序章-会議は踊る-
シオンが人類軍への協力を約束してから時間にして一時間程が経過した頃、シオンはアキトとアンナと共に地下施設の一角を早足で移動していた。
通路を行くシオンの服装は先程までの拘束衣姿ではなく、人類軍の正規の軍服姿に変わっている。
「俺がこの服着ることになるとは……」
「悪くないじゃない。案外似合ってるわよ」
協力を約束してすぐに押し付けられた軍服はサイズもぴったりで、シオンが協力する前提で話をする前から用意されていたらしい。なんとも準備のいいことだ。
「個人的には軍服より技術班向けの作業着がよかったんですが……」
「その軍服は君が人類軍の協力者であると明示するためのものでもある。そこは我慢してもらうしかない」
「イエッサー。少なくとも拘束衣よりは窮屈じゃないのでひとまずこれで良しってことにしときますよ」
そもそも拘束衣で施設内をうろつくのは目立って仕方がない。一方軍服姿であれば、シオンが先程騒ぎになった脱走異界人だと知らない人間相手なら通路ですれ違った時に特に不審がらないので楽は楽だ。
「で、俺たちは今どこへ向かってるんですか?」
「この施設の指令室……現在この島で一番重要な場所よ」
「……俺が言うのもなんですが、協力約束したからってすぐにそんな部屋に俺を入れるのって危なくないですか? 俺がそこで暴れたらどうするんです?」
「暴れるの?」
「暴れませんけど、常識で考えて怖くありません?」
シオンが気まぐれに、もしくは計画的に約束を破って指令室で暴れようものならこの島の指揮系統は滅茶苦茶になりかねない。相当リスクがあるのではないだろうか。
「ここまで来た以上隠さないが、君が眠っていた間に状況はかなり切迫している」
「は? 確かにかなりの数のアンノウンは出てましたが、ここに引きこもってればそこまでヤバイ展開にはならないと思うんですけど……」
「そのはずだったが……詳しくは指令室に到着してから話そう」
早足で前を行くアキト。その様子から彼の言葉が嘘ではなさそうだというのは察することはできた。しかしシオンとしてはそれよりも気になることがひとつある。
「あの、その“君”っていう呼び方やめません?」
「何故だ?」
「俺って今後貴方の部下、という名の監視下に置かれるわけでしょ? そんな俺相手に丁寧な対応とかしなくていいじゃないですか」
「君の出自の都合多少の制限はあれど、あくまで我々の関係は君の人権も尊重した上での平和的な協力関係のはずなんだが?」
「その関係を面白く思わない人も多い……というか正直ほとんど面白く思わないでしょ?」
人類軍の大多数は人外や《異界》に対しての敵意が強い。拘束時の女性軍人などが特にわかりやすい例だ。
そういった人々は最高司令官の決定である以上表には出さないだろうが、シオンが協力者として人類軍にいることを確実に不満に思うはず。そんな人間たちの前でアキトがシオンの人権などをしっかり守って丁寧に扱っている様子など見せれば、彼に対する不満も出てくるだろう。
アキトに身柄を預かられているシオンとしても、そういう余計な火種は御免こうむりたいわけだ。
「雑に扱うくらいがちょうどいいでしょ。その方が、貴方が俺の手綱をちゃんと握れてるって感じが出るし」
「……なるほど」
シオンの言い分に思うところもあったのかアキトは足を止めないまま少し考えている。
一蹴されても仕方ないような要望だったのだが、彼はちゃんとシオンの言い分を受け止めてくれているのだ。それ自体、この時世の人間としてはかなり稀有なことだろう。
「わかった。では以降は“君”ではなく“お前”と呼ぼう」
「何ならもっと口調も砕けていいんですよ? 俺のが年下ですし」
「悪いがそこまでフレンドリーに接するつもりはない。俺はアンナや最高司令官ほどお前を信用していないからな」
「えー」
こちらを見ないアキトに対して抗議の声を向けていると、後頭部を軽く頭を引っ叩かれた。誰の仕業かといえば、会話に参加していなかったアンナである。
「その辺でやめときなさい。……アキトも気を付けなさいよ。もっともらしいこと言ってたけど、この子の本音は「堅苦しいのがだるい」とかそんなもんなんだから」
「ちょっ、教官ホントのこと言わないでくださいよ! あ、ミツルギさんの目が冷たい……!」
シオンを見るアキトの目に敵意や悪意はない。純粋に「コイツは馬鹿なのか?」という意味のこもった呆れの目である。ある意味で敵意や悪意よりも辛いタイプの視線だ。
「……ふざけるのもここまでだ」
気づけば一際大きな扉の前に一行は到着していた。問題の指令室への扉を前に、さすがのシオンも少し気を引き締め、中へと足を踏み入れたアキトに続いた。
***
アキトは先頭に立って指令室に足を踏み入れつつ、室内の緊張を肌にしっかりと感じ取っていた。
シオン本人も言っていたことだが、普通に考えるのであればこのタイミングでシオンをこの部屋に招き入れるべきではない。そんなことは、アキトはもちろんこの部屋にいる全ての人間が理解している。
それでもこうしてシオンをこの部屋に入れたのには、それだけの理由がある。
「では、必要な人間が全員揃ったところで作戦会議を始めるとしよう」
シオンですら多少警戒するように気を張っている中、唯一緊張を全く感じさせないクリストファーが口火を切ると、指令室のディスプレイに地図といくつかの映像が映し出された。
「地上では引き続き無数のアンノウンが闊歩している。とはいえ、このシェルターに籠城しつつ救援を待てば問題ないはずだった。……だが、数時間前に状況が変わってしまった」
「……そうみたいですね」
まだ説明はしていないがそれの映像はすでに映し出されている。シオンは映像を確認しておおよその事情を把握してくれたようだ。
「大型アンノウンの出現。それに伴って現在この島はかなり切迫した状況に立たされている」
その出現はかなり唐突なものだった。
シオンを拘束し、その処遇についてクリストファーやアキト、上層部の人間が集まって話し合っている最中に、工業施設の密集する区画に発生した一際大きな空間の歪みからそれは現れた。すでにアンノウンの出現は落ち着き空間の歪みも観測されなくなっていたタイミングでの緊急事態に、ただでさえシオンの一件で慌ただしくなっていた基地の内部がさらに混乱したことは言うまでもないだろう。
サイやゾウなどに似ている四足歩行で重量感のある獣型のアンノウンはサイズにして三〇メートル程度。大型アンノウンとしては今まで観測されてきた中でも小さな部類に入るだろうが、それでも十分に大きい。
工業施設の多くは湾岸部に集中していたためこの中央管理塔からは離れているが、あの巨体が中央まで進出して本気で暴れるようなことがあれば、地下シェルターの内部まで被害を受ける可能性は十分にある。
この巨大な脅威の存在があったからこそ、シオンはこの指令室まで招き入れられたのだ。むしろこのアンノウンが出現していなければ協力要請すらもしなかったかもしれない。
「……コイツは本格的にヤバイ感じがしてきましたね」
「何がそこまで危険なんだ?」
「大型アンノウンなんてそもそもこの十年で観測例は五百に届くかどうかくらいのレアもの……そんなのがこうもタイミング悪く現れるなんてちょっと運が悪すぎます」
「……今回の件は偶然ではなく、《異界》側の意図した攻撃だと?」
アキトの発言で指令室にいた人間たちに動揺が走った。
シェルターで話に出た可能性。大型アンノウンの出現が普通ではないというのならそういった作為的なものであると考えるべきだろう。
しかしシオンはそれを否定せず、肯定もしなかった。
「正直わかりません。俺があっちの立場ならこんな島よりもっと重要拠点とか狙うと思いますし」
「確かに、この島よりも戦略的な価値の高い場所はいくらでもあるだろうね」
空間転移などということが可能でアンノウンたちを任意の場所に送り付けられるのだとすれば、確かにこの島よりも人類軍にとって重要な土地――極論、人類軍本部を狙うのが一番効果的なのは間違いない。戦略的な観点から見れば大した価値のないこの人工島を狙う理由は見当たらない。
「……いっそ攻撃だった方がマシなんですが」
「どういう意味だ?」
「いえ、それより今は目の前のデカブツです」
話す気はないと態度と言葉で示すシオン。気にならないわけではないが確かに優先順位は低いので彼の言葉に従う。
「幸い、出現してから今に至るまで大型アンノウンが自ら動く様子はない。だが、ヤツの影から小型や中型の個体が出現しているのが確認されている」
「あの外見でメスですか……」
「アンノウンに性別が?」
「いえ、俺がアンノウンを生み出せるやつを勝手にそう呼んでるというか……区別の為になんか呼び方あった方がいいじゃないですか」
シオンがアンノウンについて話をする時、アキトには気にかかっていることがある。
彼の話し方はほとんどの場合、伝聞調だ。そしてその次に多いのが自身の解釈や経験をもとにした内容。恐らく本人は特に意識しておらず、無意識の内にその喋り方をしている。
そこから導き出される結論としては、シオン自身アンノウンについては他人から聞いたこと、そして自身が実際に見たことしか知らないということ。そして彼の《異界》についてほとんど知らないという話に嘘偽りがないとすれば、彼の知るアンノウンの情報をそのまま信用することはできないということだ。
シオンの協力の意思とはまた別のレベルで、そもそも彼が知らない情報や彼自身が思い違いをしている可能性がある。
「(だが、それ以上に問題なのは……)」
表示された大型アンノウンの映像を注視しているシオンを注意深く見つめる。それは些細な変化、嘘や誤魔化しの気配を見逃さない為だ。
「あのデカブツの情報ってどの程度あります?」
「あ、ああ。センサー類での調査は行っているが、サイズと外見的特徴程度が限界だな。対処する為にはもっと情報が欲しいところだが」
通常、大型のアンノウンが出現した際には無人機などを使用して簡単な攻撃手段の調査なども行うのだが、現在その余力はアキトたちにない。
シオンの知識を借りればあるいは、と思っていたのだが、そう簡単にはいかないらしい。
「お前の知識で補える情報はないか?」
「言っておきますけど、俺はアンノウンとの戦闘経験はそんなに多くないですからね? 生身で対処できるのなんてせいぜい中型までですし……」
「大型のものと戦ったことはないというわけか……」
「ゼロでこそないですけど、そもそもそうポンポン出てくるもんでもありませんから」
残されていた唯一の情報源であったシオンもダメとなれば話は振り出しに戻ることになる。変わらず大型アンノウンの情報は無しというわけだ。
「……でもまあ、軽い様子見くらいなら、なんとかしましょう」
この後どうすべきかを考え始めていたアキトの前でそんなことを口にしたシオンは、おもむろにしゃがみこむと自身の影に手をつく。何をしているのかを尋ねようとアキトが口を開くよりも、彼の影がぐにゃりと歪む方がわずかに早かった。
急な怪奇現象に会議室に集まっていた兵士たちがどよめく。どよめくだけであればまだよかったが、それ留まらず武器に手をかけている兵士も少なからずいる。そんな兵士たちを制止しようとアキトが声を上げようとしたその時。シオンの影から黒い影が三つ飛び出した。
飛び出したソフトボール程度の大きさの三つの影は二メートルほど飛び上がってから重力に従って地面に落ちたかと思えばボールのように軽く弾み、最後にシオンの頭と両肩にそれぞれ着地する。
「……は?」
シオンの上に乗っているそれらは、“なんだかよくわからないもの”だった。
見た目はソフトボール程度の大きさの丸みのある身体に、豆粒のような小さな一対の目がある。足どころか耳や鼻、口すらも見当たらない。三体はほぼ同じみためだが、よく見るとわずかにサイズが違っている。
例えるなら小さな子供が書いた落書きのような、そんななんともよくわからない、ぬいぐるみのようなモノだった。
「イースタル、それは……なんだ?」
「昔たまたま見つけて使い魔にした幽霊……要するに手下ですね」
「なかなか可愛いでしょ?」と笑うシオンに何とも言えない沈黙が流れる中、事の発端である彼は満足気にも見える。この使い魔を呼び出す過程でアキトや指令室にいる人間たちを驚かせることは彼の思惑通りの展開だったようだ。
「イースタル……口をしっかり閉じておけ、舌噛むぞ」
「は?」
疑問符を飛ばしたシオンに対してアキトは振り上げた拳を脳天に落とした。いわゆる拳骨である。
見事にそれをくらったシオンはというとその場でしゃがみこんで悶絶している。ちなみに彼の頭や肩に乗っていた使い魔はアキトの拳が振り下ろされる前に飛び退いており、今は悶絶するシオンの周囲であたふたしている。
「お前の性格はここまでの会話でなんとなく理解した。しかし余計な混乱を招くようなイタズラをするのはやめろ」
「よ、容赦ない……」
「雑に扱えと言ったのはお前の方だからな」
頭をさすりながら立ち上がったシオン。その姿は悪ふざけを叱られた子供でしかなく、どこにでもいる普通の少年のように見える。
それが演技なのか本当の姿なのか、アキトにはまだわからない。
人類軍から見たシオン・イースタルは“異能の力を扱う自称人間”であり“《異界》やアンノウンの知識を持つ協力者”そして“要警戒対象”である。にもかかわらず彼の振る舞いはどこまでも普通の少年のものだ。
表情豊かで、時にふざけ、自由気ままなどこにでもいるような少年。
いくら最高司令官と直接約束を交わしたとはいえ人類軍に囲まれ、いつ命を狙われてもおかしくないこの場にあってもそれは揺るがない。
そういった振る舞いが、純粋に世間を知らない少年の馬鹿な振る舞いであったなら別に構わない。そうであればアキトにとっても彼を御しやすいので、ありがたいことだ。
しかし、シオンはそうではないとアキトは確信している。
シェルターで言葉を交わした時のこともそうであるが、ここへの道中に話したこと――雑に扱えと自ら言ってきたことで完全に理解した。シオンは頭の回転が速い。しかも、どちらかと言えば悪知恵が働くタイプの人種だ。
彼は自身が今、自分を殺そうとしている人間たちの真っ只中にいるのだと正確に理解している。だからこそ、アキトがシオンを制御できているように周囲に見せつけて、余計なトラブルを事前に防ごうとした。今目の前で頭を抱えて痛みに悶えて見せたのも、アキトと自身の力関係を周囲に見せつけようとしていた……のかもしれない。
厄介なことに、間違いなくずる賢い人間だとわかっているにもかかわらず、今の言動が計算の上でのものなのか、深く考えずに出てきたものなのか判別がつかないのだ。
目の前のまだ幼さを残した少年の実態が掴めない。それが最大の問題だ。
アキトは見せかけではなくシオンの手綱を握り、制御しなければならない立場にある。このまま彼に翻弄されているわけにはいかない。今の使い魔とやらのこともそうだが、おそらくシオンはまだこちらに晒していない手札を複数隠していることだろう。でなければいくら頭の回転が早かろうとここまで余裕のある態度を保つことなどできはしない。それもまた暴いていかなければならないだろう。
「(……厄介な役目を与えられたものだな)」
若干涙目のままこちらを見上げている少年――否、人間を名乗ってはいるが性格的には悪魔や狐のようなものだろう。
そんな、一見あどけなく見えるような幼さ残すシオンを前にアキトはため息を吐きたい衝動に駆られたが、他のメンバーの手前それをこらえて、あくまで落ち着いた態度のままシオンに尋ねる。
「それで、その使い魔とやらに何をさせるつもりだ」
「偵察です」
察しはついていたが、シオンの答えは簡潔だった。しかしこのよくわからない上に頼りなさそうなモノに偵察をさせると聞かされてはいそうですかと受け入れられるかは別問題だ。
「一応聞いておくが、それらは頼りになるのか?」
「見た目はこんなんですけど、結構頼りになるんですよ?」
シオンの言葉に、指令室の全員の目が使い魔たちに集まった。しかし当の使い魔たちは注目を浴びたことに驚いたのか身を縮こまらせている。残念ながら頼りになりそうには見えないが、他に手段があるわけでもない。
「……まあいい。なにもないよりはマシと考えよう」
「了解しました。それじゃあ頼んだよ」
シオンにそう告げられた使い魔たちは軽やかに彼の肩から飛び降りたかと思えば、シオンの影に吸い込まれるようにして消えた。まるで水面に飛び込んだかのように消えてしまったこと一同が息をのんだが、元々突然現れたのだから突然姿を消すことができても不思議ではない。それに、今後シオンを従えなければならないアキトは、最早この程度で驚いている場合ではないだろう。
「あの子たちが戻るまで動きようもなくて暇なわけですけど……食べ物とか飲み物とかありません?」
「あるわけがないだろう……」
「いや~、冷静に考えると卒業式の直前に食べた朝ご飯以来何も食べてないっていうか……」
「…………?」
じっとこちらを見つめてくるシオンだが、アキトはその意図がわからない。意味もなく見つめ合うという謎の状況は三〇秒程続き、最終的にシオンのため息で終わりを迎えた。
「ここまで腹ペコアピールしてるんですし、何か用意させるとか、食べてきていいって指示してくれるとか、ないですかね?」
「この緊急時にそんなことしている場合か? それに、俺もお前とほぼ同じ状況だぞ」
「はぁ⁉ 俺はまだしもなんでミツルギさんまでそんな状況なんですか⁉ 偉い人が体力切らして倒れたら最悪じゃないですか‼ 誰かこの偉い人に食べ物持ってきてくださーい‼ ついでに俺の分もよろしく」
わざとらしく口元に両手を添えて大声で騒ぎ出すシオン。馬鹿らしい行動ではあるのだが、なまじアキトという上官を引き合いに出されたせいか一部の兵士が本当に用意すべきなのではないかとそわそわし始めている始末だ。
指令室の空気はシオンの行動のせいで急激に緩みだしている。アキト自身も依然として危険な状況であると理解しつつも、身構えて緊張しているのが馬鹿らしくなってきているほどだ。
それにシオンの意見も間違いではない。人手の足りている下級の兵士たちはともかく、アキトを含め今この指令室にいるメンバーの中にはこの十数時間ずっと気を張ったままでいた者も多い。それを思えば、せめてこの一時間の間に軽い食事を取るくらいの休憩は取っておくべきなのかもしれない。
「――ふざけないで‼」
ローテーションで休憩を取るようにアキトが指示を出そうとしたのと、そんな怒声が指令室に響き渡ったのはほぼ同時だった。
声の主は細いフレームのメガネをかけた理知的な女性、ミスティ・アーノルド。拘束中のシオンの監視を任されていた女性である。
「先程から聞いていればふざけた言動ばかり……ここは遊び場ではないのよ!」
苛立ちを隠さずに真正面からシオンに言い放つミスティ。その顔はこれ以上ないほど怒りに染まっている。しかしシオンの方はそれに対して反論するでもなく、どこか不思議そうな顔でミスティのことを見返していた。そんなシオンの態度により、余計にミスティの苛立ちが増していくのが傍から見ているアキトにも手に取るようにわかった。
彼女は荒々しくシオンから顔を背け、事態を静観していたクリストファーの方に向き直った。
「ゴルド最高司令官。失礼を承知で申し上げますが、私は彼を協力者として迎え入れることには反対です!」
「ふむ、確かに少々緊張感に欠けるが、未知の領域であったアンノウンや《異界》の情報を得られる絶好の機会。軽率に逃してしまうのは勿体ないと思わないかね」
「おっしゃることはわかります。しかし――他人の心を読むバケモノを生かしておくなど危険すぎます‼」
最後の言葉は叫んでいるのと同じだった。怒りと、それ以上の恐怖が込められた叫びだった。
彼女の言葉にクリストファーすら何も返すことなく、しばしの沈黙が流れる。
「あああああ!」
その沈黙を破ったのは、ここまでミスティに何を言われても反応を示さなかったシオンの叫び声だった。彼はそのままミスティのことを指差し、口を開く。
「アンタ、あの時の監視の女軍人さんか!」
口にしてから納得したようにうんうんと頷く彼は、どうやらミスティが自身を監視していた人物であることにようやく気づいたらしい。
「白々しい。心を読めるくせに今更何を言っているの」
「ん? あー、あれか……」
冷ややかな視線と言葉を向けてくるミスティに対して、シオンはというと困ったように渋い表情をしていた。向けられている敵意についてはまったく気にしている様子がない。それからしばらく唸ったシオンは、やがて諦めたように。
「こう言うのもあれなんですけど、もしかして軍人さんって騙されやすいタイプ?」
「……なんの話をしているの?」
「いや、だって、俺、本当は心とか読めないし」
シオンの言葉に、再びの沈黙が訪れた。あれだけ怒りを隠さず表情に出していたミスティも、その発言に豆鉄砲をくらったような顔をしている。
「馬鹿なことを言わないで。アナタはあの時私の心を読んだでしょう!」
「いやいや読んでないですよ。俺、そっち方面は完全に専門外だし」
「嘘よ‼ あれだけのことをしておいて今更恍けようとするなんて……!」
否定を続けるシオンとそれを取り合わないミスティ。どう考えても平行線をたどるしかない問答に対して、アキトはふたりの間に割って入った。
「ミスティ、一度落ち着いてくれ」
「ですが!」
「先に伝えておくが、私もイースタルに心が読めるとは思っていない」
ミスティに対してはっきりと告げれば、目を見開いた彼女は言葉を失った。
「君の報告を受け、私なりに警戒しながら彼との対話に臨んだが、会話の中で心や考えを読まれたようなことはなかった」
実際、シェルターでの対話の中で先読みされたような様子なかった。何よりクリストファーの協力要請に驚いていた彼の様子はとても演技であるようには見えなかった。心を読むことで事前に考えを見透かしていたのなら、それはあり得ない。
「それは、このバケモノがそれすら読んでいたのでは……」
「疑り深い人ですね。……その割にはあのハッタリにはあっさり騙されてくれたみたいですけど」
「……ハッタリ、ですって……?」
おそらくはその通りなのだろう。
ミスティが心を読まれたという一連の会話は音声データが残っていたのでアキトも全ての会話を聞いている。その内容を改めて思い返せば、確かに“ハッタリ”であったとも考えられるのだ。
「まともに尋問する気なさそうなのは最初の言動で丸わかりだったし、研究施設送り云々は……まあ士官学校にいたんで研究施設があるって噂くらい知ってましたし、エイリアンとか人間じゃないものが軍の研究所送りになるのなんて映画や小説で百回は見たことあるようなベタな展開ですしね」
「だとしても、機体の在処のことは」
「いや、イースタルは「遠い所にある」としか言っていない。第四格納庫の名前も具体的な方向や位置も言ってはいなかった」
〈アサルト〉の在処を尋ねた後のシオンは、あくまでそれらしいことしか口にしていなかった。そこに具体的な内容はひとつも含まれていない。それに、その気になれば異能の力で手元に呼び出すことができるものの場所をわざわざ尋ねる必要などないだろう。研究施設の話で心を読める可能性を突き付けられたミスティや他の監視の兵士たちが勝手に第四格納庫のこと言っているのだと勘違いしただけなのだ。
シオンがそう思い込むように仕向けたことを考えれば必ずしも“勝手に”というわけではないのかもしれないが、とにかくシオンの読心術はとんだデタラメだったというわけだ。
「しかし、最初の研究施設についての内容を外していたら、その時点で破綻していただろう。考えが甘いんじゃないか?」
「別にいいんですよ。あれは単なるイタズラとか嫌がらせの類であって、騙せなくても脱走は簡単だったんで」
拘束を易々と外し、ネコの姿に化けて通気口から逃げ去ったことは紛れもない事実であり、脱走するだけであればミスティに対してあのような嘘をつく必要などまったくなかった。要するにあの嘘自体、どうでもよかったのだ。
あまりの事実とお粗末な動機を聞かされて呆然としているミスティには同情を禁じ得ない。やはり、目の前の少年はかなり性質が悪いもののようだ。
「……ひとまず話は終わりだ。ここまで不眠不休の者もいるだろう。これから一時間程度、交代制で休息を取るように」
何とも言えない状況に対して、アキトは終了と休息の指示を出した。
そもそも疲れを溜めていたであろう者たちにも、ミスティのようにたった今精神的に大いに疲れたであろう者にも休息が必要だ。
「(本当に、厄介なものを押し付けられちまったな)」
心の内だけとはいえ、口調が素のものになってしまっているのはアキト自身自覚している。そうなってしまう程度にはアキトも精神的に疲れていた。ミスティのことを心配している場合ではないのかもしれない。
休憩の指示出しを聞いて何か期待しているような眼差しで見上げてくる性悪を前に、アキトは心の中だけで大きくため息を吐いたのだった。