10章-答え合わせの夜-
深夜、シオンは夢を介して【月影の神域】に降り立った。
前回コヨミの言っていた通り、シオンが自ら望めば思っていた以上にあっさりと此処に来ることができた。
これなら夢を介さずに訪れることも実際そう難しくはないのだろう。
「――いらっしゃい」
静かな境内にコヨミの声が響く。
体は変わらず眠っているようで半透明の霊体の彼女がシオンを迎えた。
「あの子に――トウヤに会えたのね」
シオンから何かを言うよりも先にコヨミは言った。
今まで聞き取れなかったはずのあの子の名前があっさりと聞き取れたのはシオンが自ら答えに至ったからなのだろうか。
「……ええ。なんなら今回で三回目でしたよ」
「そう。私の思ってた通りだったってことね」
重大なヒントを得る以前に、シオンはすでにあの子――トウヤに出会っていた。
示し合わせていたわけでもなく偶然に、何度も。
シオンが嫌いで仕方のない“運命”というものに導かれていたのだ。
しかし、シオンにはどうしても納得できないことがある。
「コヨミさん。あなたは、あの子は何かよくないことをしようとしてる。だから止めて、助けてほしいと俺に言いましたよね」
「ええ」
「それが俺にはよくわからない。……あの子がどんなよくないことをしてるって言うんですか?」
シオンは“あの子”が何かの形で世界を脅かそうとしているのだと思っていた。
“あの子”こそが魔物の力を振るう人外なのだと知って、それはより確かな考えになっていた。
しかしその推測とトウヤという少年の在り方がどうしても結びつかない。
「トウヤはただ、あなたを、お母さんを助けたくてその方法を探しているだけの優しい男の子です。俺は彼の言葉にウソがあるとは思わない。……あの子の行動が“よくないこと”だとも思わない」
最愛の母を救おうとすることの何が悪なのだろう。
何をもってコヨミは、トウヤがよくないことをしているというのだろう。
半ば睨みつけるような鋭い視線と共に問いかければ、その先にあったのは戸惑うようなコヨミの顔だった。
「あの子が、私を助けようと……?」
そんなこと知らなかったと如実に語る驚きの表情に今度はシオンが困惑する番だ。
「コヨミさんは、トウヤが何かやらかすって確信してたんじゃないんですか」
「ええ……でも、何かおかしいわ。それにあなたが出会ったあの子は優しい男の子だったの?」
「優しい男の子だったのって……あなたの記憶の中のあの子だってそうだったじゃないですか」
そもそもいつかの邂逅ではコヨミ自身も「素直ないい子に育ってくれた」と言っていたはずだ。
それなのにどうしてそうではないかのようなことを口にするのだろう。
「……あの子は、穢れに囚われてしまっているわけじゃないの?」
「は? そんなこと全然……」
トウヤと話をしていてそのような魔力の気配を感じたことはないし、言動だって狂って凶暴になっているようにはとても思えない穏やかなものだ。
どう考えても穢れの影響を受けているとは考えられない。
だが、ようやくシオンとコヨミの間にある大きな認識の食い違いの理由を理解できた。
「コヨミさんはトウヤが穢れのせいで狂ってると思ってたんですね?」
「そうよ。……でも、私はそこから思い違いをしてたのね」
「その気になれば地球のことだって覗けるんじゃないんですか?」
その気になれば覗けるが寂しくなってしまうから見ていないだけなのだと彼女は言っていたはず。
しかしコヨミは静かに首を横に振る。
「見ようとしたけど見えなかったの。あなたに話せないように情報の制限がされていたのと同じよ……でも、平常時のあの子がそんなことするとは思わなかったの」
「だから、穢れに飲まれておかしくなったと思ったんですね」
トウヤが母親のことをとても大切に思っていることはコヨミに見せてもらった記憶はもちろん直接話した時の様子からも感じ取れた。
そんな母親に対して情報制限や追跡防止の対策をするというのは確かにトウヤらしくない。
何かの原因で穢れに飲まれ、人が変わってしまったのではないかと推測するのもおかしくはない。
しかしそうなると今度は別の謎が浮上してくる。
「穢れに侵されていないなら、どうして私から隠れるようなことを……?」
そうなのだ。
シオンの見立てではトウヤは穢れになど影響されていない。
だとすれば、トウヤが大事なコヨミに対して情報制限や追跡防止のような呪いに近い術をかけるとは到底思えないし、そもそもそんなことをする必要があるとも考えにくい。
「そもそも、情報制限とか追跡防止みたいな物騒な魔法をトウヤに教えたんですか?」
「いいえ。あの子には基本的なことしかまだ教えてないわ……でも、魔法は祈りだって教えたの。あの子の持ってる力でしたいことや望むことをイメージできれば」
「理論なしでもそれらしいことは実現できちゃいますね、実際」
トウヤの力が相当なものなのはシオンにもわかっているし、つい数時間前に見よう見まねで魔力結晶の生成をやってのけた事実も把握している。
「とはいえ、できるからって意図的にやるかと言われるとそれも違和感ありますけど」
「私、この神域の外へ行っちゃダメよってずっと言い聞かせてたの。それを破ったのは穢れの影響かと思ってたけど、違うなら……」
「……それなら後ろめたさや怒られたくないって思いから無意識にーって可能性が出てきますね」
意識的だろうが無意識だろうが、強い思いや激情があれば魔法になることはある。
いつの日かシオンが復讐を果たした夜も、魔法のまの字も知らなかったシオンは憎しみだけであれだけのことを成したのだ。
まだ子供であるトウヤの最愛の母親に叱られたくない――あるいは、嫌われたくないという感情も決して甘く見てはいけない。
「私に見つかることのを嫌がるのはわかるけど、どうして情報まで……?」
「……正体を隠すように言ってあったりは?」
「……するわね」
であれば答えは簡単で、自分のことを秘密にしなければという意識が魔法として機能してしまっているのだろう。
実際情報制限の魔法はコヨミに対してというよりはトウヤのことを知らない相手に対して機能していた。辻褄も合う。
「とかいろいろ推測はしましたけど……普通無意識レベルでそこまでなるかって気はしますね」
無意識の魔法があるのは確かだが、ここまでしっかりと効果が出るかと言われるとあると断言はしにくい。
しかしコヨミはそうは思わないようだ。
「あの子はとても強い力を持ってるの。それに何より、世界の理を外れた存在でもあるわ。普通はないことでも十分に起こしうるわ」
「……そもそも、トウヤはいったい何者なんですか?」
トウヤ本人はわからないと言っていた。それがウソだったとは思わない。
しかしコヨミであれば――彼を妊娠していたはずがないにもかかわらず彼のことを息子と呼び育ててきた彼女であれば、その答えを持っているはずだ。
「――少し、長い話になるわ」
彼女はそう言って、静かに語り始めた。




