10章-望まなかった力、望む未来-
深夜。〈ミストルテイン〉展望室でシオンは月を見上げる。
シオンがこの世においてあり得ないとされてきた存在に至っているのだと今更気づいてから数時間。
あの場であの後何があったかと言えば、特に何もなかった。
シオン自身が無自覚だったので隠し事をしていたと責められるような状況でもなく。
シオンの滅茶苦茶には誰もが慣れてしまっていたので今更驚くほどでもなく。
大多数が人外ではないためそれがどれだけとんでもないことなのかという実感も薄く。
そして何よりその力を得たのがこれまでの旅路でなんだかんだと信頼を勝ち取っていたシオンだったこともあり、ひとまず問題はないのではという結論に落ち着いた。
実際は人類軍にバレると確実に大事になるので隠さなければならないし、今後シオンが魔物の力を使えばどうなるかわからないことなどの問題はあるのだが、それらはあの場で議論してどうにかなるものでもなかったわけである。
それから各自は仕事に戻って行き、シオンもまた少し仕事を片付けてからこうして展望室にやってきたのだ。
目的らしい目的なんてない。
ここに来る用事なんてものはいつも考え事をする時くらいだ。
「……来るとこまで来ちゃったって感じだな」
誰に対して告げたわけでもない独り言のつもりだったのだが、静かに近づいてくる人影がひとつ。
「それは、距離的な話じゃねえよな」
「そりゃそうでしょ。距離の話ならむしろ帰ってきてるところですし」
シオンは軽い調子で言葉を返したが、アキトの表情は少しばかり険しい。
そんな状態のままシオンの隣に立ったアキトは何を言ってくるでもなく、少しの間ふたりの間になんとも言えない沈黙が流れた。
「俺ね。人間でいるつもりだったんです」
沈黙に音を上げたのはシオンの方が先だった。
「“神子”なんてものにはなっちゃったけどそんなの望んだわけじゃなかったし、生物として人間なのは変わらない。人間の両親から生まれて人間として育ってきてるんだし、いくら分類上は神様だったとしても人間として平穏に生きて死ぬんだってずっと思ってた」
少しばかりとは言えない力を持っているのだとしても使わなければいいだけの話だ。
魔法に頼らずなんでもないちょっとだけ変わった集団に属する人類軍の技師として生きていく……それだけで十分だった。
しかし、今となってはそういうわけにもいかない。
「薄々わかってはいたんです。世界がややこしいことになってきてさすがに知らんぷりできる状況じゃなくなっちゃいましたから」
「……玉藻様の一件の後、そんなことを言ってたな」
本心では静かな人間としての生を望んでいようと、自身や自身の愛する人々を守るためにはただの人間ではいられない。
そのことを玉藻前に突きつけられた時には実際アキトに弱音を吐いてしまったこともあった。
「そういえば、その時アキトさんにちょっと慰めてもらったんでしたっけ」
「俺は叱った覚えしかないけどな」
直接的に人間だの神子だのの話をしたわけではなかったし、アキトの言う通り優しく慰めてもらったわけではない。
それでもあの時アキトにかけられた言葉で少しだけシオンは救われた。それは確かだ。
それから自分のこの先のことを受け止めて、割り切って、ここまで進んできた。
そうしてその先にあったのがそれ以上の大事件だったというのは笑えない。
「……まさか、魔物の力なんてものを持つ日が来るとは思いませんでしたよ」
シオン自身の常識においてもあり得ない存在。
それに他でもない自分が成り果てることあろうとは考えたことだってなかった。
「そうは言うが、別に普段は問題ないんだろ?」
アキトの言う通り魔物の力はシオンの魂の内側で眠っている。
ファフニールの力も同じで、普段はその力が目に見えて表に出てくることはない。
しかし、確かに存在はしているのだ。
ヴィクトールやガブリエラはその片鱗を感じ取っていたようであるし、シオンがいつの間にか肉を好んで食べるようになっていたのも、今になって思えばドラゴンとしての在り方の表出だったのだろう。
一見わかりにくいというだけで変化は確実に起きている。
「神子っていうのは、神に分類される人間に与えられる名前です。だからかろうじて人間のくくりにも入るんでしょうけど、今回のはもう言い訳のしようがない」
ドラゴンという人間とは完全に別物の存在。
そして生物とすら呼ぶことのできない魔物という存在。
そのふたつを得てしまったシオンは、いよいよ人間とは呼べまい。
他の誰でもなくシオン自身が、自分のことを人間などと口にはできないほどの代物に成り果ててしまったのだ。
「そういう意味で、来るとこまで来ちゃったなって」
「…………」
アキトは口を開きかけているが、実際にそこから言葉が出てくることはない。
彼がシオンを慰めるための言葉を探していることは明白だったが、それがすぐに出てこない程度にはアキトもシオンがもう人間の括りを超えてしまったのだとわかっているのだろう。
「……お前がただの人間とは言えない状態になったのは、事実だ」
アキトは険しい表情を浮かべながらもシオンの言葉を否定しなかった。
この場限りの慰めのために「そんなことはない」と口にするだけなら簡単だが、アキトはそんな無責任なことを言えるような男ではないとシオンも知っている。
「でも、それでもお前はシオン・イースタルだ。人間だろうと神だろうとドラゴンだろうと魔物だろうとそこは変わらない」
「わかりませんよ? 実際この間ちょっと精神が引っ張られましたし、何かのきっかけで変わっちゃうかもしれないですし」
「あくまでちょっとだったろ? お前はちゃんと俺に声をかけてくれたじゃねえか」
シオンがこぼした不安をアキトはすぐさま否定した。
「目が赤くになったのは魔物になっていたからだ。その上ドラゴンの鱗だってあちこちにあった。……それでもお前は俺にちゃんと警告してくれた」
そっとシオンの両肩に手を添えて、アキトの金色の瞳がシオンを見下ろす。
その瞳に映る自分の顔を見て、思っていた以上に自身が不安げな顔をしていたのだと気づかされる。
「だから大丈夫だ。……それに、お前がお前でいられるように俺も全力でサポートする。和平を結んで、災いも解決したら、お前の望む通り平穏に生きていけばいい」
「人類軍がそんなの許してくれますかね?」
「許可をもらう必要があるとも思わねえが、もしもの時は俺がもぎ取ってきてやるよ」
アキトにしてはずいぶんと喧嘩腰な言葉にシオンは思わず笑ってしまった。
「……そうですね。俺は最初っから自分勝手な神様なんですから、どうなろうが好きに生きればいいだけでした」
本音を言えば、完全に自分の状況を受け止め切れたわけではない。
前代未聞の存在となった自分がこの先どうなるかなんて予想もつかないし、楽観的には考えられない。
しかしそんなことはアキトにだってわかってるはずなのだ。
それでも大丈夫だと、サポートするぞと言ってくれる彼の存在がただただ嬉しい。
今のシオンは、それだけで少し救われる。




