終章-穢れの集う世界-
真っ黒な穴に飛び込んだ先は見た目通りの暗闇。
しかも暗視モードのあるはずの機動鎧のカメラすらまともに周囲を映せていない以上、単純な暗闇ではないのだろう。
「(というかもう、今の世界の理から外れててもおかしくないか)」
ここより先は【禍ツ國】。
神秘が満ちていた時代の大魔法によって生み出された、ひとつの異なる世界とも呼べる場所。
シオンたちが生きてきた世界と同じであるはずもない。
そんな結論を出したところで、唐突に視界は暗闇とは全く別のものへと変わった。
変わった後の色は、黒と赤。
周囲は夜のように暗く、しかしあちらこちらで燃え盛る炎が夜闇を赤く照らしている。
『ここは……日本の田舎町、とかじゃないよな』
ハルマが戸惑うのも無理はない。シオンにもまさにそのように見えている。
しかし次の瞬間――それこそ瞬きをした間に、周囲の様子は様変わりしていた。
『……ここはどこかの大都市? しかも日本ではなさそうだが』
アキトが言うように、先程とは打って変わって巨大なビルのようなものもあるし、どうにも日本の街並みとは程遠い。
しかし、おそらくそんなことは考えるだけ時間の無駄なのだろう。
『日本だの外国だのは関係ねぇだろう。ここは【禍ツ國】なんだからな』
『それはそうだろうが、【禍ツ國】はそもそも遥か昔に作られた空間だろ? 何故俺たちに見覚えのあるような街並みがある?』
『俺様が知ったこっちゃねぇよ。シオ坊、心当たりは?』
「……穢れにくっついてきた残留思念とかそういうものが形になったもの、みたいな感じじゃないかと」
【禍ツ國】は世界中から穢れを集めるために存在する空間。
基本的には穢れのみを集めているはずだが、そもそも穢れは生き物の精神から生み出されるもの。
精神と深く関わっている記憶などが穢れと共にこの世界に渡ってきていてもおかしくはないし、定まった形を持たない穢れが溢れる場所にそういった情報が数千年積み重なれば、何かしらの形を生み出すこともあるかもしれない。
『ドウニモ、気持チノイイ風景デハナイガ、ソノ仮説ガ正シイノナラ無理モナイ、カ』
穢れとは人の負の感情から生まれいづるもの。
ここに広がるのはそうした負の感情――怒りや悲しみ、絶望などの記憶と紐づく風景なのだろう。
「人間同士の争いの産物なのか、アンノウンにもたらされた破壊の結果なのか……まあどちらにせよ人の業の結果ってことにはなるんでしょうね」
『……悲しいことだな』
「ま、そういう感傷は置いておいて。警戒してください」
シオンはもう思い出している。
全く同じではないにしても過去にこの場所を訪れたことがあり、その時にどういうものに遭遇したかの記憶も蘇ったのだ。
「下に、ちょっと厄介なモノがいますから」
眼下に広がる地獄の中を蠢く影が複数。
頭、胴体、腕、脚といった人間の身体を構成するパーツを揃えていながらも、それぞれの大きさはめちゃくちゃなもので、そのシルエットは歪であるとしか言いようがない。
『……なんだよ、あれ』
「基本的にはこの辺りの風景と同じようなものだよ」
穢れと共にこの地に集められた記憶のかけら。
それらは生き物の――特に人間のものなのだから、風景ではなくそれを記憶した人間たちもまた形作られたとしてもおかしくはない。
『幽霊とか、そういうものってことか?』
「それよりもっと虚ろで歪つ、かな? だって魂がないんだから」
幽霊であれば、あくまで魂はそこにある。しかし眼下を蠢く人影たちにはその気配が感じられない。
【禍ツ國】はあくまで穢れを集める場所であり、それらと共に別のものが集まってしまったとしてもほんのわずかな記憶や残留思念がせいぜいだ。
魂がこの場所にやってくることはなく、ただ穢れを生み出すに足る記憶や残留思念だけが奇しくも形を持って独り歩きしてしまっているだけなのだろう。
『穢れで形作られたモノって意味じゃ魔物どもと同じはずなんだが、ありゃあもう別の何かだ』
「……魔物は、なんだかんだこの世の理の範疇の存在だからね」
魔物たちは純粋に穢れのみで形作られる存在。対して蠢く人影たちは記憶という不純物を含んでしまっている。
そういう意味では生き物が後天的に至る魔物堕ちに近いようにも思えるが、そちらと比べた場合魂を持たないという点が決定的に異なってしまう。
魔物でも、魔物堕ちでもなく、おそらく【禍ツ國】という環境でしか発生し得ないモノ。
自然界では決して生まれることはないはずだった理外の存在。
「(そういう意味では、トウヤもそうなっちゃうのか)」
この【禍ツ國】でなければ誕生し得なかった、世界にとってあり得ない存在。
あの心優しい少年を眼下で蠢くバケモノたちと同じだなんて思いたくはないが、客観的に見ればそういった分類になってしまうということもわかってはいる。
世界にとって危険な存在であることもまた、理解している。
――それでも、シオンはトウヤをひとりの子供として助け出すのだけれど
「とりあえず、あれらは空とかは飛べないみたいですから無視しましょう。早いところ【月影の神域】に行って全部片付けてこんな場所からおさらばです」
『それはいいんだが、問題の神域はどこにある?』
眼下に広がるのは、少し移動するごとに変化する地獄絵図のような光景ばかり。
とてもではないが“神域”などという名前が付けられているような場所は見当たらないのだからアキトの疑問はもっともなものだ。
『それらしい気配を感じないわけじゃないんだが……どうも曖昧な印象だ』
『俺様もだな。シオ坊はどうだ?』
「……残念ながら、俺もいまいちわからないかも」
しかも、初めて訪れたときを除けばシオンはいつも【月影の神域】に直接招かれていた。
そのため「どこにあるか」や「どうやって行くのか」という情報は持っていない。
ひとつ心当たりがあるとすれば鳥居が入り口になっていることくらいだが、それを上空から見つけるというのはなかなか難しそうだ。
『……ソレニ関シテ、心当タリガアル』
『ソードさん……?』
『ソモソモ、神域ハコノ地ト地続キデハナイ。集メラレタ穢レノ影響ヲ受ケナイタメニ、分タレテイル』
「そこはなんとなくわかってました。鳥居が入り口になる認識ですけど、俺たちが立ち入る方法は?」
『≪月ノ神子≫ガ念ジレバ道ハ開ケルハズダ』
「オーケー、アキトさんかハルマが行きたいって念じればいけるって感じですね」
『わかった。俺が試す』
曖昧で無茶振りとも言える方法ではあるが、アキトもハルマもいい加減そういったものには慣れてきているようですぐに受け入れてくれたらしい。
そうして少しの間を置けば、早速変化は訪れた。
「……なるほどこれはまあ、なんでもありですね」
シオンたちが機動鎧で飛行する正面。空中に突如として巨大な鳥居は現れた。
『……確かに念じれば現れたな』
「地上に降りるどころか機動鎧ごと行けちゃいそうで何よりです」
さすがに【月影の神域】に入った後は機動鎧を降りる必要があるだろうが、乗ったまま入れるのは好都合。
善は急げとばかりにシオンたちは巨大な鳥居を潜り抜けた。




