11章-いつかの夏の日-
柔らかな風が青々とした無数の葉を揺らし、サラサラと穏やかな音を鳴らす。
夏の盛りで気温は高いが、大樹の影は風が吹いていることもあってそれなりに快適だ。
ちょうどいい昼寝場所だと大樹の枝の上で仰向けに寝そべる。
「おーい」
木々の微かなざわめきに紛れて女性の声が聞こえた気がしたが、とりあえず無視した。
「おーい」
再び同じように声が聞こえた気がしたが、眠気が勝ってやはり気にしないことにした。
「……」
「あでっ」
わずかに魔力の気配を感じたかと思えば、真上から落ちてきた小さな氷の塊が額に当たった。
そこまでされては無視もできず、しぶしぶ体を起こして大樹の根本とを見下ろす。
「オイ。嫁入りも済ませたいい年した女が人様に氷の塊ぶつけるたぁ、おてんばが過ぎるだろ」
「いい年した男の人が聞こえてるくせに昼寝のために聞こえないふりするのは大人気ないと思うわよ?」
それなりに怒りを込めて投げかけた言葉だったのだが、眼下の女性はそれに萎縮する様子を微塵も見せない。
そんな佇まいを見てのんびりと昼寝をするわけにいかなくなったことを悟る。
深くため息をつきながら枝から降りて、今度は大樹の根本にある大岩の上に腰掛けた。
「ったく、なんの用でこんな所まで来やがった」
「用がなくちゃ来ちゃいけないの?」
「ダメに決まってんだろ。テメェ身重だろうが」
彼女の腹は少し見ればそこに新たな命を宿しているのは一目瞭然だ。
そんな状態の女性が決して大きなものではないとはいえ山に登ってここまでやってくるというのは普通に問題である。
「まだ予定日まで時間もあるし、元気だから大丈夫よ」
「文字通りテメェひとりの問題じゃねぇんだ。お転婆も大概にしろよ……」
「なんだかんだ私のこともお腹の子のことも心配してくれるとこ。顔に似合わず優しくて好きよ」
反省の気配がない女性に再びため息が出る。
「そもそもあなたがもう少し屋敷に顔出してくれれば私がここに来る必要もないのよ?」
「あっちは喧しいのが多いんだよ」
屋敷で昼寝をしていたらとやかく言われるのは目に見えている。であればここで自由に昼寝する方がいいという話だ。
そんな問答はこれまでも何度もしてきているので、彼女も「相変わらずね」と苦笑するだけだった。
その話題を早々に切り上げて女性は大樹の根本にある小ぶりで平な岩の上に腰掛けた。
たったそれだけ動作だけでも腹の大きな身ではそれなりにやりにくそうに見える。
「いつ頃産まれるんだったか」
「あと二ヶ月くらい……この木の葉が綺麗に紅葉する頃になるんじゃないかしらね」
「あっという間だな」
それなりに長い時を生きてきた身からすれば二ヶ月など短い時間だ。その短い時間が過ぎれば目の前の女性は母親になる。
「ついこの間まではテメェもガキだったってのに、それが母親になるたぁ……人間ってのはすぐに歳を食うよな」
目の前の女性が赤ん坊だった頃――それどころか彼女の祖母が赤ん坊だった頃のことすらも知っている。
そんな人間と人外の間の時の流れの違いを寂しいとは思わないが、時折思い出してはなんとも言い難い感覚を覚えてしまう。
「そうね。きっとこの子だってあなたからすればすぐに大きくなっていく。それでまたあなたは私の孫にも出会うんでしょうね」
「当たり前みたいに言いやがって……俺様はいい加減自由の身になりてぇんだがな」
「んー、確かにいつまでも縛り付けていたくはないんだけど……」
「けど、なんだ?」
「あなたに、この子のこと見守ってあげてほしいなって」
まさかそんなことを言われるとは思わず、咄嗟に言葉が出ない。
「あなたは実際悪いところもあるんだろうけど……ちゃんと優しいところもあるってわかってるから。私の大事な子を一緒に見守ってほしいと思うの」
「そういうのは旦那の役目だろうが」
「もちろんあの人にも一緒に見守ってもらうけど、見守っていいのが親だけって決まりはないでしょ?」
ふっと彼女は穏やかに微笑む。その目に込められているのは親愛の情だ。
「あなたは私にとってお兄ちゃんみたいなものなんだから。この子のことも可愛がってあげてよね、叔父さん」
「テメェの兄になった覚えはねぇよ……」
ぷいと顔を背ければ彼女は不満そうにあーだこーだと言い始める。
それを聞き流しつつ、直前の彼女の言葉をそっと頭の中でくり返す。
「(叔父さん、ねぇ。……柄じゃねぇことこの上ねぇっての)」
それでも案外悪い気はしない――なんて、隣で騒ぐ女性に気づかれないようにそっと頬を緩めた。




