11章-暴食-
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」
響き渡る狂気的な叫びはシオンの声をしていながら、とてもシオンのものとは思えない。
「(まるで子供が泣き叫んでるみてぇだ)」
天魔竜神はこの世に生まれたばかりの存在。
そのことを考えればアキトの感想はあながち間違いではないのかもしれない。
この世に生まれたばかりの幼い魔物は初めての“存在を脅かされる感覚”に恐怖し、泣き叫んでいるのだ。
彼の周囲を取り巻く黒い魔力はその表れなのだろう。
溢れ出た魔力はドス黒く、ここまでに感じていた穢れの気配ともまた異なる。
「あれは、なんなんだ?」
本能が警鐘を鳴らす黒い魔力。正体はわからずとも危険なのは間違いなく、アキトたちは十分に距離を取る。
「朱月、あれはなんだ?」
『……あれは……ちょいとばかし不味いかもしれねぇ』
明らかに動揺を覗かせている朱月に詳細を尋ねるより先に、黒い魔力に変化があった。
気体とも液体ともわからない形ないものだったはずの黒い魔力がゆっくりと形をなし始めたのだ。
魔力の源である天魔竜神の背から翼のように伸びていく黒い魔力は六つ。
そのひとつひとつの先端は獣かドラゴンのようなものの頭に変わり、口を大きく開けて牙を覗かせる。
『六つの首?』
『いや、あれは口って言ったほうが正しい』
ナツミの疑問を受けてわざわざ言い直した朱月。
見てくれだけであれば首でも口でも大差はないが、意図して言い換えた以上意味があるのだろう。
そして天魔竜神――ひいてはシオンに関連して口となれば、その意味を推測するのは決して難しくはなかった。
「まさか、“天つ喰らい”を使う気か!?」
シオン・イースタルという神――≪天の神子≫の持つ権能。
あらゆる魔力を喰らって自らの力とする規格外の力。
あの六つの首、もとい六つの口がそのためのものだとすれば状況は最悪と言っていい。
「全員ひとまず下がれ! どこまでやれるかはわからないが喰われたらたらどうなるかわからない!!」
アキトの警告と六つの口が動き出すのはほぼ同時だった。
六つの首がそれぞれ異なる方向に向き、それぞれが見えざる何かを吸い込み始めるのが気配でわかった。
各機動鎧から悲鳴や息を呑む音が伝わってくる中、アキトも一瞬身を固くし――すぐに何もないことに気づく。
「俺たちの魔力は吸われてない……?」
全てを喰らい尽くす力だとシオンはよく口にしていたはずだが、今の所アキトたちの魔力が喰われる気配はない。
その事実に安堵しかけるが、それは朱月の悪態によって阻まれた。
『クソが! 最悪だ!』
『え、朱月、どうしたの!?』
『どうしたもこうしたもねぇ! あの野郎、この一帯の穢れを喰ってやがる!』
朱月の言葉の意味を一拍遅れて理解して、アキトも状況の深刻さを即座に理解した。
「つまりこれまで俺たちが祓った分を回復されてるってことか!?」
『回復どころじゃねぇ! 今の世の中穢れなんて捨てるほど満ちてやがるんだ! この調子で喰われ続けたら全回復どころか余分にだって回復されかねねぇぞ!』
アキトたちのこれまでの苦労が水の泡になるどころか、それ以上の状態になってしまう。
それどころか、仮に回復されたあとにもう一度アキトたちが穢れを祓ったとしても、またこのように回復されてしまえば再び水の泡。
いくらやっても終わりがないということになってしまう。
『ちょっと待て。最初よりもっと穢れを溜め込まれたとして、俺たちシオンのこと助けられるのか!?』
ハルマの言うように、魔物堕ちとして半端な状態だったからアキトたちで助け出せる可能性があるという話だったはずだ。
その前提がひっくり返るようなことになってしまえば――
『正直厳しい。それどころかこんなバケモン、他の神々でも手に負えるかわかったもんじゃねぇぞ』
最悪アキトたちが動かずともミランダや玉藻前が動くだろうと言っていた朱月だが、彼にとってもこの状況は想定外らしい。
『あの半端な状態なら“天”の力も使えねぇと踏んでたが、読みを外した! こうなったらこの場の面子じゃ止めようがねぇ!』
それはつまり、退却するしかないということだが――
「いや、待て! 天魔竜神をこのまま放置したとして、その精神が成長してたら……」
天魔竜神――魔物としての精神や人格が確固たるものになれば現在奥底に沈んでいるシオンの精神に影響が出ると朱月は言った。
そして今、明らかに最初よりも天魔竜神の精神はしっかりとしたものになりつつある。
今の段階でアキトたちが撤退してしまえば、シオンの精神は果たしてどうなる?
『…………今はテメェらが生き残ることが最優先だ』
朱月はアキトの問いに何も答えなかった。
わからないではなく、明らかに答えることを避けた言い回しだ。
このタイミングで朱月がそうするということはつまり、今撤退すればシオンの精神の無事は保証できないということに他ならない。




