2章-災いの兆し-
≪母なる宝珠≫
アキトたちには全く聞き覚えのない言葉だったが、シオンはその言葉を聞いてわかりやすく表情を変えた。
少なくともシオンとハチドリの間では問題なく通じている言葉のようだ。
「シオン。悪いけど解説頼める?」
「……≪母なる宝珠≫っていうのはこっちの世界に住む人外たちのコミュニティみたいなものです」
「コミュニティ?」
「こっちの世界で暮らす人外は大小いろいろなコミュニティを人知れず構築してるんです。≪母なる宝珠≫はその中でも規模だけは最大級になります」
アンナに向けてシオンはそう説明したが、規模の話題にはどことなく含みがある。
「……そんな風に人外たちが徒党を組んでいるというのは、私たちにとっては非常に警戒すべき内容かと思いますが」
「別にそうでもないんじゃないですかね? 規模だけは立派ですけどそれだけみたいなところありますし」
「規模が大きいということはそれだけ力もあるということでは?」
ミスティの指摘に対してシオンはどことなくコミュニティに対して呆れているような態度を示した。
アキトもミスティと同じ考えなのだが、どうにもシオンはそういった認識を持っていないらしい。
そんなシオンは≪母なる宝珠≫について話したくない、というよりは話すのを面倒そうにしている。
「……規模は大きくともまとまりがあるわけではないのだ」
シオンが話すのを嫌がる中、口を開いたのは意外にもハチドリだった。
どことなく不満そうではあるが彼は説明を続けていく。
「≪母なる宝珠≫はこちらの世界に生きる同胞たちが各地の情報を伝え合うために作られたもの。……裏を返せばそれ以外を想定していない」
「各地のコミュニティがあんまり閉鎖的だったもんで、それを問題視した有力者たちが強引にコミュニティ間の横のつながりを作ったのが発端でして……今となっては世界中の人外たちが情報を交換するためのつながりなんです。人間社会に当てはめるならSNSみたいな感じですかね」
あくまで情報交換のためのつながりであって、実際に何かを共同で行うための組織というわけではない。
だからこそ人類の脅威になるかと言えば「正直微妙」というのがシオンの主張である。
「だとしたら、そんな微妙な組織に助けを求める意味ってあるの? 話を聞いている限り何かしてくれそうにはないけど……」
「≪母なる宝珠≫自体に何かを求めるというよりは、そのつながり経由して各地のコミュニティに助けを求めるというのが正しい。そうすれば直接の面識がなくとも話をしやすいのでな」
「なるほど、まんまSNSでの呼びかけに近いのね」
ネットワーク上に広く助けを求める旨を発信し、呼びかけに応じてくれるコミュニティを待つ。
ハチドリがこれからしようとしているのは、それに近いことなのだろう。
「しかし。それで実際に手を差し伸べてくれるのか? 話を聞いている限りコミュニティ内のつながりはかなり希薄な印象だが……」
「個人で反応してくれる物好きは少ないでしょうけど、元々はコミュニティの集合体ですからね。慈善団体みたいな集団もあるので、どこかしらかは反応してくれるとは思います」
アキトの懸念に対してシオンは特に心配している様子はなくすらすらと答えが返される。
正直ピンとは来ないがシオンやハチドリがそうだと判断しているのならアキトからこれ以上言うことはない。
「というか、≪母なる宝珠≫で救援要請したかったっていうならなんでこんな所にいるんだ?」
「どういうことだ?」
「このハチドリ、アステカ神話関連の眷属ってことはメキシコ辺りに暮らしてたんでしょうけど……それならこんな所まで来なくたってメキシコ国内で関係者探すのが一番早いですし、わざわざ人外の少ない北米に来なくても……」
「人外が少ない?」
アキトの質問にシオンはわずかに「しまった」という表情をしたが、少し悩んでから口を開いた。
「人外は人間が思ってる以上に世界中に隠れ住んでるんですけど……北米は極端に住んでる人外が少ないんですよね」
「どうして少ないんだ?」
「土着の信仰が薄いとか、急激に近代化したせいとかいろいろあるらしいです。まあ今の話題に直接関係しないので細かいことは置いておきましょう」
早々に話を切り上げたシオンはコホンとわざとらしく咳払いしてから改めてハチドリに視線を向ける。
「で、どうしてわざわざマイアミまで? メキシコ国内とか南米大陸のほうがどう考えたって楽だったはずだろ?」
「……貴殿の言う通りではあるが、どちらも不可能だったのだ」
鳥の表情などアキトには読めないのだが、仮にハチドリが人間であったならおそらく深刻な表情をしているのだろう。
わずかに顔を俯かせたまま彼は続ける。
「私たちが暮らしていた隠れ里にもひとり、≪母なる宝珠≫に属する者がいたのだが……現在は消息がわからない」
「……消息不明ってのは穏やかじゃないわね」
「彼は南方に不穏な兆しを感じると言って里を出た。何が起きていようと三日後には戻ると言っていたのだが、結局戻らなかった」
「その兆しとやらを感じた時点で救援要請はしなかったのですか?」
「しなかったんでしょうね。眼鏡副艦長だって、ちょっとセンサーに反応あったからって本部に連絡したりしないでしょ?」
「……そうですね」
兆しを感じた、程度では自分たちのコミュニティ内だけならともかく、さらに大きな集団に対して報告をするには情報が少なすぎる。
里を出た人物も何が起きているのかを把握してから然るべき対応を取るつもりだったのだろう。
「他の里にも何人か救援を呼べる者はいたのだが、その全員が南方を調べに向かって消息を絶ったか、あるいは他の事情で留守にしているかのどちらかだった」
「全員じゃないとはいえ、消息不明がひとりじゃないってのは相当きな臭いね」
ハチドリの言葉を聞いたシオンの表情は厳しい。
消息不明がひとりだけであれば不慮の事故などの可能性もあるが、複数人となるとそうは考えにくい。
十中八九、共通して感じ取った"不穏な兆し"が関係していると見ていいだろう。
「メキシコ国内でも都市部に出れば≪魔女の雑貨屋さん≫の魔女くらいはいたんじゃないか?」
「それはもっと別の者に任せた。救援を呼ぶために私含め数名で各地に散ったのだ」
救援を呼べる人物の居場所がはっきりしていない以上、より確実に救援要請が行えるように手数を増やしたというのは確かに合理的だ。
ここにいる彼が失敗しようとも他の誰かが救援を呼ぶことができればいい。
「上手くいけばもう救援要請はできてるってこと?」
「いや、まだでしょうね」
アンナの言葉をシオンはやけにはっきりと否定した。
数名で散ったというのならその可能性は十分にあり得ると考えてもよさそうなものなのだが、シオンは自分の言葉に自信があるように見える。
「どうしてそう言い切れるのよ?」
「だって俺、今の話初めて聞きましたもん」
「…………は?」
シオンの返答にアンナがポカンと口を開けて動きを止める。
彼女ほどあからさまな反応を示しているのがギルくらいだが、それ以外のメンバーも呆気に取られているという意味では同じだ。
そんな面々を見渡してからシオンは懐から青く丸い石をメインとなっているキーホルダーのようなものを取り出した。
「貴殿! それは……!」
「うん。≪母なる宝珠≫所属の証」
「……ということはつまり、貴方は≪母なる宝珠≫に所属していると?」
「そうですよ」
ミスティの確認に大したことでもないかのように軽く答えるシオンに、その場に沈黙が流れること三秒。
「最初に言わんか莫迦者!」
ハチドリの怒声がその場の全員の心境だった。
しかしシオンは悪びれもせず「所属って言っても名前だけみたいなもんだしー」と言い訳する。
ただ、実際に≪母なる宝珠≫に所属しているらしいシオンが知らなかったということは、事実ハチドリたちの救援要請はまだ為されていないのだろう。
「もうこの際細かなことは構わん! 早く助けを求める旨を知らせてくれ!」
「してやりたいのは山々だけど、俺の一存じゃ無理」
鳥かごの中で荒ぶるハチドリに対してシオンは冷静だった。
そして彼はおもむろにアキトのほうへ視線を送ってくる。
「なんだ、イースタル」
「救援要請出すってことは人外のコミュニティに連絡するってことになります。現在の俺の立場上、少なくともミツルギ艦長殿の許しはもらっておかないと不味いかなと」
「……確かにそうなるな」
話を聞く限り≪母なる宝珠≫は広く情報を伝えるのに特化したコミュニティであるらしい。
万が一そこに人類軍内部の情報を流されるようなことがあれば、人外の多くがその情報が知ることができるようになる。
この流れでシオンがそのようなことをするとは思えないが、そういう情報漏洩の危険があるのは事実だ。
ミスティも今はアキトの答えを待ってはいるが、反対したくて仕方がないという表情をしている。
普通に考えるのならここでアキトが許しを出す必要はない。
何故なら人類軍にハチドリの抱える問題を解決する手助けをする理由はないからだ。
ハチドリたちの救援要請が為されなかったとして、被害を被るのは彼ら人外である。人類軍にとってはむしろメリットがあると言ってもいい。
しかし、アキトにはひとつ気になることがあった。
「……ハチドリ殿。ひとつ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「そちらの言う不穏な兆しというのは、人間社会にも影響する可能性があるものか?」
具体的な話はまだ聞いてはいないが、アキトはどうにもそこが気になっていた。
今のところは人外界隈での騒ぎでしかないわけだが、同じ南米で起きていることだとすれば人間社会に影響する可能性は十分にあり得る。
そんなアキトの質問に、ハチドリはあっさりと答えた。
「当たり前だろう。むしろ人間のほうが多く死ぬに決まっている」
当然のことを聞くなとでも言いたげな怪訝な態度を見れば、それが嘘でもなんでもないのだとわかる。
シオンも口を挟んで来ない以上、彼もまた同様の見解なのだろう。
であれば、アキトが取るべき選択肢はひとつだ。
「イースタル。俺の監督下で≪母なる宝珠≫に連絡することを許可する」




