異形の青年と世間話
「よっ。来てたのか」
忙しなく走り回る職員達のなかに、あいつはいないかと目を凝らしていると、突然背中に声をかけられた。
聞き覚えのある声に、おれは「ああそこにいたのか」と振り返る。
「――辰巳。どうやら協会は本当に忙しいようだな」
「そーなんだよ」
言ってそいつは、その整った顔を苦々しく歪めた。
――この男は辰巳勇人。
対異形探偵協会の職員で、おれを色眼鏡で見ない数少ない人間のひとりだ。
見た目こそ今時の若者、優男といったふうだが、これでなかなか中身のある男だ。
「特別重大ってわけじゃないんだけどさぁ、今終わらせなきゃいけない事務作業が急に何件も舞い込んできたんだよな。はは、忙しい時は重なるってほんとーだな」
「確かに。おれもその状態だ」
辰巳は「ああ」と眉を上げる。
「聞いたよ。お前も今てんてこ舞いなんだって? 御守んとこのを雇わなきゃいけないくらいに」
「耳が早いな」
「まーそれもあるけど……。お前らふたりって、結構協会のなかで目立ってんだよ。だから噂もすぐ回る」
「…………ふん」
「まぁまぁ、ふてくされんなって」
おれが不機嫌なのが伝わったのか、辰巳は宥めるように言う。そして続けて、「それにしても」と腕を組んだ。
「御守探偵事務所の末っ子、期間限定とはいえ、よくお前の助手やることにしたな? あの子、自分とこ……というか父親の理になる仕事優先なのに」
なんだそのことか。
辰巳の言うことはあっている。おれは頷きをひとつ返した。
「そうだな」
「だろ?」
「でもな、ああ見えて案外義理堅いんだ、夜子は」
「義理堅い……ねぇ。ま、わからなくはないよ。良くも悪くも、一本芯が通ってる」
おれは辰巳の言葉に思わず苦笑を漏らす。――良くも悪くも、か。
「それにしても驚きだな。火之が御守になんか世話でもしたことあったのか? 義理っていうからにはさ」
「……夜子とは付き合いが長いからな。そりゃあ色々ある」
ふうん、と辰巳は返事を寄越す。そして「それより」と時計を見た。
「協会には何しに来たんだ? 資料探しか?」
「ああ」
「じゃあ、こんなとこで世間話してる暇ないじゃん」
「まあな。夕方には夜子もうちに来るし、やることだらけだ」
おれの言葉に辰巳は目を丸くさせ、「え」と呟いた。
「御守……、お前んちで仕事してんの?」
「ああ。おれはオフィスを持ってないんだ。知ってるだろ?」
「そりゃ知ってるけどさ……。協会の会議室とか借りれば……」
そこまで言って、「あー……今月は駄目だったわ」と辰巳はひとりごちる。
「今月はどの部屋もそんな長い時間空けられなかった気がする」
「だろう? だから夜子にはうちに来て作業してもらってるんだ。狭いがまぁ、うちでやることは情報をまとめるくらいだ。あとは現場に出るし――」
「いやいやいや。そういうんじゃないんだよなぁ。俺が言いたいのは」
言って辰巳は、じと、とした目でおれの顔を見据えた。
「な、なんだ……」
「――火之、御守を毎日何時に帰してるんだ?」
「夜の十時……」
「ひとりで帰ってるのか? あいつんちの兄貴やら助手のでかいのやらが迎えに来てんの?」
「いや……、途中まで俺が送ってる。夜子は探偵証があるから補導はされないから大丈夫というが、まぁ一応な」
おれが言うと、辰巳はわざとらしく大きな溜め息を吐いた。なんだ。なんだと言うんだ。
「火之ぉ……。御守はまだ高校生だってことわかってる?」
「わ、わかっているが」
「わかってるぅ? 本当にか?」
「あ、ああ……」
「御守も御守だ。そりゃ探偵証を出せば、警察も『ああ《探偵》なら子供でも夜の街を歩いて当然だ』くらい思ってくれるだろうよ。けどなぁ……」
辰巳はぶつぶつと何か呟いている。一体何を言いたいんだこの男は。
「火之。一応知り合いとして忠告しとくけどな」
辰巳はピッと人差し指をおれの胸に向け、片眉を吊り上げた。
「一般的に、成人男性のひとり住まいに、女子高生が出入りするのは、あまりいい目で見られない」
「お、おお……」
「それから夜、未成年と一緒に連れだって歩くのも目を引く。悪い意味で」
辰巳はくしゃりと自身の髪をかき混ぜた。
「どーせ御守はいつもの制服姿で歩き回ってんだろぉ? ――あいつ、自分がどう見られてるか全然頓着ないよな。もちろん悪い意味で!」
そして、「あとな」と残念そうに言い――。
「なんつーかさ、お前の『見た目』だと、変な疑いかけてくる奴もいると思うんだよな」
辰巳はひょいと肩を竦めて見せた。
「…………」
なるほど。辰巳が言いたかったのはそういうことか。
『鬼が子供を引き連れている――』
そう見られるぞと。
「例えば職質とかさ。お互いの身分を明かせば何も問題ないけど、いきなり食って掛かって来られたりしたら嫌だろ」
「……それに、《異形の者》を嫌う奴らに目をつけられたら厄介か」
「ん、そーいうこと」
辰巳がコクリと頷く。
ふむ――。おれはその手の面倒に巻き込まれるのは、悲しいことに慣れたものだが、確かに夜子の名誉を守るという意味では気をつけたほうがいいかもしれない。
まぁ辰巳が言うように、夜子は自分のことには無頓着だ。おれがこんなことを考えていると知られたら、余計な気を回す暇があれば仕事に集中しろと叱ってくるかもしれないが。
「忠告、ありがとう」
「別に。まー、世の中ってめんどいこと多いよなぁ」
言って辰巳はへらりと笑った。つられておれも、少しだけ口角を持ち上げる。
「――っと」
辰巳は壁にかけてある時計に目をやると、「そろそろ仕事に戻んないとな」と大きく伸びをした。
「休憩中だったのか?」
「ああ。火之、悪かったな、忙しいのに引き留めて」
「いや、おれもせっかく協会まで来たし、辰巳の顔でも見るかと思ってたんだ。気にするな」
「へぇ、優しいじゃん」
「なに、お前が仕事に追われている様でも覗いてみようとな」
おれが言うと、辰巳はくく、と笑い片手を挙げた。
「今回は手伝えなくて悪いな。資料探し頑張れよ」
「ああ。おまえもな」