12章-朱月という鬼②-
コヨミの生還。
朱月の言葉にナツミは驚くと同時に、混乱した。
「生還ってそもそもお母さんは事故で……あ、いや、それだとおかしいんだ!」
十年前、コヨミ・ミツルギは事故で他界した。それがこれまでナツミたちが認識していた事実だ。
しかし今しがた聞いた≪月の神子≫の事情を考えればそれはおかしい。
コヨミは今まさに≪月の神子≫としての役目を果たしているはずなのだから。
「話からして、十年前の事故死自体が偽装なのか?」
「ええ。昔はともかく現代は戸籍ですとかいろいろありますからね……」
「事故で死んだってことにしてあっちに渡ったってわけだ」
つまり、ナツミたちが知らなかったというだけで母コヨミは今もなお【月影の神域】という場所で生きているのだ。
そして朱月はその母をこちらの世界に生きたまま連れ戻そうと言うのだ。
「じゃあそれが上手くいけば、俺たちは母さんともう一度会えるのか?」
「おうとも。会えるどころかまた一緒に暮らせばいい」
死んでしまったと思っていた母ともう一度会える。それどころか一緒に暮らすことができる。
朱月の語るそれはナツミたち三兄妹にとっては夢のようなことだ。……だが、それはそんな簡単なことなのだろうか。
「そうは言うが、それは可能なのか? いや、それ以前にやってもいいのか?」
「……確かに、≪月の神子≫がいなくなったら“封魔の月鏡”という魔術も停止してしまうわけですよね」
アキトとミスティの指摘通り、“封魔の月鏡”は停止してしまう。
そうなれば今まで別の空間に隔離していた穢れやアンノウンたちがこちらの世界に来てしまうかもしれない。
コヨミに、母に再び会えるなら会いたい。しかし世界を危険にさらしてまで叶えたいかと問われれば答えに迷う。
「世界中を危険に晒すのは≪月の神子≫としてあちらに渡った母さんとしても本意ではないんじゃないのか?」
「だろうな」
アキトの問いに朱月は当たり前とばかりに頷いた。
「だろうなって……」
「だがまあ、んなもん俺様にゃ関係ないんだよなぁ」
コヨミ本人の意思も、世界の危機も、朱月にとってはどうでもいいことなのだと彼はあっさりと口にした。
「おかしなことを言うんですね。十年前、貴方も納得の上で――協力までしてコヨミを送り出したはずでしょうに」
「朱月が協力?」
「ええ。≪月の神子≫があちらに渡る瞬間、【禍ツ國】とこちらの世界が一瞬繋がります。その時隔離されていた穢れや魔物たちがこちらの世界に一時的に流れ込んできてしまうのですが……十年前、朱月はそれをひとり引き受けたんです」
「じゃあ朱月が力を使いすぎたのって、お母さんのためだったの?」
朱月はこれまでその詳細を口にしてこなかったが、今の話を聞けばそう推測するのは難しくもない。朱月もそれを否定しなかった。
「だが、そうなると確かに妙だな。十年前は賛成しておいてどうして今になって考えが変わったんだ?」
「大した理由じゃねぇ。あえて言うなら時期がいいんだよ」
時期がいいという言葉の意味を玉藻前すらも計りかねている中、朱月はあらためて周囲の面々を見回した。
「十年前の時点で“封魔の月鏡”がなくなるのはさすがに無理があった。コヨミが人柱になるのは面白くねぇが、世界丸ごと終わっちまったら意味がねぇからな」
「それを言うなら、むしろ今のほうが状況は悪いんじゃないのか? 世界中でアンノウンが活発化してるんだぞ」
「そうでもねぇさ。人間共の魔物への警戒は強まってやがるし……何より【異界】の連中も動いてるのが好都合だ。人間共だけじゃ心許なかったが連中もその気だってんならそれなりに勝ち筋も見える」
「なるほど……【異界】の戦力も合わせて臨めれば、穢れや魔物の氾濫にも対処できるかもしれないというわけですか」
ガブリエラの言葉に朱月は頷いた。
「さらにもうひとつ好都合なのは……シオ坊の存在だ」
「シオンが何か関係してるのか?」
「おおとも。……むしろシオ坊と出会わなけりゃ俺様はその気にならなかっただろうしな」
それほどの理由がシオンにあるのだと朱月は言う。しかしナツミにはそれがなんなのか予想もできない。
「≪天の神子≫の力――それかドラゴンや魔物の力が何か役に立つってことか?」
「ハルマの坊主、目の付け所がなかなかいいじゃねぇか。実際、その辺りが関係してる」
「ああ、なるほど。ようやくわかってきました」
ここまでの説明で玉藻前は朱月の言わんとすることを理解したらしい。
そんな彼女にナツミたちの視線が集まった。
「本来“封魔の月鏡”の要である【月影の神域】や【禍ツ國】には≪月の神子≫と魔物たちしか立ち入ることができません。これは余計な存在が立ち入ることで予期せぬ悪影響を及ぼさないためのもので、異物の侵入はかなり強固に防がれています」
「ああそうだ。俺様はもちろんだが、そこの女帝殿であってもあそこに立ち入るどころか術で言葉を交わすことすらできやしねぇ」
「でもそれならお母さんを連れ戻すのだって無理なんじゃないの?」
「ああ、だから俺様もこの十年諦めてたわけだが……シオ坊は例外だ」
ニヤリと朱月が笑みを浮かべる。
「これはお前さんたちからすりゃ初耳だろうが、シオ坊は前々から夢を介してコヨミと言葉を交わしてる」
「シオンは誰も干渉できないはずの【月影の神域】に干渉できてるってことか」
「その上、シオ坊は魔物の力を手に入れた。夢を介して縁ができてたことも助けになって、今のシオ坊なら直接乗り込むこともできるってわけだ」
“封魔の月鏡”消失後でも世界を守れる目算。
そして、シオンという【月影の神域】や【禍ツ國】に立ち入ることのできる存在。
それらを確保できたからこそ、朱月はコヨミを取り戻そうと思い立ったのだ。
「どちらにしろそう遠くない未来に“封魔の月鏡”は消えてなくなる。今以上に穢れを溜め込まれてより厄介になる前に、今のうちに終わらせちまう方が賢いとは思わねぇか?」
確かにいつか消えてなくなってしまうとわかっているものをそのままにしておくより、対策をちゃんと考える方がいい。
時間の経過で状況が悪化してしまう可能性が高いというのなら尚更だとナツミも思う。
「つーわけで、どうだ? 俺様の考えに乗っかてみねぇか?」
ニヤリと笑みを浮かべながら、朱月はナツミたちにそう問いかけた。




