序章-”対話”の時間-
アンノウンの殲滅からかれこれ三〇分ほどの時間が経過した。避難民も護衛の人類軍兵士たちも全員去ってしまったシェルターに、シオンと〈アサルト〉は今もなお残っていた。
これは決して逃げるに逃げられずに残っているわけではない。
ちょっとした勢いでトンネルを破壊してしまったのは事実だが、それがイコール逃げられないということではない。それこそシェルターの天井に向けて高出力モードの〈ドラゴンブレス〉を撃ってしまえば片付くことではある。穴を開けて〈アサルト〉で飛び出してしまえば脱出完了だ。当然その穴からアンノウンが侵入してくる可能性があるのは確かだが、もう誰もいないシェルターに侵入されたところで問題はあるまい。人命ならともかく、施設の損害についてはシオンの知ったことではない。
ではどうしてシオンが未だにここに残っているのかだが、それはアンノウン殲滅直後に〈アサルト〉に届けられた人類軍側からの通信に端を発する。
通信の内容を簡潔に言ってしまえば対話の申し出である。最初にその申し出を聞いた時、シオンは思わず三回聞き直してしまった。
シオンの人となりをよく知るが故に対話にためらいのなかったアンナは例外中の例外として、人類軍がそんなことを言い出すとはまったく予想していなかったのだ。拘束されていた時の女性軍人の態度という前例もあった上に、シオン自身それが普通の対応であると認識していたので衝撃は余計に大きかった。
再三確認するも対話の申し出は本気であり、しかも今回の騒動でこの施設に避難したクリストファー・ゴルド最高司令官含む上層部の人間全員の同意を得ているという。
そこまでシオンと対話しようという意思があるのなら、受けるだけ受けてもよさそうだと判断した。人類軍がこちらに手を出してくるのならそれを返り討ちすることになんのためらいもないが、別に積極的に戦いたいわけでもない。話せるなら話して、無用な戦闘を避けられれば万々歳なのである。
とはいえ対話の申し出そのものが罠である可能性も否定できなかったため、シオンの方から施設内に出向くのではなくこのシェルターに人類軍側の人間が来るように求めた。渋られればそれまで、くらいのつもりで持ち掛けた要求だったのだがこちらも拍子抜けするほどあっさり聞き入れられ、シオンは現在相手を待っているわけである。
「なんというか、予想外ラッシュで気味悪いな」
『だったら申し出断ってトンズラしときゃよかったろうに』
「無言で逃げて世界中追い回されるよりは、敵意はないって伝えるだけ伝えておいて損はないかなーって」
朱月に対してそう説明はするが、正直伝えるだけ伝えて意味があるかと言えばおそらく何の意味もない。
「人間に対する敵意はありません。なので放っておいてください」というのがシオンの本心なわけだが、「はいそうですか」と頷いてくれることはないだろう。
ただ、わざわざ上層部が話をしたいと言い出したというのなら、万が一くらいの望みはあるかもしれない。シオンからすると話をすることにデメリットらしいデメリットはないので「言うだけならタダ」くらいの感覚で対話の申し出を受けたわけだ。
そんなことを話しながら待っていると、人の近付いてくる気配がした。
『来たな』
扉の先からこちらに向かってくる気配が四つ。迷いなくこちらに歩いてくる以上ここを目指しているのは間違いないだろう。ただ、思っていたよりも数が少ない。
場所の要求をした流れで人類軍側は好きなだけ武装した上で、何人で来てもいいと伝えている。一応はシオンなりの気遣いのつもりだ。いくら対話するために来るとはいえ人間であれば苦戦する小型アンノウンを素手で楽々倒してしまえるシオンを前にするのに、丸腰かつ少人数でというのは落ち着かないだろう。
にもかかわらず、人類軍側は四人という少人数で来たらしい。シオンからすれば人数などどうでもいいことなのだが、ずいぶんと強気というか警戒が薄いようだ。
そして扉が開き四名の人間の姿がシオンの視界に入った。続いてその内のふたりがシェルターの入り、扉が閉まる。
「……はい?」
入ってきた人数はどう見てもふたり。しかも入ってきたふたりは武装らしい武装をしている様子もない。さすがに拳銃くらいは懐に忍ばせているだろうが、マシンガンなどの目立った武装はなしだ。むしろ入ってこなかったふたりは大きなマシンガンを抱えていたはずなのだが、どうやら彼らは扉の前で待機するらしい。
「(まったくノーガードで来ますか……)」
『人類軍とかいう連中にも、なかなか肝が据わったのがいるんだな』
相手側がどういう考えでまったく武装無しで現れたのかはわからないが、ここで万が一にも手を出そうものなら完全にシオンが悪者になってしまう。相手から撃たれでもしない限り手を出すつもりなど毛頭なかったが、これで余計に手を出そうなどという気が起こらなくなってしまう。
しかも、近付いてくるふたりを観察する内に、もうひとつシオンからすれば予想外なことに気づいてしまった。
歩いてきた人間の一方、年配の男性がシオンから二メートルほどの位置で立ち止まり口を開く。
「人類軍最高司令官 クリストファー・ゴルドだ。まずは今回対話に応じてくれたことに感謝したい」
「イエ、ソレホドデモ」
思わず片言になってしまったことについては仕方がないと言い訳させてほしい。まさか最高司令官直々に対話しにくるとは予想していなかった。というより普通に考えて得体の知れない相手との話し合いに人類軍のトップが直々に来るということ自体あり得ないだろう。「何かあったらどうする?」だとか「誰か止めなかったのか?」だとか大いに文句を言いたい気分だ。
「アキト・ミツルギ。前線での作戦行動に慣れている都合、今回のアンノウン襲撃事件では責任者のような立場に就いている」
「あ、はい。どうも……」
自己紹介と共に歩み寄ってきたかと思えば握手を求めるように手を出してきたアキトに対し、シオンは反射的に手を握ってしまっていた。あまりにも敵意がない様子に流されたというのが正しい。それにシオンからすればミツルギという姓の方が気になってしまった。
金色の目に黒い髪、精悍な顔立ちもどこか見知った少年のものを彷彿とさせる。風の噂でかの双子に非常に優秀な兄がいるという話は聞いたことがあったが、どうやらそれが目の前にいる青年らしい。
「……改めまして、俺はシオン・イースタル……ちょっと霊感があるだけの人間、と名乗らせていただきます」
自己紹介しつつ、シオンは気を引き締める。うっかりふたりのペースに乗せられかけてしまったが、彼らはシオンが敵対する人類軍の人間。一見敵意がないように見えてもそれが演技である可能性は十分にあるのだから、警戒しないわけにはいかない。
これからシオンは彼らと話をするわけだが、別に仲良くやろうというつもりはない。あちらの意図はともかく、シオンにとってここは対話ではなく交渉の場だ。
シオンに人類軍と敵対する意思はなく穏便にこの場から立ち去りたい。という要求を伝える場になる。普通に考えると人類軍側は到底了承できない要求にも思えるが、望みがないわけではない。
ただでさえアンノウンの襲撃でごたついているのだ。シオンというもうひとつの厄介事が自分から何もせずいなくなってくれるのだとすれば悪い話ではないはず。
当然、諸々が落ち着いた後にはシオンを捕まえるなり殺すなりするために動くだろうが、とりあえずこの場を逃れられればシオンとしては十分だ。
ネコの姿に化けられるのだから本来とまったく違う姿――女性や、あるいは老人などの本来のシオンとかけ離れた姿になることも簡単であるし、人間の寄りつけないような秘境に身を隠すこともできなくはない。そして、そうやって姿を消すのなら、一時的に人類軍の目から完全に逃れるのがベストだ。姿を変える場面や、秘境へ逃れる素振りさえ人類軍に見られなければ、それでシオンの勝ちになる。
つまり、今この場を人類軍も了承の上で去るのがシオンにとって一番理想的な形なわけである。
だからこそシオンはにっこりと、いっそわざとらしいくらいに微笑んで見せる。
交渉において、余裕がない様子を見せるなど愚の骨頂。相手に弱みを見せつける結果になり、相手にとって有利な状況になるだけ。だから、どんな時でも余裕を、ゆとりを見せつける。そうやって自分に有利な結果を勝ち取るのだと、勢いで行動しているように見えて実は計算高い恩師に教わった。
「ではさっそくお話をしましょうか?」
主導権を握るべく相手より先に話を切り出す。しかし目の前のふたりはそれに待ったをかけた。
「悪いが、あとひとりこの場に来る予定になっている」
「……どうして遅れているんでしょう?」
「話し合うにあたってのイスやテーブルを手配してくれている」
そんな会話に合わせるように再び扉の先に気配が複数。数が多いのはイスやらテーブルを運んでいるからだろうか。
「(……ん? なんだか嫌な予感が……)」
近付いてくる複数の気配の内のひとつ。それがなんだか心当たりのある気配に思う。そんな気配は集団の先頭を迷いなく歩いており――。
「少々遅れてしまいまして申し訳ありません。アンナ・ラステル、到着しました」
入ってくるやいなや綺麗な敬礼と共に謝罪した見覚えのあり過ぎる女性。その後ろでどやどやと運び込まれるイスやテーブル。その光景を前に、シオンは理解した。
「(あ、これ演技も通用しなけりゃ交渉もほぼほぼ無理なやつだ)」
アンナというシオンに交渉のあれこれを教えた計算高い恩師の登場により、シオンの計画は始まる前にほぼ絶望的な状況に陥るのだった。
***
運び込まれたテーブルとイスがシェルターの中央、〈アサルト〉の目と鼻の先という何とも言えない位置に配置されるとそれらを運び込んだ兵士たちも立ち去り、最終的にこの空間にはシオンとクリストファー、アキト、アンナの四名が残された。
長めのテーブルを挟んで〈アサルト〉のある側にシオンが、反対側に三人が座る。シオンの正面に座るのはクリストファーだ。
「……さて、単刀直入にお聞きしますが、そちらは俺とどういう対話をお望みで?」
「あら、こっちから話していいの? 先にアンタが何か言ってくると思ってたのに」
「先に俺の目的聞き出した上で返り討ちにしようって魂胆でしたか……」
こういった交渉の場での駆け引きというものをシオンに教えたのはアンナなわけで――つまり最初からほぼ勝ち目はない。自分の方から先に話し出して主導権を握るつもりだったのだが、彼女相手ではむしろカウンターを食らいかねないので取りやめた。
「教官がそっちにいる時点で無理はしませんよ。下手こいて色々引き出されたくないですし」
「ふむ、積極的に話す中で余計な情報を誤って漏らしたくない、と。つまりこちらとの対話で全てを正直に話すつもりは最初からないというわけだね」
「まあわかり切っていたことだがね」などと言いながらシオンの発言を冷静に分析するクリストファー。
そしてその隣には目を逸らすことなくシオンを見ているアキト。
確かに今のシオンの発言はそのように取れるだろうし、実際シオンはそのようなことを考えていた。
予想していなかったわけではないが、クリストファーにしろアキトにしろ、おそらくアンナと同等かそれ以上にこういった局面に慣れている。仮に話す相手がふたりだけであればシオンのことを知らない分対抗しやすかっただろうが、シオンのことをよく知るアンナまで加わってしまえばそのアドバンテージもなしになったも同然。
完全にシオンの負け戦、というわけだ。
「(いっそ今すぐ〈アサルト〉に飛び乗って逃げてやろうか……)」
一瞬そんな考えが浮かんだがやめておく。人類軍のトップの前で機動鎧を使ってひと暴れなんてことをしようものなら、この先の人類軍による追跡がより執拗なものになりかねない。しかもここにはアンナもいる。恩師である彼女をあまり危険に巻き込みたくはない。となれば、シオンは大人しく彼らとお話するしかないわけだ。
「まあ細かいことはこの際目を瞑ろう。それよりこちらは少しでも《異界》に関する情報が欲しいからな」
アキトはそう言って話を切り出した。わかってはいたことだが、対話とは言いつつやはり人類軍が欲しいのは《異界》の情報なのだろう。しかし、そうなってくると少し残念なことがある。シオンにではなく人類軍にとって、だ。
「あっちの世界ついて知ってる範囲のことは話しますけど……正直そんなによくは知らないですよ?」
「は?」と間の抜けた声を漏らしたのはアキトだったかアンナだったか、少なくともクリストファーだけは冷静なままで驚いた様子はない。
「それは不思議なことを言うね。《異界》は君の故郷ではないのかい?」
「違いますね。俺はこっち生まれこっち育ち……そもそも人外から見た場合の俺は“人間”ですから」
シオンとしては事実を事実のまま話しただけだが、三人には見事に混乱が広がっているらしい。三人が黙り込むこと数十秒。一番に口を開いたのはアンナだった。
「シオン、説明。何も知らないアタシたちにもわかるように詳しくね」
「了解でーす」
在学中の調子に近いアンナに対してシオンもまた軽い調子で応じる。
「とりあえず俺が本物の人外たちから見てどういう立ち位置にあるかというと、“異能の力を持つ人間”っていうことになります。つまりはあくまで人間判定なんですよね」
「あのように炎を操ったり、ジャンプ一回でこのシェルターを縦断しておいて、それでも人間だと?」
「はい、人間です。あくまで人間でありながら生まれ持った魔力が大きくて、異能の力が使えるだけなんで」
「魔力、ねえ」
魔力。その言葉はただの人間であるアンナには現実味のない単語だろう。アンナの戸惑うような様子も当然と言えば当然だ。
「魔力は人外たちが異能を使う際に必要とする一種のエネルギーです。知っての通り“エナジークォーツ”の持つエネルギーもこれだし、この世界の生き物であれば必ず少なからず持つものなので、実は人間だって持ってはいます」
その中でも突出して多くの魔力を持って生まれたのがシオンのような人間である。時代によっては超能力者だとか霊能者などと呼ばれていた種類の人間だ。そういった人間は人外から見ればあくまで人間。にもかかわらず人間から見ると人外という少々ややこしい立ち位置になってしまう。
「そういうわけで美味しそうだとか言われて悪めの人外に追い回されたり旅の魔女に少し魔法を習ったりはしたことありますけど、《異界》とは関わりがほとんどないんですよ」
「今の口ぶりだと、《異界》ではなくこちらの世界にも人外が暮らしているというように取れたが……」
「いますよ? 俺が今まで出会ってきたのは八割方こっち生まれの人外です」
人に知られていないというだけで、人ならざるものたちはこの世界にもいる。そしてそういった人外たちは《異界》についてあまり知らないことが多い。
そういうわけで、シオンに対して《異界》の情報を求めるのは別に構わないが、過度な期待はしないでもらいたい。基本的な知識くらいなら知ってはいるがそれだけだ。
そんなシオンの話は意外にも目の前の三人に信用してもらえたらしい。
アンナはともかく残るふたりにはこの話自体が情報を話さないためのウソ、という風に思われてしまってもおかしくはないと思っていたのだが、そうはならなかったようだ。
だがそれを信じるということはつまり、人類軍が一番シオンから引き出したかった情報が得られないということでもある。彼らからすれば当てが外れてしまった形になるだろう。そうなってくるとシオンから何を聞き出せばいいのかわからなくなりそうだが、それだけで黙り込んでしまうほど頭の回転の遅い彼らではなかったらしい。
「《異界》のことは改めて後で聞かせてもらうとして、確か君はアンノウンたちから攻撃されていたな?」
「ええ、そりゃ襲われてましたけども……?」
「アンノウンたちは《異界》から送り込まれている生物兵器として考えられているが、君も人間として攻撃対象になっているのか? アンノウン同士での戦闘が確認されたことはない以上、最低限敵味方の識別くらいは可能だと思うが……」
「あー、そういう話ですか」
一般的に《異界》および人外の側と考えられているアンノウンたちが当然のようにシオンを攻撃したこと、そしてシオンもまたためらいなく応戦したことがアキトは気になっているようだ。
その答え自体は決して難解なものではない。しかし人類軍相手に説明するのはやや面倒だ。というのも、アンノウンという存在に関する認識においてシオンと人類軍の間には、非常に大きな相違がある。
「まず疑問にお答えしますと……アンノウンに敵味方の識別なんて芸当はできません。アンノウン同士で潰し合わないのは、簡単に言えば意味がないからです」
「意味がない……?」
困惑を隠さないアキトとアンナ。そして変わらず冷静に、そして見定めるようにシオンを見つめるクリストファーを一度見渡してからシオンは続ける。
「アンノウンは生物ですらありません。命も魂も持ち合わせない。俺たちの認識としては“災害”になります」
あの存在は命も持たなければ呼吸すら必要としない意思なき虚ろなもの。その事実を知る人間や人外たちにとってのあれらは、言うなれば嵐や地震などと同等の自然災害のようなものだ。
「この世が続く限り存在し続ける災い、因果の果てに生まれ落ちる影、世界の吐き出した穢れ……そんな風に言われ、基本的には自然に発生するものです」
「自然災害にしてはずいぶん丁寧に人間を狙って襲ってくれる気がするけど?」
「そういう災害なんですよ。知能はないけど本能はあるとかで、近くにある魂を食って力を得ようとするんですって」
「なるほど、生物兵器として考えるとあまりに合理的な動きをしないとは思っていたが……合理性などを考えられる知能は備わっていないわけか。アンノウン同士で争わないのは互いに食うべき魂を持たないから、という解釈でいいか?」
「話が早くて助かります」
普通の人間からすれば相当突拍子のない話をしているつもりではあったが目の前の三人はおおよそシオンの言っていることを理解したらしい。三人ともかなり柔軟な頭をしているようだ。これが最初にシオンを監視していた女性軍人などであったらこうスムーズには進まなかっただろう。
「ふむ……君の説明でアンノウンについては概ね理解した。だが少し質問させてもらっていいだろうか?」
しばらくぶりに声を発したクリストファーに、わずかに緊張する。
相手はなんといっても人類軍のトップに立つ男だ。高い地位に立つことがイコール有能な人間であるとは思わないが、この人物は間違いなく実力でその地位に就いたタイプだとシオンは直感している。油断ならない相手だ。
「まずひとつ目、我々はアンノウンと呼称しているあの存在を、君たちはどう呼んでいる?」
「俺はアンノウンで呼んでますけど……大体は“魔物”ですね」
「ふむ、なるほど……ではふたつ目。アンノウンは兵器として扱えるものなのかな?」
表面上、シオンに質問をするクリストファーの様子に変化はない。しかしその瞳だけは違うとシオンは感じた。ひとつ目の質問の時よりも明らかに鋭い視線は貫くようにシオンを見つめている。――ウソや誤魔化しは決して許さない。まるでそう言っているかのようだ。
「ここまで話を聞いていた限り、人外たちにとってもアンノウンは危険なもののようだ。だとすれば、それを兵器として利用できるものなのかな?」
繰り返すように投げられた問いは疑問の形をとってはいるが、おそらくクリストファーの中では答えが出ている。シオンに尋ねているのはあくまで確認なのだろう。
アンノウンに関しては元より隠さなくてはならないことでもない。だからシオンはクリストファーの目を見返しながら正直に答えた
「俺の知る限り、無理ですね」
それは、この数年の間信じられてきたアンノウンに関する通説を揺るがす答え。現在の常識を根底から覆してしまいかねないものだった。
***
クリストファーの質問にしてもシオンの返答にしても、現在の常識を否定するというかなり重大な発言だったと言える。しかしそれを傍で聞いていたアンナもアキトも冷静だった。
長く信じられてきたことが否定されたのだから驚き狼狽えても仕方がないはずなのだが、そんな素振りはない。もしかすると、ここまで話の流れでふたりもある程度このことが予測できていたのかもしれない。
沈黙が続く中、一番に口を開いたのはアンナだった。
「それじゃあ、そもそも異界がこっちに戦争を仕掛けてきたっていうこと自体が間違いの可能性もあるの?」
近年のアンノウン出現数の増加は《異界》からの攻撃が激化しているという風に考えられてきた。しかしアンノウンがそもそも《異界》の送り込んできている生物兵器ではないのだとしたら、その考え方自体が覆る。
ただ、シオンの考えはそれと少し異なっている。
「確かにアンノウンを制御する方法は《異界》にもないと思います。けど、こっちに送るだけなら簡単なんですよね」
「制御はできないけど送れる……?」
「《異界》で自然に湧いて出たアンノウンを空間転移の魔法でこっちに送り付ける。……要はデリバリーのピザを他人の家に送りつける嫌がらせ、みたいな?」
「例えのせいでとんでもなく陰湿に思えてきたわ……」
こちらの世界に送り付けてさえしまえばアンノウンたちは勝手に暴れる。単純に人類や人類軍に被害を与えることだけが目的なら、それで十分だとも言えるわけだ。
「制御できないなりに攻撃の意思を持って《異界》から送り込まれている可能性もあると言いたいんだな、君は」
「《太平洋の惨劇》があったと思うと、敵意無しってわけはなさそうなんだ。今回の一件だってどう見ても出現の仕方が不自然ですし」
「君の方でもそういう見解になるのか」
アキトの確認にシオンは軽く頷き返した。
この人工島に来る以前に、シオンは自然発生と思われるアンノウンの出現を何度か目にしている。それは一度に出現する数もそこまで多くなく、空間の亀裂も多かった時で五、六か所程度しか確認できなかった。
しかし今回の一件では十か所以上の亀裂が散らばって発生していた上に、出現数も明らかに多い。出現地域の状況次第でそういうことも起こり得るのだが、その条件にこの人工島は合致しない。
シオンの知識の範囲での結論にはなるが、今回のアンノウンの大量出現は自然現象ではないと思われる。
「《異界》がこの島を狙って送り付けてきたのか、他の要因があるのかまではわかりませんけど、普通じゃないことだけは確かです」
「そうか。今回の一件は異質だと思っていたが……悪い意味で推測が当たってしまったらしい」
腕を組んだアキトを含めアンナやクリストファーの表情は暗いが、無理もないだろう。
今回、急なアンノウンの大量発生があった。となれば今後他の地域で同じことが起こる可能性も十分にある。今回のような襲撃に慣れていない地域、あるいは人口密集地でもそれが起こり得るとなれば、人類軍としては頭が痛いどころの話ではない。
「……ゴルド最高司令官」
腕を組んだまま、アキトは隣に座るクリストファーへと視線を向けた。
「例の件、ここに来るまでは反対であるとお伝えしておりましたが、考えが変わりました」
「ほう、そうかね」
「リスクが大きすぎるという意見は変わっていません。しかし、そのリスクよりも得られるリターンを優先すべきと判断しました。……例えギャンブルに等しくとも」
真剣なまなざしのアキトに対して、クリストファーの方はというと少し愉快そうにも見えた。
ここまでの会話と合わせて、クリストファー・ゴルドは相当に厄介な人物だという認識がシオンの中で確固たるものになっていく。可能な限り敵には回したくない人種だ。
「ふむ、ではミツルギ君の賛成も得られたことであるし、イースタル君にひとつ提案させてもらおう」
「へ? 俺ですか?」
話を向けられ、思わず自身を指差して確認してしまう。そんなシオンに対してクリストファーは優し気な微笑みを向けながら、告げた。
「シオン・イースタル君。我々人類軍に協力してはくれないかな?」
クリストファーの言葉を脳内で繰り返して、意味を咀嚼する。
「…………はい?」
その作業をたっぷり五回繰り返した末にシオンが発することができた言葉はそれだけだった。
***
「……ゴルド最高司令官。あの、緊急事態でご乱心なさっているとか、そういう……?」
「あっはっは! 面白いことを言うね。しかし私は乱心などしていないよ」
思わずクリストファーの精神状態を心配してしまったシオンに対して、彼はなんでもないように笑いながら答えた。しかしそうは言われてもシオンからすればクリストファーの頭がとち狂ったとしか思えない。これは、それほどまでにあり得ない提案だ。
「君は私の提案にずいぶんと驚いているようだが……そんなにおかしなことを言っているつもりはないよ」
「いやいや、そんなことないでしょう⁉ 人類軍は《異界》と戦争中なんですよね⁉」
そんな状況下で《異界》に近しい身であると思しきシオンを味方に引き入れようなど、正気とは思えない。
しかもシオンはこの三年間、軍士官学校の生徒として半ば人類軍の内部にいながら素性を隠していた身だ。
自分で言うのもなんだが“人類軍内部に潜り込み、暗躍する目的で人間のフリをしていた《異界》の工作員”というような嫌疑をかけられて然るべき立場である。
「確かに《異界》と戦争状態にあるが、君は《異界》と無関係なのだろう?」
「それはそうですけども。俺の話だけであっさり信じていいんですか?」
「少なくとも私が見る限りウソをついているとは思わない。それに、仮に君が異界側の工作員だとすると……行動が滅茶苦茶すぎる」
相変わらず微笑んだままでクリストファーは続ける。
「工作員の立場であれば自身の正体が露見することは絶対に避けなければならない。にもかかわらず君はアンナ君にあっさりとそれを見せつけた。さらにこのシェルターではわざわざ避難民を守ってアンノウンと戦っていた。彼らを見捨ててしまえば混乱に乗じて逃げ去ることも簡単だったのではないかな?」
アンノウンについての質問の時と同じく、これは答え合わせだ。シオンが工作員であったなら絶対にすべきでない行動をひとつひとつ指摘していく作業とも言う。
「君の行動は総じて人類に敵対するものではない。根幹にある行動原理までは私にもわからないが、少なくとも人類に害を為すものではなさそうだ」
「一連の行動まとめて信用される為の演技かもしれませんよ?」
「殺される可能性もある中で数時間ぐっすりと寝顔を晒すほどの迫真の演技なら騙されても仕方ないと思わないかね?」
どうやらクリストファーの中でシオンは完全に敵ではないという認定を受けているらしい。それ自体は別に間違えていないので問題はないのだが、なんともやりにくい。
「それに、君が協力してくれれば戦力としても情報源としても有益だ。君と〈アサルト〉のデータがあればECドライブの研究も進み、人類軍の戦力アップにもつながる。今この場で話しているように情報も得られる。多少のリスクがあろうとも迎え入れることには大きなメリットがあると思わないかね?」
「……そっちのメリットは理解しました。でも、俺に何かメリットあります?」
確かにシオンは人類軍と敵対するつもりなどない。しかし協力したいわけでもない。シオンにとっての理想はこの場を穏便に立ち去って後は一生関わり合いを持たないこと。
相当大きなメリットでもない限り、人類軍に協力する理由などない。否、はっきり言えば例えどんなメリットがあったとしても協力する理由にはなり得ないだろう。
「こちらから君に提示できるメリットは、君の命を人類軍が脅かさないという約束と十分な衣食住くらいだろうね」
「そんなのメリットに入りませんよ。ひとつ目なんてまったく信用できませんし」
シオンから得られる情報がなくなってきた頃合いに後ろから撃たれたり刺されたりする未来がありありと見える。どちらかと言うとクリストファーよりもシオンの方が相手に対して懐疑的なのかもしれない。
「そうだね。損得で考えるなら君にとって得なことは少ない。しかし損は多いかもしれないよ」
微笑んでいた表情が一転して厳しい表情へと変わる。しかしそれはシオンを威圧しているという風ではない。
「単刀直入に言おう。君がこのまま姿を眩ませた場合、アンナ君の身が危ない」
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味だよ。君は普通の人間ではない。さらにここで逃げてしまえば“敵”であったと考える他になくなる。そんな君を見つけられなければ、追及は君と近しかった人間に向かうことになるだろう」
「俺と関わりがあるだけで疑うって……さすがにあり得ないでしょ」
「君がただの人間だったならそうだろう。しかし、君は異能の力を持っている。炎を操りネコに姿を変えるなどという超常的な力をね」
「……そんなの、俺が姿をくらまして出てこないなら何の問題もないのでは?」
「我々の理解を超える異能を使う君が、近しい人間に何らかの細工……例えば催眠術などによるマインドコントロールをしていないと言い切れるかい?」
クリストファーの言うことは正しい。シオンが実際にそういったことをしているかどうかに関係なく、人類軍にそれを判断する術はない。そうなれば、シオンと関わりのある人間を全員拘束するという強引な手段もあり得なくはない。
人類軍や人間の異能に関する知識は、まったくないと言っても過言ではない。だからこそ、マインドコントロールなどというSF映画のようなことまで本気で警戒しなければならなくなっている。
実際、シオンがそういったことができないというだけで、人外という括りを見渡せばマインドコントロールなどというフィクション並みの芸当ができるものもいる。
「私個人としては、仮に君が逃げ去ったとしてもそのようなことをしたくない。しかしいくら最高司令官とはいえ、他の多く人間が賛成すれば君に関わった人間の拘束……最悪の場合、尋問なども含めて認めざるを得ない」
「……でしょうね」
最高司令官とはいえ権力がすべて集中しているわけではない。多数の人間の意見を無視はできないし、そんなことをしようものなら最高司令官の立場を追われてしまう可能性もある。
「それで、俺が協力を約束すればそれが防げると?」
「君が人類に味方することを明確に示せば、ひとまず手出しはしないだろう。君がいない状況でなければ人権を無視してまで同じ人間に手を出す理由はないからね。もちろん私の方でも最大限手を回そう」
言葉を切ったクリストファーから視線を外し、彼の隣に座るアンナを見る。ある意味当事者である彼女は、かなり難しい顔をしている。
「あのねシオン。今からアタシが話すのは個人の考えよ」
アンナは難しい表情を崩さないまま、そんな前置きをして話し出した。その時点でシオンは、彼女がこの後何を言うのかおおよそ予想できてしまう。
「正直言ってアンタが人類軍に協力することには反対よ。いつアンタの命が狙われるかわからないからね。……だから、少なくともアタシの身の安全は気にしなくていい」
「別に拘束されて尋問されたとしても、殺されるわけじゃないだろうしね」なんて軽く微笑んで見せる彼女だが、実際のところはわからない。
人類軍には人外に対して非常に過激な考えを持っている人間も多い。下手をすれば殺されるような展開だってあり得るのではないかとシオンは考えている。そしてシオンが考えつくようなことを考えていないアンナではないはずだ。
「アタシは、自分の為に教え子が危険な目に遭うなんて御免よ。だからあえて言うわ。アンタはこの提案に乗るべきじゃない」
「教官……」
自分の命、そしてその他のシオンと関わりある人々の命の危険を承知していながら、アンナはそれでもシオンに自分の命を優先しろと言った。他の複数の命の為に自分の命を捨てろと、一般的に美徳とされるようなことは言わなかった。
しかし、シオンの答えは最初から決まってしまっている。アンナに何を言われようとそれが変わることはない。
「教官、俺は見知らぬ他人の命よりも自分の命が大切です」
シェルターの一件の時も見知らぬ避難民に関心はなかった。もちろん彼らが食い殺される様子なんてものを進んで見たいとは思わないが、自分の身と天秤にかけるなら迷わず切り捨てられる程度の存在でしかない。しかし――
「でも、気に入ってる誰かが死ぬのは嫌なんですよ」
あの時、あの場所には、ミツルギ兄妹やレイス、リーナがいた。彼らと過ごした学生としての生活は、楽しかった。それは間違いない。その彼らがシオンが戦わなければ確実に死んでいた。それだけでシオンが戦う理由としては十分過ぎた。
そして、そんな彼らやアンナに危険が及ぶ可能性があるというのなら、選ぶ選択肢はひとつしかあり得ない。




