終章-穏やかな神域-
いつかと同じように一瞬世界が真っ白に染まったかと思えば、これまでとは真逆の穏やかな夜空が正面に広がる。
「なるほど、ちゃんと空に繋がってはいたんですね」
眼下には小さな山とその上にある神社のような場所。
『……本当に月守神社にそっくりだな』
『そっくりも何も、丸っきり再現してるもんだったはずだから、違ってるほうがおかしいってもんだ』
「そういう話はコヨミさんにでも聞けばいいよ。とにかく降りるよ」
そうハルマたちに声をかけてから、シオンは〈トリックスター〉を異空間にしまいこむ。
〈トリックスター〉のみが突然消えた形になるので搭乗していたシオンは当然そのまま自由落下するのみだ。
魔法ありきの一見無茶苦茶な降り方ではあるが、シオンが言うまでもなく朱月やソードはもちろんハルマやアキトも当然のように続いている。
それなりの高さから降りつつも軽やかに着地してから周囲をざっと見渡して、すぐに違和感に気づく。
「……全然荒れてないとか完全に想定外なんだけど」
世界は今、本来の穢れを封じ込める機能が破綻してしまった【禍ツ國】から溢れてくる穢れによって大いに荒れている。
となれば【禍ツ國】はもちろん【月影の神域】もまた大いに荒れているのが自然だ。
しかし今目の前に広がる【月影の神域】の状態はシオンがこれまで何度か訪れたときと変わらないように見えるし、不穏な気配も特別感じられない。
何もおかしくないことがあまりにも不自然なのだ。
「俺様はてっきり、ここに魔物に成り下がったトウヤの坊主がいると思ってたんだが……」
「同感。ここにくればトウヤもコヨミさんもどっちもいるだろうからまとめて助け出そうって思ってたんだけど」
しかし魔物に堕ちたはずのトウヤの気配はない。完全にシオンの見立てが外れている状況だ。
「ん? でもあそこ、誰か倒れてるぞ!?」
ハルマの指さす先にあるのはこの神社の本殿と思しき一番大きな社だ。
その階段を登ってすぐのところに、確かに倒れている人影がある。
それが誰かなど、考えるまでもない。
「コヨミ!」
一番に駆け出した朱月は鬼の膂力を最大限活用してあっという間に彼女のそばに辿り着いた。
一拍遅れたアキトとハルマも彼女の――自分たちの母の下へと、すぐに向かう。
「……見たところ、眠っているだけみたいだな」
「本当に生きてたんだ」
自分に言い聞かせるようなハルマの呟きは微かに震えている。
死んでしまったと思っていた母との再会となれば込み上げてくるものがあってもおかしくはないだろう。
感動の再会と言える状況ではあるのだが、トウヤがいないという想定外のせいもあってシオンは素直にそれを喜べない。
「……とりあえず、コヨミさんを連れ出す準備はしましょう。ソードさん、お願いできますか?」
『私ヨリ、彼ラニ任セルベキデハ?』
「俺はあなたが適任だと思ってますよ」
「……確かに。少なくとも俺とハルマは手を空けておくべきでしょうし」
アキトとハルマはこれから“封魔の月鏡”の書き換えを行う必要がある。
実際に動くのはどちらか一方だけでも構わない想定だが、何か問題が起きたときのために両方フリーであるのが好ましい。
「嫌なら俺様がコヨミの面倒見てやるが?」
『……イヤ。引キ受ケヨウ』
朱月が立候補した途端にソードはあっさりと折れた。
彼はそのまま大きな体で、とっても注意深く、優しくコヨミのことを横抱きにする。
「――ん?」
その瞬間、ほんの少しだけシオンは違和感を覚えた。それはシオンに限った話ではないようで、朱月やアキトたちもキョロキョロと周囲を見回している。
「今一瞬、なんか気配がしたような気がする……?」
「ああ……しかも穢れの気配だったぜ」
今この場所で穢れの気配がしたというのなら、それが魔物となったトウヤのものであろうことはすぐに推測できる。
つまりまだ彼はここにいるということなのだろうが、どこにいるのかはやはりわからない。
「……多分、コヨミさんを連れ出そうとしたから反応したんだと思うけど」
トウヤは何よりもコヨミのことを大事にしていた。その心は魔物に成り下がった今でもなお残っているのだろう。
そうでもなければ魔物堕ちと同じ空間にいたコヨミがこうして無事であるはずがない。
「こうなったら辺りを探し回るしか――」
「いえ、その必要はないわ」
シオンの言葉に応じたのは突入してきた五人の誰とも違う、女性の声。
「……母、さん?」
アキトの視線の先で、ソードの腕の中にいるコヨミは瞼を開いて金色の瞳を覗かせている。
「母さん!」
弾かれたようにコヨミのそばに駆け寄ったハルマが、縋り付くようにコヨミの手を握る。
「あなたは、ハルマなのね。ふふ、イッセイさんにそっくり……大きく、なったのね……」
目の前にいるハルマのことをちゃんと見つめながらコヨミは微笑む。
弱々しくはあるが、意識はそれなりにはっきりしているようだ。
「おい、コヨミ。……なんでお前起きられる?」
「どういう意味だよ、朱月」
「言葉通りの話だ。この神域が妙に静かなのもそうだが、【禍ツ國】がこんだけ荒れてるのにコヨミが無事ってのもおかしい」
コヨミは現在の“封魔の月鏡”の核となっている存在。
【禍ツ國】が乱れれば当然彼女にも影響が出るし、実際それが原因でこの数年何度も眠りについてきたと本人からも聞いた。
であれば、【禍ツ國】成立以来最大級に荒れていると思われる現在、彼女が目を覚ますことができるとはとても思えない。
「……あの子が、トウヤが、穢れを引き受けてくれてるの」
「トウヤが?」
「多分、あの子は魔物になった。それで穢れを自分に集めてる」
本来、【禍ツ國】に集められた穢れには“封魔の月鏡”が対処する。
しかしそれより先に穢れが魔物に堕ちたトウヤが穢れを吸収してしまうことで、結果的にコヨミの負担が減っている、と考えれば確かに筋は通る。
「それで、問題のトウヤとやらはどこなんだ?」
「あそこ、よ」
コヨミが指さしたのは先程まで彼女が横たわってた本殿の、さらに奥の扉。本殿の中にトウヤはいるのだという。
「……本当に、あそこにいるのか?」
アキトが疑うのも無理はない。「あそこにいる」とコヨミに言われて意識を向けてもなおトウヤの気配が全く感じられないのだから。
「気配を殺してるんだとしてもここまで消し切れるもんか?」
「それは正直わからないけど、今はそんなことどうでもいい」
どうあれトウヤの居場所がわかっているのだから、シオンのすべきことははっきりしている。
「とりあえず、俺以外はできるだけ本殿から離れてください」
「……大丈夫なのか?」
シオンひとりで魔物堕ちしたトウヤと対面しようとすればアキトから心配そうな声が投げかけられる。それに対してシオンはなんでもないように微笑みを返してやる。
「準備はしてきてますから大丈夫ですよ」
「……信じるからな」
不安がなくなったわけではないだろうが、アキトはシオンの指示を受け入れてくれた。
ハルマもまた同じように不安そうな様子を隠せていないが、朱月に促されてコヨミを抱えたソードと共に離れていく。
そのとき、ほんの一瞬だけコヨミと目が合ったので、シオンはしっかりと頷いてみせておいた。
「(元々、そういう約束だったしね)」
――トウヤのことを助ける。
コヨミに約束したことであり、シオン自身が望むことでもある。
「さて、とにもかくにもさっさと始めよう」
本殿の扉の前に立ったシオンは、躊躇なくそれを開け放った。




