12章-月下の宣戦布告-
月明かり降り注ぐ境内。
そんな静寂に支配された世界に半透明の人影がひとりふわふわと重力に逆らって漂っている。
その静けさを、こつりと石畳を踏み鳴らす音が破った。
「シオンくん……?」
物音に振り返った女性――コヨミ・ミツルギは唯一この世界に訪れることのできる少年の名を呼んだが、その呼びかけは途中で戸惑いへと変わった。
来訪者は体格からしてシオンではなく、彼よりも背も高ければ肩幅も広い。
そしてシオンが着るとは思えない和装姿でカラコロと下駄を鳴らすその人物は時代錯誤な笠で顔を隠しながらこちらに歩み寄ってくる。
普通に考えるのなら、得体のしれない来訪者に警戒を示すべき場面かもしれない。
しかしコヨミにはその人物がどうにも懐かしくて仕方がなかった。
「――こいつぁ、思った以上に辛気臭ぇ場所じゃねぇか」
笠の下から聞こえてきた声に、一瞬驚き。それからコヨミは頬を緩めた。
「私は結構気に入ってるのよ?」
「そうか? 昼寝のひとつも気分良くできそうにねぇがな」
「あなたにはそうかもね」
会話を続ける間にコヨミと来訪者の距離はあと数歩の距離まで縮まっている。
霊体として宙に浮かんでいるコヨミですら見上げなければならない来訪者に、コヨミは微笑みかけた。
「朱月、久しぶり」
「……ああ。久しぶりだな、コヨミ」
笠を外して素顔を晒した鬼は、顔つきに似合わない穏やかな笑みをコヨミへと返した。
「あなたがここに来るなんて思いもしなかった」
「だろうな。俺様も精神だけとはいえここに踏み入る日が来るとは思わなかったぜ」
社の一角に腰掛け、隣り合って話をする。
そんななんでもないことも朱月とコヨミにとっては久しいことだ。
「でも、どうやって?」
「訳あって、俺様はシオ坊と契約を結んでる。でもって今、いろいろあってシオ坊の体を借り受けてる状態だ」
「シオンくんの持つこの場所への縁を辿ったのね……」
「とはいえ、本来一切干渉できない立場の俺様じゃあ、そこまで長居はできねぇだろう」
そう話す傍ら、朱月の輪郭が一瞬ノイズが走ったように揺らめく。
【月影の神域】は精神のみですら朱月の存在を許してはくれないらしい。
「それにしても、お前あんまり驚かなかったな。もっと大げさな反応されるもんだと思ってたが」
種がわかれば納得できなくもないかもしれないが、その前からコヨミはあまり驚いていないようだった。それは少々おかしな反応と言える。
「……うっすら、何かあるかもしれないとは思ってたの」
「ってことはつまり、お前気づいたのか」
朱月の問いにコヨミは頷いた。
「アキト、ハルマ、ナツミ……あの子たち全員、≪月の神子≫として目覚めてしまったのよね?」
そもそも三兄妹に目覚めた力は他でもないコヨミから受け継がれたものなのだ。
その覚醒をコヨミが感じ取れたとしても、それは決してあり得ない話ではない。
「そうか、なら話は早いな」
説明の手間が省けたとばかりに朱月は簡単な事情――神子の権能の目覚めの経緯と、朱月の判断で全てを三兄妹に伝えたことを話す。
「お前の意思には反したかもしれねぇが……」
「ううん。ここまで来ちゃったら説明するしかないわ。……朱月のことだし、私がそう言って納得することだって予想できてたんでしょ?」
「まあな」
朱月の予想通りかそれ以上にあっさりとコヨミは三兄妹に真実が伝わったことを受け止めた。
そこになんの不満もないわけではないだろうが、それが逆に彼らを迷わせるよりはマシだという考えが勝ったのだろう。
「ありがとう、朱月」
「何がだよ」
「多分だけど、あの子たちのこといろいろ考えて動いてくれたんでしょ?」
さらりと告げられた言葉に驚きつつ朱月がコヨミの方を見れば、彼女の金色の瞳はなんの疑いもなく真っ直ぐにこちらへと向けられていた。
朱月がアキトたちを思って動いたということを微塵も疑っていない瞳は、この後話そうと思っている内容のこともあり少し居心地が悪い。
「お前さんに感謝されるような鬼じゃねぇよ俺様は」
「そんなことないわよ」
「そんなことあるんだよこれが……何せ、これから盛大にお前の嫌がることするからな」
なんのことだと言わんばかりにこちらを見上げる瞳を見れば、コヨミは朱月が自分に何かよくないことをするとは少しも思っていないのだとわかる。
そんな風に純粋な信頼を向けてくる相手を裏切ることに、らしくもなく少し罪悪感を覚えた。
「俺様は、近いうちに“封魔の月鏡”をぶっ壊す」
「…………本気?」
「ああ、本気だ」
ようやく驚きを顔に出したコヨミから朱月は目をそらさない。
「≪月の神子≫の役目なんてもんはぶち壊して、お前をこの世界から連れ戻す」
「でも、そんなことしたら世界が」
「知ったことかよ。そんなもん、人間共の自業自得だって十年前にも話したはずだ」
そう、十年前にも同じように諭したのだ。
愚かな歴史を重ねた人間たちの尻拭いをコヨミがする必要などない。役目なんて放り出してしまえと。
そんな朱月や他の多くの人外たちの言葉を、コヨミは聞かなかった。
「別に、世界のことはいいの。でも、私の大切な人たちの――大事な子供たちの生きる世界が滅茶苦茶になってしまったら……」
「そこは問題ねぇよ」
十年前と同じ反論を、朱月は切って捨てた。
「人間共は昔と比べりゃ十分戦う力を持ってやがるし、【異界】の連中もこっちの世界を守る気があるらしい。……それに、他にも裏でいろいろやってるやつがいる」
力をつけた人間たち。【異界】。
そしてまだアキトたちにすらその存在を伏せている第三の勢力。
「先に言っておくけどな。これは相談じゃねぇ、宣戦布告だ」
こうしてコヨミに会いに来たのはその話をするためだが、あくまで話す以上の意図はない。
「何がどうあれ、お前が泣こうが喚こうがキレようが俺様はお前をここから引きずり出す。無理やりミツルギの屋敷に連れ帰って大往生させてやらぁ」
都合よく時間が来たのか端の方から消え始めている朱月の体。
何やらコヨミが騒いでいるのはわかるが、すでに音も聞こえなくなっている。
言いたいことは全て言えたし、何か言っているのが聞こえないのも好都合だと鬼はニヤリと笑みを浮かべる。
「――とにもかくにも、その日を覚悟してやがれ」
果たしてコヨミに届いたかもわからない言葉を言い切って満足した朱月はゆっくり目を閉じた。




