終章-トウヤという存在③-
――深夜、格納庫にある〈トリックスター〉の肩の部分に幼い姿のシオンが静かに腰掛けている。
普段であれば何かしら作業をしている十三技班の技師のひとりくらいは残っているところなのだが、今夜は偶然か誰もおらず静かなものだ。
「部屋に戻ろうとは思わねぇんだな」
静かな格納庫に唐突に響いた声にシオンは驚くこともなく、その場から飛び降りて静かに地面に降り立つ。
「体もないどころか睡眠だっていらないような身なのに、部屋に戻る理由ある?」
「ねぇな。俺様もこうして体をぶんどるまで似たような暮らしぶりだったし」
カカカといつものように笑う朱月。
そんな朱月にシオンは「で?」とシンプルに問いかける。
「そんなこと言うためだけにここに来たわけじゃないんだろ? その体だと食事も睡眠もある程度必要なんだから」
「なに、大したことじゃねぇんだが、聞いておくことがあってな」
ふぅとひとつ息を吐き出して、朱月は口を開く。
「お前さん、どうしてまだトウヤの坊主を助けに行ってない?」
朱月の問いに、シオンはすぐには答えなかった。
「今のお前さんは分身とはいえそれなりの力はあるし、魔物としての力も持ったままだからその気になれば【禍ツ國】にだって乗り込める。だってのに、そうしてないどころか他の連中を諌めるなんて、トウヤの坊主に入れ込んでるお前さんにしちゃぁらしくないんじゃねぇか?」
「……まあ、そうかもしれない。けど理由については大体あの場で話した通りだよ。下手につつけば“封魔の月鏡”に障る」
「世界にためってか?」
「そんなわけないだろ?」
別にシオンは世界のことなんて気にしていない。
もちろん世界そのものが消え去るような問題であれば流石に気にするが、“封魔の月鏡”の消失でそのような事態になることはない。
世界が大混乱に陥ろうが、多少人間の数が減ろうが、アキトたちのような“愛する者たち”が無事であればシオンは問題ない。
「俺が気にしてるのはあくまでコヨミさんとトウヤだよ」
“封魔の月鏡”の消失というのは前例がないことであり、その時【禍ツ國】にいる者たちがどうなるかだってわからない。
ふたりを確実に連れ戻せる算段がない内は消えてもらっては困るのだ。
「そうして手をこまねいてる間に勝手に消えちまったらどうする?」
「そうなる前にお前やゴルド元最高司令官が動くはずだろ?」
朱月はコヨミを救うことを第一に考えている。
クリストファーはより良い未来を前提に“封魔の月鏡”を消失させようとしている。
「お前は情報源が少ない分ちょっと頼りないけど、あっちはかなり【禍ツ國】の状態を警戒してるはず。それがのんびり〈ミストルテイン〉に会おうなんて持ちかけてきてるんだから、多分大丈夫なんだ」
でなければすでにクリストファーたちが何かしらの動きをしていてもおかしくない。
だからシオンは“招待状”が届いた時、内心胸を撫で下ろしていたのだ。
「もちろん早くどうにかしたい気持ちはあるけど……ひとまず無事なら、より確実に助け出す方法を考える。そのやり方は俺らしくないと思う?」
「……いや、是が非でも助け出すためになんでもするのが“天の神子”だからな」
「理解してもらえて結構。それじゃあ俺からも質問。……お前はトウヤをどうするつもり?」
シオンの一言で空気が張り詰めた。
それを理解した上でシオンは朱月を静かに見つめる。
「……心配せずとも、悪いようにはしねぇよ。あれも多少変わっちゃいるがコヨミの子だ」
「ならよかった」
「それにしてもお前は相変わらず困った野郎だよな。トウヤの坊主について一番大事なことは結局隠しやがったんだからよ」
トウヤに関して最も大事なこと――それは、トウヤが存在するだけでこの世界に災いをもたらし得る存在であることだ。
シオンはトウヤがどういう存在かは話しながらも、最後までその情報をアキトたちには伝えなかった。
「普通の人なら、そんな存在を許すわけにはいかないからね」
「アキトの坊主たちがトウヤを殺そうとすると思ったのか?」
「いや。思ってないよ」
「じゃあなんで隠す?」
「あの人たちを悪者にするわけにはいかないじゃん」
トウヤは世界に災いをもたらし得る存在。
それを知りながらも彼を生かそうとする者を、世界はきっと悪と呼ぶだろう。
「そういうのは悪い神様である俺のお仕事だと思うわけ」
「知らずに助ける分には問題ないってか? そういう問題じゃねぇだろうに」
「俺がうまい具合にそういう問題にするよ」
具体的にどうすることになるかは現時点ではなんとも言えないが、その気になればどうとでもできる。
とにかくシオンはコヨミとトウヤのことを助け出すし、アキトたちを悪者になんてするつもりもない。それだけのことだ。
「そのためにもゴルド元最高司令官の思惑は詳しく聞きださないとね」
「一応聞くが、あいつがトウヤを消すって言い出したらどうする?」
「それ、聞く?」
「……いや、聞いた俺様がバカだったな。そんなもん考えるまでもねぇ」
何者であれ、シオンの“愛する者”を害することは許さない。
そしてトウヤは“愛する者”であり、残念ながらクリストファーはそうではない。
つまりそういうことなのである。




