2章-アキトの決断-
「まったく、本当に人間に甘い。……いや、この船の人間に甘いのか」
離れていく〈アサルト〉をハチドリが呆れた様子で見送る。
しかしアキトはそんなことに構っている場合ではない。
かつてない規模の反応を示す謎の闇と、その中で力を強めつつあるアンノウンに対して単機で挑むなど無謀が過ぎるとしか思えない。
闇から観測される反応の大きさは、これまで人類軍に確認されてきた大型アンノウンの中の最上位の個体にも匹敵する。
確かにシオンはアキトたちが驚くようなことをするが、だとしてもそんな規模のものを相手取るのは無理があるだろう。
『戦術長! 俺たちが〈アサルト〉の回収に行きます!』
「……ダメよ! 機動鎧がこれ以上離れたら〈ミストルテイン〉の守りがもたないわ」
ハルマの提案をアンナが即座に却下する。
〈ミストルテイン〉自身の砲撃でも土の腕への対処は行っているが、下からの攻撃を捌ききるには手数が足りないという状況はなんら変わっていない。
グランダイバーから距離を置いたことで先程までよりは余裕があるとはいえ、これ以上機動鎧が離れれば〈ミストルテイン〉に攻撃が届いてしまいかねない状況だ。
「あのバカ、ここまで計算してたんじゃないでしょうね……」
イラつきを隠さないアンナが苦虫を噛み潰したような表情で唸る。
そうだとしたら恐ろしいところだが、あのシオンであればあり得ないとは言えない。
ひとつはっきりしているのは、機動鎧をシオンの回収やフォローに向かわせる余裕はないということだけだ。
「(かと言って〈ミストルテイン〉を前に出すわけにも……)」
どうしてもシオンを追いかけたいのならそれ以外の選択肢はないが、それはリスクが高すぎる。
アキトは艦長として、独断専行したシオンのために百人を越える部下を危険に晒すわけにはいかない。
シオンのことを大事に思うアンナも、〈ミストルテイン〉の安全を最優先に考えなければならない。
それすらシオンの思惑通りだとしても、だ。
「悩むことではないだろう」
どうやってシオンのことを追いかけるかを考えるアキトやアンナに対してハチドリは冷静に言う。
「彼も言っていたことだが、この状況は人ならざるものが対処すべきことだ。彼があの魔物を倒せばお前たちが危惧したように弱き民が死ぬこともなく、お前たち人類軍とやらも傷つかずに済む。……待てば全てが丸く収まるというのに、何故そうも彼を追おうとする?」
首を傾げ、こちらを見つめるハチドリに怒りにも近い感情が湧き上がる。
「いくらイースタルでも、あれほどの存在に対処できるとは思えない」
「そうだとして、お前たちが追いかけて何ができる?」
「手数があるに越したことはないでしょう」
「いや、邪魔にしかならないだろう」
アキトとミスティの反論をハチドリは一蹴した。
「お前たちが彼を追ったところで助けにはならない。むしろお前たちを守るために余計な力を使わねばならなくなる」
「考えなかったわけではなかろう?」と尋ねてくる言葉に、アキトとアンナからすぐに反論の言葉が出ることはなかった。
ここで自分たちがシオンを追いかけたとして、何ができるのか。
アンナは「手数が多いほうがいいだろう」と反論したが、そうとも限らないことがわからないほどアキトもアンナも馬鹿ではない。
ハチドリの指摘通り、負担になる可能性も考えなかったわけではなかった。
「〈アサルト〉、問題の闇に接近します!」
コウヨウの報告に、一度考えるのをやめて状況を確認する。
迫りくる土の腕を器用に回避しながら突っ込んでいく〈アサルト〉は、そのまま闇へと突入した。
「ちょっとあれ突っ込んで大丈夫なの!?」
「お前たち人間が真似すればただでは済まないだろうが、防壁で守りを固めていれば問題はない」
アキトたちが状況を見守るしかできない中、数十秒程で〈アサルト〉が突入したポイントとは全く違うポイントから闇を突き破って飛び出してきた。
特に機体が損傷している様子はなくアンナがほっと息を吐くが、アキトは違和感を覚えた。
「あの飛び出し方……まるで押し出されたみたいじゃないか?」
飛び出してきた〈アサルト〉に損傷はないが、上下はさかさまであるし、妙な回転が加わっていたように見えた。
そもそも真っ直ぐに突撃したのだから、そのまま闇を突き破って真逆……〈ミストルテイン〉からは見えない位置に飛び出すのが自然なはずだろう。
「……うむ。あの闇の中では穢れが渦巻いているのやもしれぬ」
「暴風が吹き荒れてるってわけ?」
「暴風というよりは荒波というのが正しいだろう。ある種の魔力の奔流が荒れ狂っているのだ」
ハチドリの分析を聞いている間も〈アサルト〉は闇に飛び込んでは押し出されるという流れを繰り返している。
おそらくはグランダイバー本体の位置を探っているのだろう。
しかしあの大きな闇の中から敵を見つけ出すのは至難の業であると、シオンも重々承知しているはずだ。
にもかかわらずその途方もない作業を繰り返しているのは、それ以外に方法がないからなのだろう。
「(俺たちは、あんなことすらできないのか)」
シオンが繰り返している作業がもし人海戦術で対応できたなら、もっと時間も労力も削減することができるだろう。
しかしアキトたちはあの闇に突入することすらできない。
その程度の戦力にすらなれない。
≪魔女の雑貨屋さん≫から貰い受けた武器がなければまともに攻撃を当てることすら難しく、この程度の単純な作業を手伝うことすらもできない。
それではハチドリの言う通り、シオンの足手まといにしかなれないだろう。
「本当に、何もできないのか?」
爪が食い込むほどに拳を握りしめるアキトの口から漏れ出た言葉。
きっとブリッジにいる中でも近くに立つアンナやミスティ、そしてハチドリにしか聞こえなかっただろう。
「……むしろ、何故そこまで何かをしようとする? 自身にできないことを、それができる者に任せることの何が悪い」
適材適所という言葉もあるくらいなのだから、ハチドリの言っていることは間違いではない。
人間であるアキトたちにできないことをシオンという魔法使いに任せるのは決して悪いことではないだろう。
――だとしても、彼に全てを押し付けるのは正しいことなのか?
アキトが自らに問いかけたその時、場違いに軽快なメロディがブリッジに鳴り響く。
その出所はアキトの胸ポケットの中のマジフォンだ。
「!」
それに気づいたアキトはためらいなく通話を繋げる。
決して作戦中にするべきではない行動なのは承知しているが、今このタイミングにこの端末に電話が来たのは偶然ではないと直感したのだ。
『こんにちはミツルギ艦長さん。早速だけれどお手伝いさせてちょうだいね』
スピーカーを通じてミランダの声はブリッジ全体に行きわたる。
こちらに起こっていることを全て把握しているらしい彼女は挨拶もそこそこに本題に入った。
『今そちらで起きていることは、シオンのことも含めて把握しているわ。……随分と無茶をしているようね』
「俺たちはイースタルを援護したいと考えています。何かできることはあるでしょうか?」
『……あの子は、とてもいい人に出会えたようね』
喜ぶようなニュアンスを滲ませた声の後、アンナは冷静に「わからないわ」と答えた。
『長く生きているとはいえ、わたしはただの魔女。魔法のことはわかっても戦のことはわからない。……だから今あなたたちが何ができるかはわからない』
「そうですか……」
『でも、力を貸すことはできるわ……わたしではなく、わたしの娘だけれどね』
その言葉の直後、マジフォンの通話にわずかなノイズが入った。
『あーあー、聞こえてますかね? あたし、現地調査した魔女なんですけど』
ミランダとは異なる少女の声がスピーカーから聞こえる。どうやら複数人での通話に切り替わったらしい。
『あたしが〈ミストルテイン〉のみなさんをお手伝いします! ミランダおばあ様ほどの力はないけどやれる範囲で! あともう甲板にお邪魔してるんですけど攻撃しないでくださいね』
後半の言葉に慌てて甲板を見れば、確かに黒いマントをまとった人影が立っている。
黒いマントはもちろんだが、その手にある古めかしい竹箒が特に印象的だ。
いつの間に現れたのかなど気になることはあるが、今はそれよりも優先すべきことがある。
「早速だが、甲板上の君は何ができそうだろうか?」
『現状はこの戦艦を魔力防壁で守るとか? 大きさが大きさなので数分しかもたないですけど、土くれの腕程度なら防ぎきって見せますよ。あとはちょっとした攻撃魔法とかもいけます』
「あと、とりあえずジェムとでも呼んでください」と言う彼女に了承の返事を返しつつ考える。
今回あれだけの物資や知恵を貸してくれたミランダが任せるくらいなので、ジェムの能力に関しては疑わなくてもよいだろう。
〈ミストルテイン〉が防壁で守れるなら、ハルマたち機動鎧部隊をシオンの援護に向かわせることも可能になる。
しかし、それが最善かと言えば疑問は残る。
ハルマたちが闇の付近に行ったところでできることはほとんどないだろう。
「(今一番重要なのは、闇の中のグランダイバーの居所を探り当てること……なら!)」
魔女たちの協力を含め、現在利用できる全てを踏まえてアキトはひとつの策を思いついた。
おそらく時間をかけたところでそれ以上のものが出てくることはないだろう。
そう判断したアキトは、ブリッジメンバーと魔女たちに手早く策について説明する。
「艦長! それは危険すぎです! 最悪〈ミストルテイン〉が沈んでしまいます!」
説明を終えてすぐに悲鳴のような声で反論するミスティに対してアキトはあくまで冷静だった。
「それは理解しているが、これが最善だと俺は判断する。それにこのまま静観していてイースタルがグランダイバーを倒せなければ、どちらにしろ俺たちも終わりだ」
「それはそうですが……」
「ジェム殿。君はどうだろうか? ……おそらく君の負担が一番大きい」
『うぇっ!? えっと本音を言えばやりたくない程度には怖いんですけど……』
ジェムが消極的な空気を醸し出す中、「ふふふ」というミランダの声が割り込む。
『わたしはいい作戦だと思うわ。……ねえ、ジェム?』
『作戦はアリだけどあたしで務まるカナー、なんて……』
『宝石をケチらなければ大丈夫でしょ?』
『……おっしゃる通りで』
『と、いうわけだからジェムについては問題ないわ。そもそもその気になればさっきの自己申告よりいろいろできる娘だから』
少々強引にも見えたが、一番の肝になるジェムは問題ないと考えていいらしい。
であれば、作戦の実行は可能だ。
「ハチドリ殿。必要であればかごを開けて貴方を逃がすが?」
ミスティの言う通り、最悪の場合は〈ミストルテイン〉が落ちる作戦だ。
アキトたちよりも魔法やジェムの実力を理解してるミランダが大丈夫だと判断しているので、問題ないとは思うのだが、万が一ということもある。
「……シオン殿の真似事とは生意気だな。人間に心配されるほど弱くはない」
しかしハチドリは不機嫌そうにアキトの提案を突っぱねた。それから彼はマジフォンに向かって口を開く。
「ジェム殿。微々たるものだろうが、私も力を貸す。……末席とはいえ神の眷属の魔力だ、穢れに対しては相性が良いだろう」
『ホント? 助かる! 細かいコントロールはこっちでするから、魔力回すのに集中してね』
「心得た」
ジェムと話を進めるハチドリにアキトたちは驚く。
「……アンタ、鳥かごにいろいろ封じられてるんじゃないの?」
「封じられているのは"鳥かごから逃亡しようとすること"だ。逃げる意思がなければ多少できることもある」
「だとしても、どういう心境の変化よ?」
ここまで戦うことに消極的な態度しか見せていなかったハチドリの急な協力の申し出。
アキトたちからすれば驚くことしかできない変化だ。
「逃げろと言ってもこのバカな男は聞く耳すら持たない。そんなバカ者でも見殺しにするわけにはいかぬし……軍神でもあるウィツィロポチトリ様の眷属として、戦う覚悟を決めたものを無視するわけにはいかん」
だから、仕方なく協力するのだとハチドリはそっぽを向きながら言った。
本当に仕方なしになのか照れ隠しなのかはわからない。
ただこの状況で、力を貸してくれるということだけでアキトにとってもこの上なくありがたい。
感謝の言葉を告げれば余計に顔を背けられたが、アキトの気分は悪くない。
「ミスティ。策は実行するが異論は?」
「……ありません」
「他のメンバーもいいな?」
不満そうではあるがミスティは頷いてくれた。
他のブリッジのメンバーは、力強く了承の返事を返してくれる。
ならばアキトにためらう理由はない。
「――これより〈ミストルテイン〉は謎の闇に対して突撃する!」




