10章-あり得ざる命-
「まず、あの子は実際に私が産んだ子供ではないわ」
第一に彼女はそう断言した。そのことに関してシオンが驚くことなどなかった。
それ自体は玉藻前からもサーシャからも聞いていたし、そうでなくてもこの【月影の神域】という環境で子供を産んだり育てたりができるとは思えない。
「つまり、血は繋がってないってことですよね」
「そこは……少し微妙なところね」
コヨミはなんとも曖昧な返答にシオンは疑問符を浮かべる。
彼女はトウヤを産んでいないと断言した。しかし血の繋がりを否定していない。
となれば親戚の子供というケースは一応残るが、そもそもこの【月影の神域】には≪月の神子≫がひとりで来るのがしきたりだ。親戚の子供を連れ込む理由がない。
「あの子のことを話すために……まず、この【月影の神域】での≪月の神子≫の最後について話すわね」
とても関係しているように思えない話題だったが、この場面で関係のないことを話す理由がない。シオンはそう判断して静かに話を聞くことに徹する。
「この場所に来た時点で、≪月の神子≫は肉体の時を停止させる。肉体が衰えるのを防ぐことでひとりでできるだけ長く浄化の役目を果たせるようにするための措置ね」
悪意ある言い方をすればできるだけ長く使うための仕掛けだ。
犠牲になる神子の人数を減らすための措置と言えば聞こえはいいが、ひとりの神子に老いることも許さず長い苦痛を課す非道とも言える。
シオンとしては決して好きにはなれないやり方だ。
「そうして長く生きた神子は、次代の神子への引き継ぎと共に時間停止が解除され――そこから急速に老化して死に至るわ」
「時間停止による反動、ですか?」
「ええ。万物にとって当然の摂理である“時を重ねること”を拒んでいたんだもの、術が解ければ相応の反動が来るわ」
人間と比べて遥かに長い時を若い姿のまま生きる人外や神でも、老いていないわけではない。たとえ肉体を持たない霊体のような存在であっても時を重ねていないわけではない。
唯一の例外である≪時の神子≫を除いて、その摂理に抗うことは決して許されない。
「そうやって死んだ先代の神子はね。その全てを魔力に変えるの」
肉体も、魂も、持ちうる全てをこの場で魔力へと変えて世界を守護する大魔術“封魔の月鏡”の糧とする。
「――反吐が出る」
とてもシンプルに、シオンは腹が立った。
世界のためとひとりの人間を長く孤独に過ごさせただけに飽き足らず、死後の肉体と魂さえも安らかに眠らせることなく使い潰そうというのだ。
世間はそれを尊い犠牲とでも呼ぶのだろうが、そんな人柱をシオンは決して認めようとは思わない。
そんなシオンを悲しそうに見つめつつも彼女は続ける。
「先代の神子は全てを魔力に変換されて次代の神子の助けになる。少なくとも私はそう教わっていたけれど、実情は少し違ったわ」
「どういうことですか?」
「神子の全てを一〇〇パーセント魔力に変えることはできていなかったの」
肉体や魂を魔力に変換する。しかしそれは完全ではなく、少なからず残るものもあったのだとコヨミは語る。
「本当に微かな、魂のかけら。弱すぎて幽霊にすらなれないような僅かな残滓がこの世界には残されて、あの世に行くこともできずに彷徨っていたの。そして、歴代の神子たちの魂のかけらは誰も――それこそ神子たちすらも予想しなかったひとつの“奇跡”を引き起こした」
ふと、コヨミは虚空を――より厳密には【月影の神域】の外へと目を向ける。
「ここは【禍ツ國】、世界中から集められた穢れの集う閉ざされた世界。穢れはやがて魂を持たない魔物として仮初の肉体を得る。――でももしも、魂を持たない肉体が生まれる過程でそこに彷徨う魂が宿ってしまったら?」
魔物が生きるものの魂を喰らったところで魂を得られるわけではない。それは紛れもない事実として知られている。
しかし、魔物として形を得る過程に魂が混入するなどという例外中の例外ケースで何が起こるかなど誰にもわからない。
それ以前に、死後、魂はすぐにあの世に渡るか、怨霊という魔物堕ちの一種に至るかしかないこの世界においてそんな現象が起こるはずもない。
だが、この【禍ツ國】はシオンたちの生きる世界とは別の在り方をしている世界であるし、神子たちの魂もかけらの状態では普通とは到底呼べなかったはずだ。
そしてここまで聞かされておいて、トウヤの正体を理解できないほどシオンは察しが悪くはなかった。
「トウヤは、そうやって生まれたんですか?」
コヨミは頷くことはしなかった。ただ冷静に口を開いて言葉を続けるだけだ。
「行く場所もなく彷徨うばかりだった歴代の神子たちの魂のかけらが、なんの偶然か今まさに魔物になろうと集まっていた穢れと混ざり合ったもの――相容れないはずのふたつが奇跡的に調和したことで誕生したあり得ざる命――それがトウヤ……月守冬夜という男の子よ」




