――ご苦労なことに忙しい合間を縫って――夜子をからかいに来た。
相変わらず食えないお人だ。夜子が善知鳥殿を苦手としていることをわかっていながら、こういうことをする。
おれはきっと、何とも言えない苦々しい顔をしていたのだろう。善知鳥殿はくく、と喉を鳴らし笑った。
「冗談だって言っているのに」
「…………」
もしかするとおれも今、この人にからかわれているのでは――という考えが頭によぎる。
善知鳥殿は、どうやらおれに『興味』があるらしい。
だからだろうか、ちょくちょくおれを値踏みするように見てくる。おれはその時のこの人の目がどうにも苦手で……。つい態度に出てしまう。
これは夜子も同じで、基本的に顔色を変えることのない夜子も、善知鳥殿を前にすると珍しく感情的になる。
どうやらそれが善知鳥殿にはおかしくて仕方ないらしく、おれ達ふたりは善知鳥殿に妙に気に入られている。
まぁ、そのおかげで善知鳥殿には色々と便宜を図ってもらえるのだが……。
この人からの厚意は、単純に受け取ってはならない――と感覚的に思う。裏があるとまでは言わないが、気を抜けば絡め取られてしまいそうな不安がある。
「おや、噂をすれば」
善知鳥殿が校門を顎で指す。見るとそこには、キョロキョロと辺りを見回している夜子がいた。――きっとおれを探しているんだ。
「夜子!」
声をかけると、夜子はこちらを向き――「げっ」と顔を歪ませた。
「あはは」
隣で善知鳥殿の笑う声が聞こえた。
「ちょっと、火之さん!?」
タッと駆け寄ってきた夜子がおれの名を呼ぶ。その声音は厳しい。
「なんで善知鳥さんを連れてきてるんですか!? そんな話は聞いていませんが!」
「いや……、別におれが連れてきたわけじゃ……」
「うん。今ばったり会ったところ」
善知鳥殿が目を細め言うと、夜子は訝しげに善知鳥殿を見やる。
「いやね、御守君に渡したいものがあってね。――はい」
「なんですか、これ」
「水曜に琴浦君が見たいって言っていた資料。話聞いてないかな?」
夜子はああ、と納得したように頷く――が、すぐに怪訝そうに眉を顰めた。
「で、なんでそれを私に? 必要なのは兄さんなんだから、兄さんに渡してください。どうしてわざわざ学校まで来て私に預けるんですか」
うむ、夜子の言うことはもっともだ。
「ちょうど外に出る用事があったからね。ついでだよ」
「……どうだか」
夜子は封筒を受け取りながら、じとりとした目を善知鳥殿に向ける。おお……、わかりやすく疑っている。
「でも、ありがとうございます。これは兄さんに渡しておきます」
「うん、よろしく」
「それじゃ私達これから仕事ですので。――行きましょう、火之さん」
言って夜子はクイ、とおれの袖を引く。けれども善知鳥殿はおれ達が行くのを許さず、「ああそう言えば」と話を続けた。
「君達、今一緒に仕事をしているんだってね。火之君の手が足りないとかで」
「……どこで聞いたんですか?」
夜子が訊く。だが善知鳥殿は曖昧な笑みを浮かべただけで答えはしなかった。
「君が自分のとこ以外の場所で働くなんて珍しいねぇ」
「そりゃあ、火之さんの頼みですから。古い知り合いが困っていると聞いたら、放っておけませんよ。それに私、火之さんがうっかりしてることをよーく知っているんです」
夜子は澄んだ眼でおれを見上げてくる。
「だから、サポートしてあげなきゃ可哀想じゃないですか」
これにおれはなんと返したものかと悩み――結局ううんと唸ることしかできなかった。いくつも年の離れた娘にこう言われてしまうのは情けないが、今回はおれの段取りが悪いせいで助手が必要になっただけに反論ができない。
「はは、仲がいいことだ。――それで、どんな仕事をやってるんだい?」
「《探偵》に現在受けている仕事の詳細を訊くのはマナー違反ですよ」
「真面目だねぇ。でも会長から頼まれた仕事はあるんだろう?」
「……どうしてそう思う?」
おれが尋ねると、善知鳥殿はパサパサの髪をかき上げながら笑った。
「ただの勘だよ。――ねぇ、会長は君にどんな依頼をしたんだい?」
「……さっき夜子も話したが……」
「詳細を聞こうってわけじゃないさ。例えば情報収集だとか、排除だとか、大まかな枠を訊いているんだ」
「……《異形の者》探し」
「なるほど、ヒト探しね」
善知鳥殿はうんうん頷くと、意地悪い笑みを浮かべた。
「それ、わざわざ火之君に頼むような仕事?」
「……何が言いたい?」
「いやぁ、火之君はどちらかと言えば戦闘要員じゃないの? 会長からしたらさ」
言って善知鳥殿は腕組み、小首を傾げた。その芝居がかったような動作がなんとも胡散臭い。
「火之君にあってなさそうな仕事をわざわざ振るなんて、会長は何をお考えなんだろうね……?」
「それだけ会長殿はおれに期待してくれている、ということではないのか」
おれは少しだけムキになって返した。まるで会長が考え無しかのような言い方は見過ごすことができない。
「ふふ、そうかもね」
おれが語気を強めて言ったにもかかわらず、これを善知鳥殿は半笑いで流した。――どうにも遊ばれているような気がする。
「火之さん、善知鳥さんの意地悪に付き合ってないで、そろそろ行きましょう」
夜子が再びおれの袖を引き言う。――とその時。電話の着信音が鳴った。
「――ああ、部下からだ」
善知鳥殿が言う。着信は善知鳥殿の携帯のものだったか。
「僕もそろそろ行かないと」
善知鳥殿はスマートフォンを取り出し発信者を確認すると、サッと片手を挙げた。
「それじゃふたりとも、頑張ってね」
「どうも。善知鳥さん、資料ありがとうございました」
夜子が言ったあとに、黙っておれも軽く頭を下げる。
善知鳥殿はひらりと手を振ると、道路を渡って行った。きっと部下の車をあちらのほうに待たせてあるのだろう。
「――ま、善知鳥さんの言うことも一理ありますけどね」
善知鳥殿の背を見送りながら、ふぅと吐息混じりに夜子が言う。
「なんだ、唐突に」
「会長が火之さんになんで人探しを頼んだのかって話です。火之さんよりも人探しに向いている《探偵》っていっぱいいると思いますし」
「夜子も会長殿の判断を疑うのか?」
「疑うというか……。なんでだろうってだけです。私会長シンパじゃないんですからね。なんでもかんでもあの人のすることを、はいそうですかって受け入れませんよ」
「…………おれに色んな仕事を経験させてくれようとしているんだろう」
夜子はふぅんと小首を傾げた。
「そうかもしれませんね。まぁ私は無事に仕事を終えられるなら、会長が何を考えているのかは気にしません。――さ、私達もそろそろ本当に行かないと。どんどん捜査の時間が無くなってしまいますよ」
言って夜子は先を歩き始める。
「…………」
夜子の後姿を少しだけ見つめ、おれもあいつのあとに続く。歩幅が違うから、あいつにはすぐに追いついた。
――おれだって会長が何をお考えかはわからない。
けれどもおれは、あの御方の期待に応えられるなら、どんなことでも精一杯やるだけだ。