終章-立ち去ったモノのその後-
「――来てくれて嬉しいよ、朱月」
〈アイランド・ワン〉の中央に佇むタワーの最上階で、クリストファー・ゴルドはにこやかに朱月のことを出迎えた。
そんなクリストファーに笑い返すでもなく嫌がるでもなく「へいへい」と雑に応じた朱月はさっさと部屋の中にある応接用のソファーに腰を下ろす。
「ふむ、何やら不機嫌なようだね」
「不機嫌ってほどじゃねぇが、のんびり酒を飲むような気分ではねぇな」
「君が酒を飲む気にならないとなると、只事ではないね。……まあ、私もそんな気分ではないけれどね」
朱月から見れば普段通りに見えるクリストファーだが、今の世界の状況を考えればそれがただ普段通りに振る舞っているだけだと予想するのは難しくない。
「正直に言えば、私の危惧した事態になるよりも、私が動く方が早いものだと思い込んでいたよ」
「俺様も、“封魔の月鏡”が壊れるのはもう何年か先くらいの話だと思い込んでたさ」
朱月にしろクリストファーにしろ、“封魔の月鏡”がその内消えるものということは重々承知していたが、それは少なくとも今ではなかった。
朱月の見立てでは、それこそコヨミが限界を迎える数十年後。現在の世界の混乱を含めても数年後くらいのつもりだった。
クリストファーに関してもここまで早いという予想はしていなかったに違いない。彼が“封魔の月鏡”の破壊を急いでいたのは、あくまで時間が経てば経つほど穢れを溜め込んでしまうからに過ぎないのだから。
そんな二人の予想を見事に裏切った現状に、頭を抱えるなというほうが無理な話だろう。
「で、いつ動く」
「もちろん、準備が整い次第すぐだよ。〈アイランド・ワン〉自体はもう問題の反応に向けて移動しているしね」
流石にこのまま直行というわけにはいかないだろうが、準備ができたとなったらすぐに殴り込めるようにできるだけ近くにはいておこうという算段のようだ。
「少なくとも二十四時間はかけない。……そんなに悠長に構えてはいられないからね」
「んじゃまあ、それまで俺様は寝ておくか。〈アサルト〉の手入れは任せる」
朱月は腰掛けていたソファーにそのまま寝転がり目を閉じる。
「待っておくれ、その前にアキト君たちがやろうとしていたことを聞いておきたいんだが?」
「あ? 別にいいだろ。俺様たちはただ壊しにかかるだけなんだからなぁ」
「……ふむ……つまり話す気はないと?」
クリストファーの問いに朱月は答えない。それ自体が答えのようなものだ。
「……朱月、君、思っていたよりもあちらに未練があるんじゃないか?」
「だったらどうした?」
「味方をするふりして裏切られたら困ってしまうな」
「心配しなくてもそれはねぇよ。俺様はアイツらの考えが気に入らないんでな」
朱月はあくまでクリストファーの考えに乗る。むしろ、今となってはアキトたちの考えには反対なのだ。
クリストファーに詳細を話さないのも、年齢の割に柔軟でフットワークも軽いこの男が罷り間違ってもアキトたちの考えに賛成することがないようにするためでしかない。
「君が反対する方法か……興味はあるが、話してもらえないのなら仕方ないね」
とりあえず朱月が裏切ることはないと判断したのか、クリストファーはそれ以上質問をしてくることはない。
最後に「作戦の成功には君の存在が重要だ。ゆっくり休んでおいてくれ」と言い残して、丁寧にも部屋の照明を落として去っていった。
暗くなった部屋でソファーに寝そべったまま、朱月はふと立ち去る間際に分身を介して目にした面々の顔を思い浮かべる。
「邪魔はしにくる、だろうなぁ」
クリストファーがすぐにでも動くであろうことは事情を知っている者なら誰でもわかる。
そしてシオンやアキトたちがそれを止め、自分たちのやり方で片をつけようとするのも明らかだ。
「……サクッと壊しちまえりゃあいいんだがな」
朱月がさっさと“封魔の月鏡”を壊せてしまえば、あとはなし崩しで共闘することになるだけで楽だ。
しかしそれが上手くいかず状況が拗れてしまえば、その先どうなるかわかったものではない。
そのめちゃくちゃな状況下で、誰が何をやらかすかもわかったものではない。
「…………めんどくせぇ」
朱月の心のそこからの言葉は、誰に聞かれることもなく虚しく響くだけだった。




